第20話 さらば、希望

「退いてろ。火の手が回るのも時間の問題だ」


 ジェイドが吹き飛んだ方を見据えて、アルデは急かす。

 先の爆発で生まれた煙のせいだろうか、心なしかアルデは息苦しそうにしている。


 身体から放たれる蒸せるような蒸気もおおよそ彼の身に起きている異常を示しているのだろう。

 だが、イトはその背中に手を伸ばすのをやめ、毅然とした態度を装い報告する。


「みんなを、起こしてきます」


「頼んだ。ちょっとそこまで手が回りそうにない」


 アルデの視線の先で床板が爆ぜる。

 高貴な礼服に付いた木屑を払いながらジェイドは涼しげな顔で進み出る。


「アルデ、久しいな」


「5年前の仇討ちに顔が見えねぇと思ったらまさか魔王に付いていたとはな。ルイルが聴いて呆れるぜ」


「貴様がその名を語るか……」


「行けッ!!!」


 アルデの号令に合わせて、直近で倒れているオズとライサを抱き抱えるイト。

 全身の筋肉を使うようにしても意識のない人2人は同じ重さの砂袋ろと変わらないくらい重たく、持ちづらかった。


 なんとか2人を肩に担ぎ、その場を離れようとしたその瞬間、背後からの衝撃に背を押される。

 振り返ると、そこではあの燐光を纏ったアルデと修羅と化したジェイドが組み合っていた。


「チッ、老体のくせに馬鹿みてぇなパワーしやがって」


「貴様こそ、勇者の力でようやく私と張り合えて満足か」


「え——」


 今、ジェイドはなんと言ったか。『勇者の力』? そんな馬鹿な。勇者の力は兄・ルイルが死去したことで次に継承などされなかったはず。


 この世界中で勇者の力を持っているなどあり得ないのだ。


「なにしてる! 早くしろ!!!」


 鬼気迫る様子のアルデの怒号にイトは一時意識を切り替え、自分のやるべきことに集中する。

 

 ◇◇◇


 イトが戦闘の余波に当てられない場所まで逃げおおせたのを確認して、アルデは組み合っていた腕を離し、飛びすさりながら回し蹴りを放つ。


 対するジェイドはその恐ろしい勢いの一蹴に、まるで蚊を潰すかの如く手を打ち鳴らす。

 音とほぼ同時にその数十倍の振動が空気に伝わり、発火。


 ジェイドの周りに咲いた紅の華。


 そこから放たれる熱波にアルデの鋭い蹴りは押し戻される。


「ぐっ……」


 熱波に煽られた脚を庇うようにアルデは地を転がり着地。

 蹴りを放った右脚のスラックスは焼け焦げ、アルデの脛は真っ赤に腫れ上がっていた。


「【豪炎】……厄介な術式だ」


「ルイルと張り合うことができた誇り高き術式だ。お前程度のお荷物に超えられる壁ではない」


「それはどうか——なッ!」


 アルデは全身に青白い燐光を纏い、トップ・ギアでジェイドの視界から消える。


(【解放リリース25%クオート】)


 ソラリスと数百の魔物の群れを瞬殺したアルデのとっておき。

 全身を巡るエネルギーの循環速度を速めることで時間当たりのパワーを増幅させる。


 先ほどまで打ち合っていた10%と見比べるジェイドにとってこの落差は急に付いて来れるものではないだろう。

 アルデはそう踏んで一直線にジェイドの背後をとると、壊れかけの右脚をギリギリと踏ん張り、再び駆ける。


(ほう、組み合った時のが許容上限ではなかったか。となるとアルデのことだ、私にその力の天井に慣れられる前に最大限の力で攻めて来るに違いない。つまり、最大出力での背後からの奇襲だ)


