第6話

 ステージに立つ彼女は、とても大きく見えた。


 クラブ「モンタナ」のフロアは、我々を含めて満席だった。


 皆、彼女の歌を聴きに来たらしい。


 生バンドを背に歌い始めると、私もすぐ彼女のファンになった。


 ミドルカットのブロンドと、ステージ用の濃いメイクがスポットライトに映え、小柄で華奢なその身体から迸り出るような歌声は、多分私より一回りは若いであろうその年齢を忘れさせた。


 ジェシィ・フロリアン。


 それが彼女の名前だった。


「どうかな、彼女の歌は?」


 ニッコリ微笑み、ブリュエット氏が訊いた。


 とっておきの酒の味を尋ねるのにも似ている。


「客の顔を見た方が早いでしょう。もちろん、言うことなしです」


 両隣の客は、飲み物にも手をつけず、食い入るようにステージに見入っている。


「あれが、その友人の娘でね」


 彼の目は、私を通り越して、どこか遠くを見つめているようだった。


「ジェシィの歌は素晴らしい。実は、先月あるオーディションに合格したんだ。近くレコードも出る。そうなれば、もうこんな場末で歌うこともない。ブロードウェイの大劇場が彼女を待ってる」


 ブリュエット氏の口調に熱がこもった。


「それが友人と彼女の長い間の夢だった……いや、もう夢なんかじゃない。ジェシィにはそれが出来るんだ!」


 彼は、テーブルの上で両腕を激しく振り回した。


 ジェシィの歌が終わった。


 フロア全体が地鳴りのような拍手と喝采に包まれ、その瞬間、ブリュエット氏の動きが止まった。


 ガクッと肩を落とし、両手で顔を覆う。


「すまん、取り乱してしまった……だから、今はどうしても店を手放すわけにはいかないんだ」


 私は肯いた。


「連中がジェシィに手を出さんうちに、脅迫をやめさせて欲しい。彼女にはまだバニヤーのことは何も話しておらんのだ」


「拳銃が要りますね」


「あるいは、厄介事になるかもしれん。どうだ、やってくれるかね?」


「わかりました」


 次のナンバーを歌い始めたジェシィを見ながら、私は言った。


「どうあれ、彼女のレコードを買う楽しみがなくなるのは困りますからね」


 ブリュエット氏が微笑んだ。


 他の客たちも、皆にこやかに談笑している。


 私だけが笑わなかった。

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