六月

一週目

 エナさんとの会話練習が始まって丸一か月が経過した。

 季節は夏に突入する、つまりは衣替えの六月ともいえよう。


「やほやほ、廊下は暑いね」


 ぱたぱたと手団扇てうちわしながら教室に入ってきたエナさんも、同様に夏服だ。

 真っ白なブラウスに短めのスカートは、男子の視線を無駄に意識させてしまう。

 とはいえ、僕には最強のアイテムがある。

 デバフとも言える視力0.01、あらゆる言い逃れを破棄してしまう僕の視力。

 こうして目の前にエナさんが座っていても、視線の置き所が困らないのだから、本当に頼りになる。


「今さ、空渡君ってどこ見てるの?」

「どこ……って言われると、何とも説明し難いんだけど」

「全部が滲んでるけど、なんとなくは分かる訳でしょ? 色とかもさ」

「それは分かるけど、でも、細かいのは全然だよ? だからどこって言われても、エナさんを見てるとしか言えないんだけど」

「ふぅん、じゃあさ、これはどういう風に見える?」


 彼女の手がブラウスのボタンをいじっているのは、なんとなく分かる。

 残念ながら手は分かるけど、指までは認識できない。

 上から三個ほどボタンを外すと、エナさんはブラウスの襟を持って「ほい」って広げた。

 広げた……んだよな? なんか、白いシャツが見えるけど。


「ほら、解説しないと」

「え? あ、うん。えっと、エナさんがブラウスのボタンを三個くらい外して、中に着てるシャツを見せてくれてる。Tシャツかな? 柄とかは全然分からないけど」

「あ、やっぱりそういう程度にしか見えないんだね。正解は、タンクトップを見せている、でした!」


 タンクトップ? タンクトップって、タンクトップか? 

 え、タンクトップって下着の一種じゃないのか⁉ 

 

「そ、そんなの僕なんかに見せて大丈夫なの⁉」

「見せても平気でしょ? だって見えてないし」

「見えてないけど見えてるんだよ、女子の下着とか、生まれて初めて見たし」


 もしかしたら、エナさんはタンクトップのことを下着とは思わないのかもしれないけど。

 僕にはそうは思えないよ。


「耳まで真っ赤にして、可愛いね」

「エナさんが悪いんだから、ほっといて欲しい」

「あはは、からかい甲斐があるなぁ、空渡君は。もちろん、タンクトップの下にブラつけてるけど、さすがにそっちは見せられないよ」

「どうせ見せられても見えないですけどね」

「見てみたいの?」


 すん……って、なんか空気が固まった。

 どういう意味だろう、見てみたいかどうかって言われたら、そりゃ見てみたい。

 でも、そういうのって男女の友情を壊す様な気がするし。


 ちょっと、いや、かなり悩んだあと、僕はエナさんにこう言った。


「……やめとく」

「どうして?」

「見たら、今のエナさんとの関係が終わっちゃいそうだから」


 正直な気持ちを、そのまま伝える。


「会話練習にしか過ぎないけど、この空間はとても居心地がいいから。毎週毎週時間が過ぎるのがあっという間に感じてしまう程に、僕もエナさんと過ごすこの時間が楽しみなんだよ。だから、そんなので終わらせたくない」


 見えない瞳でまっすぐにエナさんを見る。

 一体いま彼女がどんな顔をしているのか、僕には分からないけど。

 数舜して、エナさんはちょっと俯いて返事をしてくれた。

 

「……うん、そだね、ごめん、私の方が変なこと言った」

「謝る必要なんてないよ、タンクトップに反応した僕も悪いし」

「ううん、なんか空渡君なら大丈夫って、頭のどこかで思っちゃってたっぽい」

「それは、信頼してくれてる証拠として、ありがたく受け取っておくけど」

「私も空渡君とのこの時間を失いたくない……本当にごめんね」


 なんか、しんみりしちゃってる。

 別に謝って欲しい訳じゃないし、空気変えないとかな。


「そういえばさ、僕の見たい映画が明日から公開するんだよね」

「……そうなんだ?」

「うん、絶対に面白いから、エナさんも観てくれたら嬉しいかも。女の子が主人公のアニメなんだけど、感動系の映画だから、エナさんでも観れると思うし」

「じゃあ、それ、一緒に見に行こうか」


 一緒に、見に行く?

 僕が、エナさんと?

 

「明日なら私も用事とかないし、時間あるから」

「……え、でも、僕、メガネ」

「あ、メガネは無しでね。あ、でも、それじゃ映画なんか観れないか」


 土曜日も、エナさんと一緒にいられるってこと? 

 それって、デートってことなんじゃないの?

 僕とエナさんが、二人でデート。


「……いいよ、行く」

「え、だって、メガネなしだよ?」

「耳があるから、それに映画って大スクリーンだから、多分見える」


 一秒でも一緒に長くいられるのなら、いたいから。

 そう考えてしまうのは、なんでだろう。

 エナさんには好きな男がいるのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る