第10話 会敵、人狼會

 街の不良集団から『人狼會』の情報を得たイトとオズは街の北東部を疾走し、マーガレットが囚われているというアジトがあるセレニエ山の麓にまで辿り着いていた。

 男から得た情報を元に観光客用の古びたセレニエ山の案内板から東屋に向かうルートを絞る。


「見て。山の中腹に東屋のマークがある。ここに出る登山道は北ルートと西ルートのふたつか……」


「そうですね。北の方なら最短で東屋まで行けそうですけど……」


 イトが言い淀む。

 その意を察したオズが言葉を引き継ぐ。


「うん、きっとイトの想像通り。誘拐した直後に自分たちのアジト付近に見張りを置かないほどバカな連中じゃなさそうだしね。最悪の想定は常にしていたほうが賢明だろうね」


「となると、わたしたちが行くのは必然ここになりそうですね」


「……ああ、そうかもね」


 イトが指差したその道は——


「ああもう、太ももに枝が当たって走りずらいッ!」


「我慢してください。ここしかなかったじゃないですか、ひゃぁッ、蜘蛛っ⁈」


 少女たちがかき分け進むのは道ではなかった。

 針のような尖った枝の低木と蜘蛛や昆虫の温床となっている常緑樹がひしめき合う無舗装の山道……いや、もはや森と言ってしまったほうが伝わりやすいだろう。


 少女たちの華やかな服を枝が引き裂き、鋭い葉は彼女たちの滑らかな手を切り傷だらけにした。

 おまけに時折降ってくる虫や蜘蛛に驚いても大きな反応はできない鬼畜仕様。

 しかし、会敵するリスクを考えるとこれが最も安全な道のりであった。

 何より、自分たちが救助にきたということが組織全体に知れて人質であるマーガレットが危険に晒されることだけは避けなければいけなかった。


 ふたりは心の中で幾度も毒づきながらも、走り抜けること数分。ようやく視界が開け、目標の東屋が遠巻きながらも見えてきた。


 そこには目と口を白い布で覆われ、四肢を拘束されて地面に転がされているひとりの幼女と、おそらく『人狼會』のメンバーであろう屈強な男たち六人が思い思いの武器を持って周囲を警戒していた。


