二週目②
普段ならバスケ部やバレー部の音が聞こえてくるこの体育館も、今日だけは静かだ。
オリンピック強化選手というものは、学校を挙げて応援するものなのだとか。
高橋さんへのインタビュー、及び撮影の為に貸し切られたのだから、その注力が伺え知れる。
「ほらよ、これ付けてないと追い出されるからな」
「腕章……そういえば、いつも袖に付けたね」
「国見さんも絶対につけてな。結構大変なんだぜ? いくつかルールもあったりしてな」
鉄則があるらしい。
被写体を見る時は絶対にレンズ越しでなくてはいけない。
体操選手や競泳選手の時は、極力同性のカメラマンが向かうこと。
同性のカメラマンが不都合で行けない場合は、クラスメイトに限る。
撮影中は撮影に関わる会話のみにする、私生活やその他質問は一切厳禁。
「意外と厳しいんだね」
「当然だろ、カメラマンとしては基本だ。雑誌の撮影なら違うんだろうけどな」
雑誌の撮影の時は、もっと笑ってとか、そんなのが多かったけど。
僕も袖に腕章を安全ピンでとめて、国見さんも同じ様にピンでとめる。
変装も一応しておいた、僕を見つけた高橋さんが逃げてしまわないように。
とはいえ、髪型を変えて、普段着ないサマーセーターを着込んだだけだけど。
国見さんの方はそのままで行くらしい、エナはやっぱり強いな。
「準備出来たよ」
「OK、何度も同じこと言うけど、高橋さんに二人の事は伝えてないからな。急に声を掛けたり、インタビュー撮影前に表に出るのは禁止。事が終わってから二人は来ること、絶対だぞ。それじゃあこの機材持って、あくまで二人は俺の付き添い、その
僕達が飛び出してしまって、撮影自体が全部中止になるのだけは避けないといけない。
園田君にも迷惑をかけてしまうし、学校行事を僕のせいで止める訳にはいかないんだ。
深呼吸してから行こうかな、なんか緊張してきちゃったし。
「失礼します、写真部入ります」
園田君に習い、僕達もお辞儀をして体育館の中へと踏み込む。
体育館の中に入って真っ先に目についたのは、彼女の名前が書かれた横断幕だった。
『オリンピック目指して頑張れ! 競泳二百m 高橋美恵 選手』
横断幕を見て、思わず唾を飲みこむ。
現実味がなかったんだ、オリンピックとか、高橋さんがいなくなるとか。
だけど、横断幕を見た瞬間に感じた……全部嘘じゃない、本当のこと。
「外のフェンスにもさ、何人か同じようなの飾ってあるけど。こうして知ってる人の名前があると、やっぱりなんか違うよな」
「……うん、本当に、凄いと思うよ」
「そうだな……あ、とりあえず奏音たちはそこに
てっきり反射板を持ったりするのかと思ってたら、そこまではしないって。
僕の為にここまで準備してくれたんだな……園田君にはいつかちゃんと恩返ししないと。
「国見さんも、本当、色々とありがとうね」
衝立の裏に用意されていたパイプ椅子に腰かけた国見さん。
足と腕を組み、いつものように僕を見上げる。
「別に、空渡君だけを思っての行動じゃないよ。みえぽんは私にとっても大切な友達だから」
「そうだよね……早く教室に戻って来て欲しいと、心の底から思うよ」
誤解さえ解ければ、きっと前の高橋さんに戻ってくれる。
傷つけてしまった分、誠心誠意謝って、気持ちを打ち明ければ、きっとそれで。
――生徒さん来ました。
――カメラOK、撮影開始します。
それまで賑やかだった体育館が、すっ……と静かになる。
写真部だけじゃない、大人のカメラマンや黒くて大きいマイクを持った人もいるじゃないか。
校長先生が設営された台の横でスタンバイし、今か今かと主役を待っている様子も伺える。
「……校長先生、なに持ってるのかな?」
「水着じゃない? オリンピック強化選手って事は、スポンサーがつくって事だからね」
衝立の隙間から一緒に覗いていた国見さんが、小声で教えてくれた。
スポンサー、つまりあの水着にはどこかの社名が入ってるってこと?
社会的に高橋さんが認められたって事か、凄い、なんだか自分の事の様に喜んじゃうよ。
『どう? 私って結構凄いでしょ? 今度これ着て室内プールでも行こっか? あはは、なんてね。次は度入の水中メガネも用意しないとだね。空綿君も、私が見えてないと不安でしょ?』
頭の中で、彼女が僕に笑顔で語り掛ける。
本当ならこうであったであろう未来が、胸を締め付ける程に痛い。
「失礼します」
どうして僕は今、こんな場所にいるんだろう。
衝立の隙間から見る高橋さんは、大会の時みたいに凛とした表情をしていて。
緊張、しているのかな。
以前に比べて、さらに少し線が細くなった気がする。
「オリンピック強化選手に向けての抱負を、何かお願いします」
「やるからには金メダル、絶対に獲りたいと思います」
「ではもし金メダルを獲ったとしたら、誰に報告したいと思いますか?」
「それは――――、私を育ててくれた両親に、まずは報告したいと思います」
若干の間、高橋さんの性格を考えたら、いの一番で報告を受けるのは僕だったはず。
高橋さんはサプライズが好きなんだよ、こういう場で僕を困らせるのが大好きなはずなのに。
なんで僕は今、高橋さんにあんな言葉を出させてしまっているんだ。
「はい、それじゃ写真撮影します。校長先生と高橋さん、笑顔になって下さいねー」
園田君が高橋さんに近寄って、カメラのシャッターを切る。
フラッシュが焚かれるたび、僕は高橋さんがどれだけ好きだったのかを思い知るんだ。
――次は、僕が彼女を撮ろう。何枚も、何十枚も、何百枚も。
――全て記録に残して、二人で一枚一枚笑いながら見るんだ。
ふいに、高橋さんが園田君へと語り掛ける。
なんだろう? ちょっと、聞き取り辛い。
「園田君、いい写真撮れそう?」
「ああ、俺の腕前は大会の写真で実証済みだからな。安心してくれて構わないぜ」
「そう……じゃあさ、anyanのカメラマンよりも、可愛く撮ってね」
瞬間、高橋さんの視線が、衝立の隙間から覗いている僕を穿つ。
「それって」
「だって、私だって友達いるもん。桜から全部聞いてる。分かってる上で、今ここに来てるから。終わったらちょっとだけ、話し合いしましょ。彼にも言っておいて、伝えたいことがありますって」
伝えたいことって……なんだ。
国見さんを見ると、一人静かに眉根を寄せていた。
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