二週目と一日②

 もう広告も終わり、スクリーンには本編が放映されようとしていた。

 そんな中、僕達は自分達の席へと速足で向かい、静かに着席する。


「間に合って良かったね」


 小声で語ってくるエナの言葉に、素直に頷いた。

 予約席だから、見やすくて座りやすい中央列の通路側。

 エナを通路側にして、僕は奥へと座る。

 

 観る映画は、扉を開けてしまった事で異変が起こる、有名監督が手掛けた作品だ。

 笑えるシーンもたくさんあったり、駆け引きみたいのがあって面白そうではある。


 でも、見えない。


 巨大スクリーンだから見えるかと思ったけど、どうやら甘くないらしい。

 しかも、ブレる画面を見続けてしまったせいか、段々と気持ち悪くなっていく始末。

 

 通路側に座っていたら、間違いなく途中で席を立ってたと思う。 

 でも、隣のエナは映画に見入っている感じがしたから、瞼を閉じ我慢を決め込んだ。


「空渡君、途中から寝てたでしょ?」


 映画館を出たエナの最初の言葉が、これだった。


「ごめん」

「私は面白かったと思うけどなー、恋愛にアクションに怪奇に映像美、全部あったと思うよ?」

「……ごめん、途中から、気持ち悪くなっちゃって」

「え、そうなの? なんで?」


 正直に言おうか、ちょっと悩む。

 視力のせいにすると、きっとエナはメガネをかけなさいって言うはずだ。

 そしてメガネをかけるという事は、このデートがお開きになるという意味でもある。

 ……我慢しよう、僕がこの視界に慣れてしまえばいいのだから。


「なんでだろうね、でも、もう大丈夫だから」

「本当? 無理してない?」

「してないしてない、それよりもお昼ご飯にしようか。フードコートでいいよね?」

「あ、うん、大丈夫。……ねぇ、ちょっと待って」


 きゅって僕の服を掴むと、エナはその身を僕へと寄せる。

 顔は見せないように髪でガードしてるけど、それでも近い。


「エ、エナさん」

「さっきから空渡君、フラフラしてて危なっかしいから。見えてないんでしょ、色々なもの」

「……うん、椅子とか、看板とか、あまり見えてない」

「映画館に向かう時だって何回もこめかみ摘まんだりしてるし。無理してるなら無理なんだってちゃんと言ってね? 君の視界は、君にしか分からないんだから」


 僕の左腕に絡まるようにして歩くエナは、なんだかとても柔らかかった。

 肘に当たる感触とか、彼女の体温とかで、意識が逆に朦朧としそうになる。


 彼女の頭のてっぺんが見える……ということは、身長差がそこそこあるんだ。

 エナの髪、ちゃんと編み込まれていて、綺麗にまとまっている。


 洋服もそうだ、近くに来てくれたからはっきりと分かる。


 夏だからって薄い一枚とかじゃなくて、羽織るタイプのオレンジ色したカーデガンに、白系のトップス、下はフレアスカートっていうんだっけ? 最近韓国系で人気のある、明るい青色をした短めのスカートだ。

 

 ちゃんと準備してから来たって言ってたもんな。

 誰の目を意識したファッションなのか気になるけど、それでも嬉しい。


「座ると落ち着くね」


 フードコートはお昼を随分と過ぎていたからか、席は余裕でとることが出来た。

 注文も僕じゃろくに読めないから、エナが全部代わりにしてきてくれて。


 面倒見もいいし、きっと彼女になったのなら、一緒にいて楽しいんだろうな。

 違う事がこんなにも悔しいって思えるのは、何とも言えない気持ちにさせてくれる。


「あはっ、やっぱり、それってクセになっちゃうものなの?」


 かけてないメガネのブリッジを押し上げようとした僕を見て、エナが微笑む。


「メガネは身体の一部って、よく言うから」

「私が言うのもなんだけどさ、空渡君、絶対コンタクトにした方がいいよ」

「……そうかな」

「うん、マジ別人。あり得ないぐらいカッコいい。映画館でもナンパされちゃうぐらいにいはカッコいいよ。一緒に歩いて一体何人の女の子が振り返ったか、空渡君、気付いてないでしょ?」