 少女の方は恐怖で泣き出すこともできないのか、それとも気絶してしまっているのか身動きひとつとらない。

 イトはオズと共にその光景を茂みの中から覗き見ると、人狼會に気づかれないような小声で意思疎通をする。


「あれがマーガレットちゃんですね。かわいそうに……」


「そうだね。一刻も早く助けてあげたいけど、さすがにアルデ先生の到着を待とう。ぼくらだけで突入して万が一を踏めばそれが最悪だ」


「ですね」


 ふたりは頷き合うと気配を限りなくゼロまで消して、人狼會の情報収集のため男たちの会話に聞き耳を立てる。


「なあおい、このガキどうするって?」


 周縁を哨戒していた銃を構えた男が同じく斧を持った仲間に尋ねる。


「ベルズ様が『いい餌になるから丁重に扱え』だとさ」


「おいなんだそれ。身代金を取るってことでいいんだよな?」


「わっかんね。でもまあ、あの人に付いてきてこれまで美味しい思いしてきたんだ。今回も従っとくのが吉だろ」


「へへっ、違いねぇ」


 ヘラヘラと笑い合う男たち。

 マーガレットのことを『餌』扱いする彼らにイトとオズの怒りの炎は今すぐにでも討ちのめさんとばかりに燃え盛っていた。


 それは少なからず自分たちの境遇を重ねたからで、自分たちがしてもらったようにマーガレットにも救いの希望を見せてやりたいという思いから出たものだった。

 ぐっと拳を握り込むふたりに予想外の事態が起きる。


「え……っ? あれ……ママ? ママッ?」


 マーガレットが目覚めたのだ。

 不自由な身体をよじって身を起こし、暗闇に閉ざされた視界の中マーガレットは悲痛な声で母親を呼ぶ。


「ママッ? ママッ? どこいっちゃったの? ママッ?」


「チッ、起きやがったか」


「ったくおとなしく気ぃ失ってりゃいいものを……余計な手間増えちまったじゃねぇかよ」


 何事だとばかりにぞくぞくと集まってくる六人の男たち。

 少女を取り囲む彼らのうちの誰かがマーガレットに怒号を飛ばす。


「うっせぇぞクソガキッ! 殴られてぇか⁉︎」

「ひっく、ひっく……うわーん」


「おい! うるせぇって言ったのが聞こえねぇのか!」


 ガタイのいい黒いタンクトップの男が少女を地面に引き倒す。


「きゃっ」


「チッ……これだからガキは……。聞き分けのねぇ嬢ちゃんには身体で覚えてもらうしかなさそうだなぁ」


 男は懐から赤黒く汚れたメリケンサックを取り出すとその浅黒く太い指に装着する。


「せっかくの『餌』らしいからな。目に見える部分はやめてやる——よッ!」


 男が鋼を纏った拳を振り下ろしたその瞬間、


「なんだぁ⁉︎」


 男の拳は突如現れた謎のクッションにその必殺の勢いを吸収される。

 のそり、とクッションが動いた気がした。

 男が見上げると、そこには不揃いの眼を爛々と輝かせたツギハギだらけの熊のぬいぐるみがいた。


「やれ、ブギーくん」


 凛とした少女の声に反応して、熊のぬいぐるみはひと一人分ほどある太い腕を振りかぶりメリケンサックの男に叩きつける。


「うぉほっ……」


 男は凄まじい速度で弾き飛ばされると、東屋を取り囲む常緑樹のひとつに激突し気を失う。


「敵襲ッ! 敵襲ッ!!!」


 オズの存在を認知した人狼會の面々が一斉にその矛先をオズと彼女が使役する大きな熊に向ける。

 その虚を突いて死角からひとりの少女が音もなく姿を現し、手刀で銃を持つ男の意識を刈り取る。


「かはっ」


「こっちにもいるぞ!」


 男たちの注目が分散している隙をつきふたりはマーガレットを手中に納め、背中を合わせる。


「あーあ、アルデ先生を待とうって話したばっかなのに……」


「仕方ありません。緊急事態でした」


 ふたりはふっと笑い合い、自分たちを取り囲み始めた男たちに注意を向ける。


「それじゃあ——」


「いきましょう!」


 威勢よく言い放ったイトは自身の術式を起動し灰色の雪の中に再び身を潜める。

 一方マーガレットを小脇に抱えるオズはブギーくんに男たちの殲滅を言いつけ、彼らがブギーくんに応戦し、挙句逃げ惑っている間にマーガレットを戒めている拘束を解きその細い身体を抱き起こす。


