三週目
一学期最後の週、僕は早速購入したコンタクトを装着し、学校へと行ってみた。
教室に入った途端、それまで賑やかだったクラスが水を打った様に静まり返る。
「空渡君、おはよ」
教室の入口で固まっていた僕に高橋さんが声を掛けてくれたことで、教室に入ってきたのが僕だと分かると、クラスの雰囲気が一斉に元に戻った。いや、騒然となったというべきか。
「芸能人が来たのかと思ったぜ!」
「空渡コンタクトにしてマジ正解だよ。っていうか高橋さんとどんな関係よ?」
「どんな関係も何も、挨拶しただけだし」
やっぱり、男女の壁が厚いクラスは、挨拶だけでもこれなんだ。
高橋さんみたいな女の子じゃなかったら、噂だけで精神やられちゃうよ。
「水泳部の一年エース、人魚姫って言われてる彼女だぜ? 挨拶だけでも恐れ多いわ」
「このクラス可愛い子多いからな、誰が誰と付き合っても僻んじまうが、空渡なら許すわ」
「絶対に勝てない相手って、世の中にいるんだな……負けたぜ、空渡」
高橋さん、そんな二つ名を持ってたんだ。
皆の評価を受けて、エナと高橋さんの言葉が本当だったんだなって、今更実感する。
「ねぇねぇ空渡君、連絡先交換しない?」
「テストでクラス一位だったんでしょ? アタシ勉強教えて欲しいなぁ」
「夏休み入ったら勉強会とかしようよ! 今週末とか時間空いてる?」
休み時間、突然クラスメイトの女子数名に連絡先の交換を求められるも。
「ダメダメ、週末は私とお出かけする約束がありますから」
高橋さんが助け舟を出してくれて、その場を何とか乗り切る場面もあったり。
自意識過剰かもしれないけど、高橋さんがクラスの女子に恨まれたりしないかな。
ちょっとだけ心配。
「ありがとう、こういうの慣れてなくて」
「慣れておいた方がいいと思うよ、多分こんなのじゃ済まないから」
「……そうかな、そんなに長続きはしないと思うけど」
「甘いなぁ、空渡君は甘すぎるよ。この何にもない学校に、突然推しのアイドルがやってきたら、空渡君だったらどう思う?」
推しのアイドルなんていない……っていう話じゃないんだろうな。
僕にとっての推し、そんなの一人しかいない。
「絶対に、意識してしまうね」
「でしょ? 意識だけじゃなく、声を掛けたり友達になりたいって思うでしょ? それがこの学校全女子生徒に当てはまると思った方がいいよ。それがイイっていうならそれでもいいけど、嫌なら私が全部守ってあげるから。遠慮せずに私を頼ってね」
さすがにそこまで……とは言い難い現状が目の前にある以上、高橋さんを頼らざるを得ない。
一から十までお世話になりっぱなして、本当に申し訳ない気持ちにさせてくれる。
「ありがとう」
「……っ、そんな、不意打ちで微笑むの禁止だよ」
「だって、笑顔じゃないと」
「ああん、もう、いいから! ダメって言ったらダメ! 大変な事になるよ!」
何がどう大変なのか、それは身をもって知ることとなった。
廊下を一歩進めば声を掛けられ、教室にいても隙あらば連絡先をとせがまれ。
机の中にはいつの間にか手紙があり、それは下駄箱にもパンパンになる勢いだった。
★
「ごめん、学校だとメガネに戻そうかと思う」
「え、なんで、せっかくコンタクトデビューしたのに」
金曜日、修了式の日。
僕と高橋さんは二人でいつものファミレスへと向かい、そこで僕は思いを吐露する。
「今だって何人が尾行しているか、数えきれないでしょ」
「……まぁ、確かにそうだけど」
少なくともガラガラだった店内が満席になるぐらいには、尾行されていたのだろう。
ほとんどがウチの制服の女子で埋まっているこのレストランは、ちょっと異様だ。
「毎日毎日どこにいても何をしても声を掛けられるんだ。今だって高橋さんいなかったら絶対に誰かが何かしてくる。この前なんか突然腕掴まれて、事務所契約はどこだとか聞かれてさ」
「え、それってスカウトってこと? すごっ、それでなんて答えたの?」
「もちろん逃げたよ。身の危険を感じたから」
「へぇ…………え、明日って、どうするの? やめとく?」
明日は夏休みの初日、高橋さんと二人でプールに行く約束をした日だ。
「約束は破りたくない、高橋さんに沢山してもらったのに、お礼も出来てないし」
「うへへ、ありがと。でも、それじゃプールに行くまでが大変そうだね。あ、分かった、じゃあ私、明日空渡君の家まで迎えに行くよ」
「そんな、僕の家って結構遠いよ?」
「遠いって言っても、バスでしょ? バス範囲なら自転車で余裕に行けるから」
バスで三十分を自転車で余裕と言い切る高橋さんだったけど。
さすがに炎天下でそんな事はさせられないからと、いつもの駅で待ち合わせに変更した。
それにコンタクトじゃなくてメガネで向かえば、今みたいな現状にはならないはずだし。
「ね、これ……私のLIMEのアカウント。連絡先の交換とか、してくれる、よね?」
「あ、うん、約束の時間とか聞かれちゃったら、面倒なことになるかもしれないしね」
周囲を気にしながら差し出されたLIMEのQRコードを、僕は自分のスマホに読み込ませる。
画面には『みえぽん』ってアカウントが表示され、アイコンには猫を抱く高橋さんの姿が。
「みえぽん?」
「あ、あ! そ、それ、わた、私のあだ名で、その、家族にもそう呼ばれてるから、アカウント名も、そのままにしちゃってて、その」
「じゃあ、僕もみえぽんって呼ぼうかな」
「――――ッ! だ、ダメ! それはさすがに恥ずかしい!」
「みえぽん」
「きゃああああああああぁ!」
顔を真っ赤にしながら叫ぶ高橋さんは、思った以上に可愛くて、反応が凄くて面白かった。
LIMEか、エナとも交換出来てたら、どんなアカウントになってたのかな。
……なんて、こんなこと考えてちゃ高橋さんに失礼だよね。
ふるふると顔をフリ、雑念を振り払う。
「……ヤバ、何それ、尊い」
「え? いや、ちょっと頭を振っただけだけど」
「あは、もうね、全部カッコいい、ヤバ過ぎるよ」
にへらって表情を崩した高橋さん。
そこまでかなって思ったけど、彼女がそう思うのなら、それでいいか。
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