第3話
私は相手の動きから目を離さぬよう、慎重にテーブルの陰から出た。
「紹介するよ。こいつが店のバーテンでサム。俺の友人だ」
「よう、手伝ってやろうか」
カウンターでのびている若者の頭を撫でながら、サムがニヤニヤしている。
「まあ見てろって」
私は足元に転がっている拳銃を壁際へ蹴飛ばした。
「今宵はリングサイドへ御招待だ」
「バカめ。このままですむと思うのか」
スーツの男はサウスポーのファイティングポーズをとった。
軽やかなフットワークに、隙のないガード。
相当な実力とみた。
マシンガンのように繰り出される相手の右を上体をそらしてかわしながら、私はボディへ左拳を叩き込んだ。
前かがみになったところへ、右フック。
これは肩でブロックされた。
がら空きになった私の顔面へ、強烈な左ストレートが飛び込んだ。
冗談抜きでフロアの隅まで吹っ飛ばされ、カウンターのスツールで背中を強打して呻いた。
「やっぱ手伝った方が良さそうだぜ、こりゃ」
顔を上げると、サムがカウンターの中から見下ろしている。
「見物人は引っ込んでろ」
私は歯軋りをして立ち上がり、闘犬のように首を振った。
「人の親切は受けるもんだ」と、スーツの男が自信たっぷりに言った。「言い忘れてたが、俺は現役のボクサーだぜ」
私は両脚の平衡感覚が戻るのを待って、慎重に間合いをつめていった。
一発くらったおかげで、眠りかけていた闘争心に火がついた。
敵との間隔を一定に保ち、小刻みにジャブを放つ。
相手がじれて間合いをつめようとするたびに、私は脚を使って逃げ回った。
そうしてるうちに、男のフットワークが鈍ってきた。
思ったとおりだ。
私は胸の内で快哉を叫んだ。
相手の動きが鈍ったのを見計らい、私は顔面めがけて左拳を突き出した。
男は定石どおりにガードを上げ、肩でブロックしようとする。
脇腹の空いた一瞬がチャンスだった。
私は左をスルーしてそのまま身体を回転させ、そこへ後ろ回し蹴りをぶちかました。
サンドバッグをバットで殴りつけたような鈍い音がして、男は後ろの壁に激突し、そのまま床へ崩れ落ちると、もう動かなかった。
「ノックアウトか。今すぐタイトルマッチに出られるぜ」
サムが陽気に囃したてる。
私は息を弾ませながら、カウンターへ突っ伏した。
「よせよ。あれが現役のボクサーでなきゃ勝てるもんか。奴らの試合にはルールがある。三分闘えば一分休める。だが、俺の仕事にルールはない。それだけだ」
私はサムにのびている若者のサングラスを取って見せた。
「この顔に見覚えは?」
サムは肯いた。
「二ブロック先のパブの用心棒だ。名前は、ヘンチだっけかな。金次第で何でもやるチンピラだよ」
言いながら、のっそりとカウンターから出てきた。
193㎝の長身だ。
若い頃は同じジムに所属するプロボクサーだったが、どういうわけか私が引退すると同時にやめてしまった。
以来、ここでバーテンをしている。
カクテルの味も客あしらいも、腕っぷし同様確かだった。
「何だってそんなとこへ隠れてたんだ?」
「ヘンチと奴が来て、お前がいるかと訊いた」
胸辺りまでしかない私を見下ろし、サムは言った。
「ヘンチの尻が膨らんでたんで、銃を持ってるとわかった」
「なるほど」
「助けがいるだろうと思ってな。カウンターの下に隠れてたんだ」
この大男が小さくなって息を殺しているのを想像し、私はつい噴き出してしまった。
サムが床に転がっていた拳銃を拾い、壁にもたれてぐったりしている男の方へ近づいた。
「こいつは知らないな。この辺じゃ見ない顔だよ」
「大方想像はつく」
「ああ。昨日の今日だ、のんびり構えちゃいられない」
やがて、スーツの男が息を吹き返した。
どんよりした瞳が私を見、サムを見、最後に拳銃に注がれて止まった。
「あまり良いお目覚めじゃないが」
私は手近な椅子を引っ張り出し、男の前で腰掛けた。
「質問に答えてもらおうか。何の目的で、どこへ連れて行こうとした?」
問いが終わらぬうち、男は突然けたたましく笑い出した。
気が触れたわけでもなさそうだ。
銃口を向けられたまま、彼は壁伝いにゆっくりと立ち上がった。
「これですんだなどと思わんことだ。どうせ後悔することになる」
「覚えておこう。さてと。サム、こいつをブリュエットさんのところへ」
サムは男の背後へ回りこみ、拳銃を構え直した。
「ヘンチはどうする?」
「そいつは近くで雇っただけだ。何も知らんよ」と、男は嘲るように言った。
「ほっとけ。さあ、行こう」
我々は店を出た。
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