「見えないから、分からないよ」

「その見えないっていう瞳が、また優しそうでイイんだけどね」


 メガネを外して何も見えない方が良いって言うのは、褒められてるのかな。

 苦笑と共にハンバーガーを頬張る、すると口端からレタスをボロボロと落としてしまった。


 ハンバーガーって、メガネがないとこんなにも食べにくい食べものだったのか。

 ポテトも見えないから適当に手を出して、感触だけで判断してつまむ感じだし。


「ほら、落としてるよ」

「ごめん、見えなくって」


 落ちたレタスがどこにあるのかも分からない。

 動いたらドレッシングとか更に撒き散らしちゃいそう。


「世話が焼ける人だなぁ、拭いてあげるから、眼を瞑ってて」


 洋服を拭いてくれる感触、いつもとは違う良い香り。

 考えちゃいけない、求めちゃいけないって分かってるけど。

 

 僕は、エナが誰だか知りたい。


 洋服を拭いてくれてる今なら、瞼を開ければさすがに誰だか分かると思う。

 顔と名前も分からないままに仲良くなっても、それって意味があるのかな。


 エナは、僕が空渡奏音かなねって分かって接しているけど。

 僕にはエナが誰だか分からないんだ。


「はい、終わったよ」

「ありがとう……」

「映画も観たし、ご飯も食べたし。今日はお開きにしよっか」


 多分、僕の気持ち悪いの原因を、エナは分かっていたのかもしれない。

 このまま一緒にいても、僕の症状は悪化するだけだ。


「じゃ、また学校でね」

「うん」

「……あ、でもその前に」


 駅に到着してすぐお別れかと思っていたら、彼女は自分のバッグの中から何かを取り出した。

 なんだろう、良く見えないけど、エナの手の上に何かある?


「目、瞑ってもらえる、かな」


 素直に従うと、彼女は僕の手の上に何かを置いた。

 細長い箱かな? なんだろう、これ。


「まだ、眼を開けちゃダメだよ」

「うん」

「えっと、一応ほら、練習始めて一か月になる訳じゃない? だからそのお礼も込めて、一か月記念として私からのプレゼント。あ、まだダメ、三十秒だけ数えて、その間にいなくなるから」


 プレゼント? 僕は何も用意してこなかったのに。 

 今すぐ目を開けたいけど、開けたら終わる。

 でも、まだ目の前にいるはず、だから。


「エナ」

「…………なに?」

「どうして、僕はエナのことを知ってはいけないの?」


 知りたい、エナが誰なのか。

 こんなにも仲良くなったのに、僕はエナについて何も分からないんだ。

 

 顔と名前を知ったからと言って、クラスで公表さえしなければ、今のままでいられる。

 練習の時に僕がメガネを外せばいいだけ、それだけ守れば問題ないはずなんだ。


 ――けど。


「……ダメ。だって、私が誰か分かったら、絶対好きになっちゃうから」


 膨らんでいた感情という名の風船が、一気にしぼむ。

 エナの言葉が、僕の胸に突き刺さった。


 確かに、エナの言う通りだ。

 これでもしエナがクラスの誰か分かってしまったら、僕は間違いなく意識してしまう。


 頭の良いしっかりした子だっていうのは、分かっていたことじゃないか。

 防衛線を予め張っておいただけのこと。

 僕の視力が悪いというのは、互いの都合の良さでもあるんだ。


 もう側にいないであろうエナに対して、僕は一人ごとのように「分かった」と口にする。

 心に抱くのは失恋の味か、それとも来週への不安か。

 望むべきは、これまでと変わらないエナとの日常を、拳を握り締め、ただ一人欲する。





★エナ★


 勝手なことをしてるって分かってる。

 でも、空渡君が私が誰かを知ってしまったら、教室とかで微笑まれでもしたら。


 多分、私の心がもってかれちゃうから。


 一週間、その時間が、私の好きを変えないでいてくれている。

 その時間が、私を私のままでいさせてくれてるから。

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