 ジェイドは瞬く間にそう判断し、振り返る勢いを利用し、背後に腰の入った力強い拳を繰り出す。


「ハッ!」


 粘つく空気をつんざいて放たれたジェイドの拳。

 その勢いは眼前の空気を震わせる、脚を引き絞るアルデに巨大な火炎の拳として襲いかかる。


 が——。


「読んでるよッ!」


 アルデはそのまま迫り来る炎に突っ込み、ランデヴーの直前で思い切り右腕を振るう。

 そこから生じる突風が空気の粒子を揺らがせ、ジェイドの焔が拡散する。


「むっ——」


 スクリーンのように目の前を覆い隠す炎を煩わしそうに睨むジェイド。

 しかし、一向にアルデの姿が見えない。


「どこに——」


 突如、ジェイドの頭上が崩壊し、青白い光と共にアルデの踵が降り注ぐ。


「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」


「んグゥッ……」


 手を叩く暇がなかったのだろう。

 ジェイドは諸手を交差させてアルデの蹴りを受け止める。


 激しい衝撃が


「終わりだ」


「なにッ⁉︎」


 アルデの顔から表情が消えると同時に、足元を中心に周囲が爆発。

 四方八方からの爆風に弄ばれ、アルデは宙を舞い、地面にバウンドする。


「ぐはッ……テメェ……なにしやがった」


「なにもしていない……と言えば嘘になるが、君の勘違いだ」


 眉を寄せ、身体中から蒸気を発し苦悶の表情で地面を這うアルデを焼け付くような眼差しで見据える。


「その脚、もうまともな移動は無理だろう。冥土の土産だ。教えてやってもいい、が。先にお前から聞き出さねばならないことがある」


「ぐっ……ああぁぁ……」


 アルデの喉を鷲掴みにし、壁に叩きつけるジェイド。


「言えッ! 何故だ……何故ルイルを捕食した……」


「はぁ……はぁ……この期に及んでそんなことかよ」


「減らず口だな」


「ハッ……ぐぁぁぁぁぁぁぁぁァァァ……ッ!!!」


 首周りの空気を震動させ、外の皮から徐々にアルデの首を焼く。

 脳につながる太い血管が熱され、血液が沸騰に向かって走り始める。


「はぁ……はぁ……、欲しかったんだ!」


「なにを」


「勇者の地位だ! 国中から持てはやされてその武勇を何世代にも渡って語り継がれる勇者に……俺もなりたかったんだ!」


「そんな身勝手か……」


「ああそうだ」


 不意に、ジェイドの手が緩みアルデは冷たい床に落下する。


「ゲホッゲホッ……はぁ」


 熱された空気と同時に充満し始めた煙を吸い込んでしまったのか、呼吸が浅い。

 虚空を見つめながらジェイドは零す。


「きっと何か、理由があると信じていた」


「はぁ、はぁ……嘘こけよ」


「真実だ。俺以外はみな、お前のことを信じ、戦い……去って行った」


 その目は今ここにある戦いを見透かし、在りし日を眺めていた。


「俺は……私だけが貴様を信じられなかった。それだけの理由で同じ釜の飯を喰らった仲間と対立し、歪み合い、そしてひとり、手にかけた」


「……」


「誰も私を責めなかった。そこから堕ち続ける以外の道筋を失った私の中に、たったひとつ己の過ちを責める声があった。お前の信頼が招いた事態だと。貴様を信じ、貴様の助けになるような行動を皆と共に起こしていれば事実が明るみになり、グレアも死なせることはなかったのではないか……。そんな世界線があることを、期待していたんだがな……」


 ジェイドの焦点が現実に合わされる。


「アルデ、死刑だ」


 ズン、と大きく脚を踏み鳴らすジェイド。

 それに呼応するかのように木屑と共に焔が舞い上がり、やがて4つの火球を形成する。


「お前は間違えた。——ルイルもグレアも生きてる世界線なんてどこにもねぇよ」


「いっそ清々しい。上出来だ」


 ジェイドの指揮で火球は違うことなくアルデを穿つべく、縫うように中空を駆る。

 けたたましい轟音と共に校舎の北半分が焼失する。


「さらば、希望」

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