三週目

 外は雨、だけど僕の心は日本晴れだ。

 なぜなら今日は金曜日、エナとの会話練習の日。

 相も変わらず、顔も名前も分からないままな僕達だけど。


「これがあるから、一週間耐える事が出来た」


 先週の土曜日、エナとのデートの時にもらったプレゼント。

 小さな箱を開けると、そこにあったのは視力検査の『C』が書かれたボールペンだった。

 エナのユニークな所が感じられて、沈んでいた心が一気に復活する事が出来た。


 その日以降、僕はこのボールペンを愛用している。

 男友達からも「ちょ、それやってみ」といいネタにされたりと、中々に好評だ。


 土曜日の最後が最後だっただけに、次があるのか心配だったけど。

 今日までエナからの『練習を終わりにしたい』という手紙はどこにもなかった。


 この一週間、下駄箱に手紙があるんじゃないか、机の中にあるんじゃないかと、どこを開けるにしても生きた心地がしなかった。

 何もない事に安堵して、それがあと四日もあるのかと嘆いた月曜日が、もはや懐かしい。


 とにもかくにも、エナからの連絡はなかったんだ。

 胸を張ってメガネを外して、彼女を待つことが出来る。

 この日の為に用意したエナへのプレゼントも、無駄にならなそうで良かった。


 ……来た。


 雨が窓に当たる音が響く教室に、カラカラと扉の開く音が聞こえてくる。

 視力0.01の僕の眼が、教室に入ってくる一人の女子生徒を確実にとらえていた。


「エナ」


 声を掛けると、彼女はびくっとしてその場に立ち止まる。

 やっぱり、ちょっと印象悪くしちゃったのかな。


「土曜日はごめん、エナのことを考えれば、あの質問は確かにダメだったと思う。お詫びというか、プレゼントのお返しというか。これ、良かったら貰って欲しい」


 包装された小箱を差し出して、頭を下げ続ける。

 でも、なんの返事もないし、こっちに来る足音もしない。

 やっぱり相当ダメだったのかな、どうしよう、心臓が、なんかバクバクし始めてる。


「僕、エナみたいに面白いペンとかは見つけられなかったけど、一生懸命に考えて、エナなら喜んでくれるかなって思って、ハンドクリーム、買って来たんだ。正直に言うけど、前にノートに書いた文字読んだ時に、エナの指だけが見えてね。それがとても可愛……綺麗だったから、多分、こういうのが喜ぶかなと思って」


 常時身につけなきゃいけないアクセサリーとか、部屋に陣取ってしまう人形は重いプレゼントになるから、止めておいた方が良いってネットに書いてあった。

 その言葉を鵜吞みにしつつ、エナなら何を喜んでくれるか必死になって考えて購入したのが、消耗品であるハンドクリームだ。


 これなら最悪、別に捨てられちゃってても消耗品だから問題ないし。 

 ごめんなさいの意図を伝えつつ、僕達の距離感を考えたら、これが一番良い選択肢なはず。


「エナ……?」


 だけど、エナはその場所から動こうとしなかった。

 あの質問はそこまでだったのかな、もう、元には戻れないのかな。


 ただただ黙って彼女からの返事を待ち続ける。

 目が悪い僕には、そこにいるってだけしか認識できないから。


「あの」


 ……ん? エナにしては、声が高い。


「ごめん、なさい。空渡君、誰かと勘違いしてる?」


 え……え、え!? まさか、まさか! ちょ、ちょっと待て、メガネ、メガネ……ああ、ダメだ、信頼の証とか思ってロッカーにしまっちゃったんだ! み、見えない、見えないぞ! 


