第16話 因果

 アルデは本当に勇者ルイルを殺したのか。

 どこからともなく流れた噂に対するこの問いはこれまで国中で幾度となく繰り返されてきた。

 彼の素性を知る勇者パーティのメンバーや時の女王ユニス五世は彼のために必死の擁護に回ったりもしたが焼石に水。


 実際、ルイルの遺体は見つかっていたのだがその損傷は激しく、アルデがルイルを殺したという物理的なあ証拠はもちろんのこと、ルイルにその命を助けられパーティ入りを果たしたアルデがルイルの命を奪う動機も見当たらなかったため五年前のルート王国では国中を巻き込んだ水掛け論へと発展していた。


 勇者ルイル自殺説、ルイル魔王城に着く前に敗北説、王家の陰謀説などなど。

 様々な憶測が飛び交う中、現在アルデが『勇者喰らい』として認知されている最大の原因、それを作り出したのは他でもないアルデ自身だった。


 ルイルの遺体が見つかってから半年後。

 突如として女王ユニスの定期演説に単身乗り込み、こう宣言したのだ。


「俺こそが勇者ルイルを殺害し、その肉を喰らった英雄だ」


 それを皮切りに国内の主張は一気にアルデを『勇者喰らい』とする論調一色に染まり、現在に至っている。

 故に、アルデはこう断ずる。


「ああ、俺が殺した」


 冷たく言い放つアルデに一瞬、虚をつかれたような様子を見せたイト。

 しかし、怯むまいと拳を握りアルデの部屋に一歩踏み込む。


「そう言う割にはわたしたちを鍛えたり楽園創造教と戦ったり、それにユニス先生と親しそうにしてたり……不自然な部分が目立ちます」


「だから言っただろ? 俺はお前らを育て上げて汚名を払拭し、ルイルのことなんか忘れて穏やかな生活を取り戻したいのさ。お前らを鍛えるのも楽園創造教を叩きのめ

すのも全てはその作戦の内だ」


「それだけじゃユニス先生がアルデさんの味方をする理由がわかりません」


「……それは」


 言い淀むアルデは視線を右上の中空に彷徨わせる。


「……言いたくはなかったんだが……俺とユニスは昔恋人同士だったんだよ」


「嘘ですね」


「マジだ」


「これ、そこら辺の新聞社に漏らしたら王室大荒れの大スキャンダルになると思いますが?」


「嘘だ。ったく参ったな……」


 困り顔で頭を掻くアルデ。

 しばしの沈黙の後、言葉を選ぶようにして慎重に話し始める。


「俺はルイルを殺しちゃいない。ルイルは最期まで俺を守って死んだよ」


「……そう、ですか」


 アルデの言葉を噛み締めるようにゆっくりと深呼吸をするイト。

 そして、緊張が解けたのか身体をゆらりと傾がせると震える声で胸を撫で下ろす。


「よかった……」


「は?」


「『は?』じゃないですよ、まったく。ドキドキさせないでください。本当に紛らわしい」


「お前、いつから気づいてたんだよ」


「ソラリス=エルドベルトがわたしを攫いに来た時です。勇者の妹なんてどう考えてもいなくなったほうがスムーズにことを運べるのにわざわざわたしを助けに来ましたよね? あの時は動揺して貴方に当たり散らしてしまいましたけど、冷静に考えてみればわかることです。まぁ、明確な証拠とかはなかったのであとは女の勘ってやつです」


 安堵からかいつもより饒舌なイトにアルデは釘を刺す。


「他の奴には、言うなよ」


「何故ですか?」


「……ちょっとした事情があるんだよ。安心しろ、別にお前らに不利に働くようなものじゃねぇ」


「教えてはくれないんですね」


「ああ。これから大事な作戦だ。このタイミングで変な情報を頭に入れて欲しくない」


 アルデの言うことにも一理あると頷くイト。


「イト〜、最後にもっかい作戦詰めるわよ〜」


 階下から聞こえるエレナの呼び声にくるりと踵を返す。


「それじゃアルデさん、わたしはこれで」


「おう。ま、お互い気張ってこうぜ」


 ぺこりと頭を下げて走り去るイトの背中にルイルの面影を重ねながらアルデは独りごちる。


「まあ、言えるわけねーよな」


 ◇◇◇


 勇者学校西リリア分校から南に馬車で3日ほど離れた場所にある教会。

 その聖堂内で司祭服に身を包んだがっしりとした中年の男性が十字架を握り締め、何も飾られていない空の祭壇に向かい祈りを捧げている。


 ぼそぼそと呟いているのは呪詛か祝詞か。

 荘厳ながらもどこか気味の悪い調子で虚空に向かって言葉を発し続けている。


 カツカツと、男の背後からひとりの靴音が近づいてくる。


「これはこれはど〜も。今日も今日とて真面目な方ですねジェイド様」


 ジェイドと呼ばれた司祭は切りのいいところまで言葉を紡ぎ終えたのか、十字架を握っていた手を緩めるとゆったりと立ち上がり、振り返る。


「ソラリスか。貴様は信仰心がなさすぎだ。週に一度くらいは魔王様に祈りを捧げてみてはどうなんだ」


「またまた〜。楽園創造教のモットーは自由であること。魔王様への心からの忠誠。それさえ守り組織の利に反することさえなければその在り方は十人十色、千差万別。貴方のお言葉とて、僕の行動を縛ることはできないのですよ」


 ジェイドはふんと鼻を鳴らすと、十字架を袖下にしまいよく響く低音で言う。


「それで、手筈のほどは」


「順調でございます。王国騎士団に潜入中の教徒の働きでアルデ=クラムが本日こちらに向かってくるそうです」


「アルデ……か」


「懐かしいですか、ジェイド様」


 挑戦的な口調で訊くソラリスだが、それを意に介していないのかジェイドは至極平坦な声で否定する。


「いや。この五年間、あいつのことを夢に見なかった日はない。今日でこの悪夢ともお別れだと思うと、不思議と寂寥せきりょう感が込み上げてくるよ」


 ジェイドがバッと両の腕を振るうと教会中に設置された蝋燭に一斉に火が灯る。


「さて、話は変わるがソラリス。お前は先の襲撃で空蝕鬼を失う失態を犯した」


「……っ」


 熱を帯び始める教会の空気とは裏腹にふたりの間の空気が急激に凍てつく。

 火の粉が散り、一層浮かび上がるジェイドの深い彫りのある顔ががソラリスを射竦める。


「じぇ、ジェイド様……」


「楽園創造教は確かに自由をモットーとしている。だがしかし、忘れてはならない大きな戒律も存在する」


 ジェイドは袖下から豪奢な彫刻がなされた宝石付きの短刀を取り出すと、その刃を竦み上がったソラリスの眼窩に突き立てる。


「がっ……ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 抵抗することもできず、逃れることのできない激痛に赤黒い体液を撒き散らしながら教会の床をのたうち回る。


「空蝕鬼は生成にざっと五年はかかる代物だ。次に完全なものを作り終えるまでせいぜいお前には働いてもらうぞ、ソラリス」


 ジェイドは祭壇の奥から濡れた巾着袋を取り出すと這うようにして教会の出口を目指すソラリスに一歩、また一歩と近づく。


「どこへ行く。魔王様のお役に立てるのだ、こんなに嬉しいことはないだろう」


 ジェイドはソラリスに馬乗りになると、巾着からヌラヌラした球状のなにかを取り出し、空いた腕で悲鳴をあげる部下の顔を掴み上げる。


「さあ、自分の尻くらい拭ってもらおうか」


「嫌だッ! 嫌だ嫌だ嫌だッ! ……ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

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