四週目

 やっと来たぞ金曜日。

 六月は祝日とかないから、一週間がものすごく長く感じる。 


 このかんにエナからの手紙が何もなかったという事は、練習自体はあるはず。

 高橋さんも僕に気を利かせてくれて、今日は絶対に教室には戻らないって約束もしてくれた。

 

 誤解を解かないと、まずはそれからだ。

 それと結局渡せてないプレゼントも渡さないといけないし。

 包装されたまま、随分と時間が経過しちゃったけど。

 大丈夫、だよね? ハンドクリームだし、消費期限とか多分長いでしょ?


 話題的には、来週から始まる期末テストがメインかな。

 土日挟んで五日間もあるし、きっとエナも勉強頑張ってるだろうし。


 なんていうか、無駄に頑張らなきゃって気持ちにさせてくれる。

 彼氏が馬鹿だと彼女が可哀想……じゃないけど、それに近い感じかも。


 ふふっ、良い点とったら、エナも喜んでくれるかな?

 それとも負けず嫌いで怒ったりとか? なんにしても、早くエナに会いたい。


 メガネを外したままの視界でも、外の風景はなんとなく見える。

 猛暑だからって、屋外での部活は一旦中止になったのかな?

 さっきまで走っていたサッカー部の姿が全然見えなくなった。


 そんなことを考えていた時だ、待ち望んでいた教室の扉。

 それがゆっくりと開く音が聞こえてきたのは。


「やほやほ、二週間ぶりだね」


 変わらない、声を聴いただけで胸が高鳴ってしまう。

 二週間前の土曜日ぶりだけど、エナは何も変わっていないんだ。


「先週も教室まで来たんだけどね、高橋さんがいたから慌てて逃げちゃったんだ」

「そうなんだ、ごめん。なんか僕がはやとちりして、高橋さんのことエナって呼んじゃって」

「へ? そうなの? 高橋さん今週何も言ってなかったけど。なにー? まさか、私達の秘密ばらしちゃった系ー?」


 こういう時は正直に言おう。

 エナに嘘をつく人とか思われたくないし。

 ぱんって両手を合わせて、彼女に対して頭を垂れる。


「ごめん、全部正直に話しちゃった」

「ふふっ、あはは、空渡君らしいね。でも、高橋さんも今日はもう帰っちゃったし、近くには誰もいなかったけど。あれかな、私に気を使ってくれてるのかな……あ、そうそう、今日は報告しないといけない事があったんだ」


 報告しないといけない事って、なんだろう?

 でも、なんでもいい、エナとの会話はとても楽しいから。


「あのね、私に好きな人がいるって、前に話したでしょ?」


 楽しくなさそうな気がしてきた。


「この前ね、空渡君のアドバイス通り、ちょっと接近してみたんだ」

「僕のアドバイス……ああ、あの、認識してもらうっていう」

「そうそうそれそれ、そうしたらね、相手も私のこと知ってたみたいで、今度一緒に遊ぼうってなったんだ。あ、とは言っても一対一じゃなくって、なんかの集まりみたいなんだけど」


 一瞬、目の前がぐらっと歪んだ気がした。

 口の中が乾いて、唾が変な場所に引っ掛かる感じ。


 イイことじゃないか、祝福すべきなんだ。

 元々それが目的のための会話練習だったのだから。


「三年生の先輩だからさ、ちょっと緊張しちゃったけど。でも、空渡君が私の背中を押してくれたから。だから、頑張れた。ありがとうね」

「……別に、僕は」

「空渡君も高橋さんと仲良さそうにしてたもんね。もし二人とも上手くいったら、ダブルデートとか出来そうじゃない? その時かな、私の正体を明かすとしたら」


 エナの正体、そっか、エナが好きな人は、エナの本当の名前で一緒に遊ぶのか。 

 ぼやけた視界じゃなく、鮮明な世界で、映画を見ても気持ち悪くならないままに。


「……いや、それは止めておくよ」


 ただただ悔しい思いをするだけだ。

 それに僕は高橋さんの事を好きだなんて、一度も思った事はない。


 見えもしない視界を細めて、作った笑顔で無理に微笑む。


「この会話練習も止めておいた方がいいかもね。エナとその人が上手くいったら、僕との密会なんて絶対に悪い印象しか与えないし」

「そうかな……でも、空渡君が言うのなら、そうかもしれないね」

「それなりに女子と喋れるようになった気がするしさ、全部エナのお陰だよ。ありがとう」

「そう言われると、なんか照れるね。私なんかでお役に立てたのなら、良かったです」


 視界に入っているけど入っていない君を想いながら、心にもない言葉で終わりに向かう。

 せっかく仲良くなれたんだ、終わりは綺麗なままにしておきたい。

 見えない君を心に焼き付けて、ただただ表には出せないままに。


「まだ、四時半なんだね。なんか今日は時間過ぎるの遅いかも」

「……うん」

「でも、終わりにするのなら、終わりにする。そもそもノート一回写させてあげただけだもんね。それなのにこんなに拘束しちゃって、ごめんね」

「いいよ、僕も楽しかったし」

「私も、この二か月、本当に楽しかった。……ありがとう、バイバイ」


 席を立ったエナが、荷物を手に持って教室を去ろうとしている。

 これが終わったら、もう二度とエナのことをエナと呼べなくなるんだ。


 顔も名前も分からない、同じクラスなのに誰だかも分からない。

 今が終わったら僕にはもう、エナと会う手段は完全に無くなってしまう。

 

「エナ」


 その想いが、思わず声になって出てしまった。

 呼び止めた彼女は足を止めて、僕の方へと振り返る。

 

 分かっていたのかもしれない。

 僕の心が、完全に染まっていたことを。

  

「……ダメ、ごめんね」 

 

 わずかな言葉だけを残して、エナは教室を後にする。

 追いかけるべきだと心で思っているのに、追いかける事が出来ない。

 

 来週からも彼女は教室にいるはずなのに。

 もう二度と、会うことは出来ないんだ。

 

 なぜか潤んだ瞳になって外を見ると、夏の太陽はまだまだ空の上にあって。

 無駄に青い空なんか見えなくてもいいのにと、一人愚痴をこぼす。

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