 ぎゅーっと目を細めて良く見ると……違う、エナじゃない。

 輪郭のうっすらとした違いしか分からないけど、この輪郭はエナじゃない。

 でも、声に聞き覚えがある、僕が聞き覚えのある女子の声なんて、一人しかいない。


「も、もしかして、高橋さん?」

「う、うん。折り畳み傘忘れちゃって、教室に戻ってきただけなんだけど」


 気まずい空気が流れる。

 完全に失敗してしまった。

 会話練習は、僕とエナだけの秘密だったのに。


「もしかして、空渡君って、その、エナって子と付き合ってたり、するのかな?」

「――――、い、いや、違う。エナとはそんな関係じゃなくて」

「違うの? そのボールペンだってプレゼントされた仲なんでしょ? そのお返しに、ひたすら考えて用意したのがハンドクリームな訳だし……ねぇ、空渡君、人間正直な方が楽だよ?」


 エナとは違い、僕の目の前の席に高橋さんは座り込んだ。

 この距離であっても顔認識が出来ないのだから、やっぱり僕の視力は悪すぎる。

 かろうじて認識できるのは、彼女の後ろで二つに分けた髪型くらいだ。

 

「わ」

「……なに」

「え、う、ううん、なんでもない。空渡君って、メガネ外すと全然顔違うんだね」

 

 エナにも言われたけど、そんなにかな?

 視力悪すぎて輪郭が歪むぐらいに度が強いのは確かだけど。

  

「こほん。えと、ちなみになんだけど」

「うん」

「エナって子、このクラスの子なの?」

「……多分」

「多分って、どういうこと?」


 これ、根ほり葉ほり聞かれるパターンか? どうしよう、逃げるにしてもメガネないし。

 土曜日みたいにエナが助けてくれるとは思えないし……万事休すだ。



「そっか、会話練習か」


 結局、全部話してしまった。

 逃げようとしてもメガネないし、逃げられなかったし。


「最近ね」

「うん」

「空渡君が会話上手になったなって、感じてたんだ」


 それは、僕も同じことを感じてたけど。

 エナに伝えたら、彼女はそもそも、僕が喋りやすいオーラを出してるとか言ってたっけ。


「視線とか、話の聞き方とか、なんか前と違うなって思ってたの。緊張……かな? そういうのが私と喋る時にもあったんだけど、最近は無くなってたから、ちょっと気にはなってたんだよね。でも、納得。こんな可愛いことしてたんだね、空渡君って」


 にっこり笑いながら言われると、無駄に照れる。

 雰囲気で察してるだけで、見えてないけど。


「それにしてもそのエナって子、私も誰だか気になるなー」

「むしろ、女子の方で僕みたいに会話が上手になった子とかって、いたりしないの?」

「うーん、いないかな? そもそもウチのクラスって男女の壁厚いから」


 カップルとか一組もいないもんな。

 男女で会話してたら、それだけで噂になっちゃうレベルだし。


「とりあえず、このことは秘密にしておいてあげるからね」

「……ありがとう、ございます」

「いいって、空渡君って、そのエナって子のこと、好きなんでしょ?」


 ぐっ、なんとも、返事しづらい質問をこうも簡単に……っ!


「す、好きというか、知りたいというか」

「相手を知りたいって、最大の好意の表れだと思うけどなー?」


 語尾を上げながら言われると、そうかもねとしか思えない。

 耳までジンジンするぐらいに、なんか恥ずかしい。


「……でも、とりあえず保留にしといてあげる。あ、もう五時半か、帰らないとだね。ごめんね長話しちゃって。もしかしたらそのエナって子も、近くに来てたのかな?」


 近くに来てたかどうか、それが判明したのは、僕が下駄箱を開けた時だった。

 二つ折りにしたルーズリーフ、それを開くとエナからのメッセージが。


『高橋さんとの邪魔しちゃ悪いから、今週はなしにしておくね!』

 

 おいおいおいおい、完全に勘違いしてないかこれ。

 「あちゃー」とか盗み見た高橋さんも言ってるし。


 また来週までお預けか、というか、来週会ってくれるのかな。

 今週よりも更に精神的にキツイ一週間になりそうで、具合悪くなりそう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る