二週目
金曜日の放課後って、教室から人がいなくなるのが早い。
部活に向かう人達はとっとといなくなり、部活がない人達もとっとと家に帰る。
男友達にゲームに誘われたけど、それだって帰宅してからの話だ。
つまり、友達がいようがいまいが、教室に残るなんて選択肢は普通しない。
本当に来るのかな? 一抹の不安と共に、メガネを外して箱に収納する。
しばらくして、静まり返った教室の扉が開く音が聞こえてきた。
「お待たせ! 友達まくのに時間かかっちゃった」
ぱたぱたと駆け寄ってくる制服姿の彼女は、僕と一個離れた席に荷物を置いた。
「……そっち優先じゃなくていいんだ?」
「今はね、空渡君との会話練習の方が大事だよ。それに約束していきなり放置とか、空渡君良い人だし、ずっと待ってそうじゃない?」
「そんな訳ないよ、僕だって放置されてたら帰るし」
「そう? でもここにいてくれたじゃない。結構時間経ってるよ?」
腕時計に目を近づけると、午後四時四十五分。
学校が終わって四十五分も経ってたのか。
「一時間くらいは普通に待つし」
「やっぱり、良い人だね。私の友達なんか十分も待ってくれないんだよ? 酷くない?」
「それはさすがに酷いと思う」
「でしょー? でもま、一緒にいると楽しいから、許しちゃうんだけど」
……それにしても、やっぱり見えない。
視力0.01以下の僕の視界は、人がいるという認識は出来るけど、詳細が見えないんだ。
目を細めれば見えると思っていたのは、小学生の頃まで。
乱視も加わった僕の視界は、眼を細めた程度では何の変化も起こさない。
「とりあえず、ノート先に返しとくよ」
「あ、うん、ありがとね。受け取るから、眼を瞑っててよ」
「別に……瞑ってなくても見えないし」
「そうなの? ちなみになんだけどさ、具体的にどれぐらい見えないものなの?」
「具体的にっていうと、今、二つ前の席に君が座っているのは分かる」
「ふむふむ」
「他にも、髪の長さも分かる。肩のちょっと下くらいまでの長さでしょ?」
「うん、そだね、なんだ、結構見えてるんじゃん」
「でも、輪郭とか、眼とか鼻とか、そういうのは完全にぼやけてて分からない」
「え! じゃあ、のっぺらぼうって感じなの⁉」
「……そうだね、肌色の何かだよ」
なんだか喜々としならが「へー! すごーい!」とか言ってるけど。
「じゃ、じゃあさ、一回視力検査してもいい?」
「……どうぞ、多分、想像以上だと思うよ」
鞄からノートを取り出して、彼女はそこに幾つかの『C』を書いたのだろう。
だろうと付けたのは、見えないからだ。
「はい! これはどっちを向いているでしょうか!」
「分かりません」
「……え? ふざけてる? 一番上の大きいのだよ? ノートの半分使ってるんだよ?」
「だから、分かりません」
「うそ、え、じゃあ、これは?」
ぐりっとノート一面に何か書いたっぽいけど。
「見えないよ」
「えー!? だって、これ、こんなに大きく書いたんだよ!?」
「具体的に言うと、何が書いてあるのか分からない」
「え、え、え!?」
「真っ白なノートにしか見えないよ」
「うそ、じゃあこれは⁉」
「だから見えないって、文字なんかもっとダメだよ」
「えー! すごーい!」
何がそんなに凄いのか。
細かいものは本当に何も見えないんだ。
「じゃ、じゃあさ、ちょっとだけ近づくけど、私が誰かは見ないでね」
「……では、僕は何を見ろと」
「このノートに書かれた文字が読める距離が知りたいです」
ノートに書いてある文字? 何か書いてあるのか?
ノートを手に取った彼女は、席を立って僕にゆっくりと近づいてくる。
「私見ちゃダメ」
「……はい」
ノートに集中するか。
罫線すらも見定める事が出来ない、何が書いてあるんだ?
「まだ、読めないの?」
「うん」
「え、もう、三十センチくらいだよ?」
「滲んでて読めない」
「うそ! じゃ、もうちょっと近づくからね」
段々と近づいてくるにつれ、先日と同じ香りが漂ってきた。
香水? いや、制汗剤かな。今日体育あったし。
「まだ読めないの?」
「……段々と読めてきた。えっと、来週もお願いね?」
「せいかーい! 凄いね、拳一個分くらいの距離でやっと読めるんだ!」
目が疲れた、メガネ外した状態でノートを見るなんて、あまりしたくないな。
ふぅって目頭を押さえていると、キンコンカンコンとチャイムが鳴り響く。
「あ、もう五時半になっちゃうんだ」
「そろそろ帰らないと、先生が見回りに来る時間だね」
「うん、なんか、時間過ぎるの早く感じちゃった。今日はありがとう、また来週も宜しくね!」
ノートを回収して、荷物を持って彼女は走り去っていった。
約束通り三分してから、僕はメガネを取り出して、誰もいない教室を一人眺める。
文字は読めていなかったけど、指は見えてたんだよね。
ネイルでもしてれば誰だか判別つくんだけど、そんなの学校にしてくる訳ないし。
「でも、可愛い指だったな……」
指で可愛いって、どんなのだよってひとりごちながら、僕も荷物を持って教室を後にする。
また来週か、次はどんな会話をするのかな。
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