「大丈夫? もう怖くないよ」


「うっ……うわぁ〜〜〜〜〜〜」


 緊張の糸が解けたのか、安堵の涙を流すマーガレットの背中をさすってやっているうちに決着は付いていた。

 屈強な男たちを小脇に抱えてブギーくんが戻ってくる。


「お疲れさま。そいつらもう意識ないの?」


 オズの問いに首肯で返すブギーくん。

 どこか誇らしげなその堂々たる態度にふっと笑みが溢れる。


「ありがとう。あとは休んでて」


 ブギーくんの身体が空に溶け、小脇に抱えられていた男たちはそのまま地面に落下する。


「なんか、終わってみれば呆気なかったですね」


「確かに。あの路地で会ったチンピラが怯えるほどの組織だったのかは甚だ疑問だね」


 イトとブギーくんが戦っている間に数人の武装した男が山道から応援に来ていたが、それも打ち止めのようで周囲に人の気配はしない。

 構成員の数だけで言えばさっきのチンピラの方が上だったまであるのに……。


 そんな疑問を抱えながらも、自分の肩に泣き縋る幼女の姿を見てふたりは安堵に包まれる。


「まあ、今日のところは一件落着ってことで」


「そうですね。アルデさんに報告して警備隊を呼んでもらいましょう」


 イトが言い、役割分担とばかりにその場を去ろうとするとマーガレットが彼女のスカートの裾を掴む。


「……お母さんは?」


「お母さんなら街のカフェで待ってますよ。早く帰って、安心させてあげなきゃですね」


 おイトが優しく微笑みかけるも、マーガレットの表情から不安の色が消えた。


「お姉ちゃんたちが助けてくれたの⁉︎」


「いえ、そういうわけではないのですが……」


 マーガレットの発言にどう説明したものか戸惑っていると、整備された山道の方から人影がゆっくりと近づいてくる。


「お母さん!」


 初めに気づいたマーガレットがそう叫び、少女たちも突如として現れた気配のある方に眼を向ける。


 そこに居たのはカフェで待っているはずの女性——ベラ。そしてなぜか彼女に引きずられるようにして歩く両手と眼をマーガレットと同じく白い布でいましめられた壮年の女性であった。

 よく見ると、ベラの手には拳銃が握られており、女性のこめかみに向けられているではないか。


 あまりにも奇異な状況に少女たちが事態を飲み込めないでいると、ベラの方から先に口を開いた。


「あーあ。こんなガキどもにやられて。みっともない」


「……ベラさん?」


 パァン。

 雷管が爆ぜる音と共にイトの側頭部を鉛玉が掠める。

 薄い皮膚が破け、真紅の水滴がイトの白い頬を伝う。


 手元から上がる煙を吹きながら、ベラは底冷えするような冷徹な声で脅しをかける。


「あー、イトさん、オズさん。よくがんばった。そいつらをたったふたりで伸したのか? すげーな、褒めてやる。だが、ここまでにしてもらおう。この女の頭ぁ吹っ飛ばされたくなかったらなぁ」


 ベラは熱された銃口を女性のこめかみにめり込ませるように押し付ける。

 女性は苦悶の表情を浮かべ、呻き声を上げる。


「ベラさん、どうして……」


 困惑の色を隠せないイトの質問に、ベラは呆れたように返す。


「察しの悪いことだ。あたしの狙いは初めからあんたらだったのさ。の誘拐はその餌。ここであんたらを人質に取りゃ今度はあのアルデとかいう男……いや、『勇者喰らい』を手玉に取ることができる。そうなればあたしたちは国家転覆をもできる戦力を手に入れて一夜にしてこのルート王国をぶち壊すのさぁ!」


 高らかに笑うベラ。

 イトとオズは歯噛みしながらその野心に満ちた嘲笑を聞いていることしかできなかった。


「さて、それじゃあイトさん、オズさんのことを縛り上げてくれる?」


 ベラが腰に巻いたポーチから縄と目隠し用の白い布を投げ渡す。

 マーガレットの母親の命がベラの手中にある以上、抵抗はできない。

 イトは地面に落ちた拘束具を拾い上げるとオズの手と眼を縛り上げる。


「もし手加減したりしたら、この女の命はないからね」


 ベラが怜悧な眼でイトの一挙手一投足を睨め付ける。

 手を抜くことも、密談を交わすことも許されない。

 ごめんなさい、と呟きながらオズのことを縛り上げるイト。

 オズが完全に身動き取れなくなる頃には、ふたりが倒した人狼會の男連中が気がつき始める。

 その内のひとりがベラに命じられてイトをキツく拘束する。

 状況は完全に詰んでいた。


(くっ……ベラの裏切りに早く気づいていればこんなことには……)


 オズは閉ざされた視界に閉塞感を覚えながらも歯を喰いしばる。

 後悔しても状況は変わらないのだが、思い返してみればおかしな点はいくつもあった。


 自力で解決する術を持たない人間がいくら「警備隊に告発するな」と言われたところで本当に駆け込まないことがあるだろうか?

 街で出会った一般人に自分の娘を誘拐した犯罪組織の相手を軽々しくお願いするだろうか?

 そして何より、娘の命がかかっている場面で自分たちみたいな少女の独断専行おを快く見送るだろうか?

 すべて、答えは否。

 気づいて然るべき事実だった。


 見えない敵を睨みつけながらもオズにはもう打てる手立てがない。

 ここからはマーガレットと同じく助けが来るのを待つ番だ。

 いつまでも助けられることしかできない自分の不甲斐なさに、血の味が滲んだ。

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