八月

一週目

 八月の第一週、僕の姿はとある美容室の受付にあった。

 母さんの妹さん、つまり僕からしたら叔母さんが経営する美容室。

 そこの受付に黒いワイシャツとスラックスを着用して、静かに微笑む。


「いらっしゃいませ、ご予約の確認を行います。お名前を宜しいでしょうか?」

「わ……あの、私、貴方にお願いしたいです」

「ごめんなさい、僕臨時のバイトで、まだ美容師免許もない高校生なんです」

「え、そうなんですか? あの、私それでもいいので、お願いします」


 無茶言わないで欲しい、僕が無免許で逮捕されちゃうから絶対に無理だよ。

 しかし、この子も受付から離れないぞ、しかもそれがどこまでも列をなしているじゃないか。

 小夜さや叔母さんめ、こうなるって予見して僕をバイトに立てたんだな?


『奏音! アンタ私の店でバイトしなさい! 受付で笑ってるだけでいいから!』


 先週の火曜日、コンタクト姿の僕を見るなりこう叫んだ小夜叔母さん。

 そんな楽な仕事でいいのって疑問に感じたけど、これのどこが一体楽なのか。

 日給一万って言葉に負けたあの日の僕を恨んでしまう程に、受付が延々と終わらない。

 疲れているのは僕だけじゃなく、従業員のお姉さん方も一緒だ。 


「か、奏音君、そろそろ集客力下げてもいいよ」

「そんな自在に変えられるものじゃないですよ」

「これ、今日中に終わらないよ、予約どころか新規で椅子が全部埋まっちゃってるもん」

「ごめんなさい、恨むなら小夜叔母さんを恨んで下さいね」

「うぅ……店長め、一体どこからこんなカッコいいの連れてきたの」


 身内です。

 従業員のお姉さんたちも、最初連れてこられた僕を見て黄色い声を上げていたけど。

 お昼も休憩すらもない地獄のヘルモードと化した店内を見て、がっくりと肩を落とす。


 ちなみに今日は初日ではない、水木金、既に三日目だ。

 連日連夜この状況で、従業員のお姉さんたちはさぞかし悲鳴を上げている事だろう。

 左団扇で過ごしているのは、小夜叔母さんだけかな。

 

「いらっしゃいませ、ご予約の……って、あれ? 国見さん?」

「……え、あ、わ、空渡君? どうしてここに? それに私の名前……」


 国見くにみ愛野あの、僕の作成した女子リストの一人だから、とは言わないけど。

 それに彼女は可能性のある女子の一人でもある。

 胸ほどの癖のあるセミロングに、細くて身長も僕よりも低い。 

 文芸部な彼女が毎金曜日の放課後に時間があったかどうかは、今のところ不明だ。

 聞けないしね、そういうのエナはきっと嫌がるだろうから。


「ここ、僕の叔母さんが経営してる美容室でね。暇なら手伝えって言われてさ」

「そ、そうなんだ。知らなかった……」

「はい、ご予約確認しました。国見愛野様、カットとセットですね。今のところ予約通りに案内出来るか分からない状況なんだけど、多分三十分もすれば案内出来ると思いますよ」

「わ、分かり、ました」


 他のくだを巻いてくる女の子たちと違って、クラスメイトは楽でいいかも。

 素直に待合の席に座ると、国見さんはスマホを手に取っていじり始める。

 

 このやり取りを見られてたんだろうね。

 予想通り三十分ほどした後、国見さんの番になったのだけど。


「あー、奏音、もう受付チェンジでいいから、ヘルプ入ってあげて」

「はーい」

「あと、同級生のお客様の案内と接客、宜しくね」


 お客様の案内と接客? あ、国見さんか。

 待合室でこちらを見ていた彼女は、真っ白な肌が目に見えるぐらいに赤く染まる。

 

「お待たせしましたお客様、席へとご案内いたしますね」

「はぃ……」


 鳥のさえずりの様な声だな、小さくて今にも消えてしまいそう。

 暖色系のワンピースに腰ベルトだけを付けた格好の国見さん。

 健斗がウチのクラスは可愛いのばかりだって言うけど、本当そうだと思う。


 あまりこちらを見てこないけど、たまに合う瞳は高橋さん並みに大きくて、綺麗だ。

 鏡越しにチラチラと僕を見ては、視線が合う度にさっと逸らす。小動物系かな、可愛い。


「なにか読みたい雑誌とかありますか?」

「あ、い、いえ、スマホ見てますから」

「かしこまりました。サービスで飲み物をご用意いたしますが、どういたしましょうか?」

「え、あ、えっ、えっと……コ、コーヒー、ブラックで……」

「ブラックですね、ただいま用意しますので、少々お待ち下さい」


 初日にしこたま仕込まれたから、ここら辺の接客は慣れたものだ。

 僕が受付から離れるイコールで客足が止まる。

 この不思議な方程式は初日の午後から判明し、それを見た従業員のお姉さんはようやく休めると、ため息と共に安堵するんだ。

 

「お待たせしました、ブラックコーヒーになります」

「……あ、ありがとう」


 静かに口元へとカップを運び、僕の淹れたコーヒーをすする。

 既に何人かのお客様には提供しているけど、クラスメイトとなるとどこか新鮮だ。


「あ、美味しい……」

「インスタントだからね。でも、ありがとう」

「……う、ううん。ね、空渡君って、将来このお店を継いだりするの?」

「さすがにそこまで考えてないけど、もしかしたらあり得るのかもね」

「そ、そうなんだ。凄いね、私は自分の将来とか、全然だから」


 国見さんはエナじゃなさそうだな、もしエナならこんなに緊張したりしないだろうし。

 でも、逆に素顔を見られて恥ずかしいって事もあり得るのかな? 

 プールの時の沈んだ感じ、アレを思い出すと、やっぱりちょっと違うかも。 


「あ、技術者が来たから交代しますね。またね、国見さん」

「う、うん……また、ね」


 小さく手を振る所も、なんか可愛い感じ。

 クラスメイトと会うとは思わなかったけど、美容室だから、そういう事もあるのか。

 小夜叔母さんからは暇があったら全部出勤しろって言われてるし。

 他のクラスメイトに会うこともあるのかな?

 ちょっとだけ、このバイトが楽しくなってきたかも。

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