第9話 悲運

「おーい、いるんだろ? 俺だよ俺。出てきてくれよ」


 セレニエ地区北東の路地裏。

 アルデはとある人物を探して少し回り道をしていた。

 無遠慮に声を響かせて路地を練り歩くアルデの姿に、そこに住むものたちが迷惑そうな顔をしてぞくぞくと集まってくる。


「おい、兄ちゃん。ここぁ俺らのナワバリだぜ? あんまり勝手なことされちゃあメンツが保たねぇな」


「あー、済まねぇな。ちょっと人探しててよ」


「人? こんなところに探されるような人間がいるとは驚きだ」


 浮浪者たちのリーダー的な人物が汚れた歯を見せてケラケラと笑う。


「なんでも土地代を少しでもケチりたいんだと。この近くでいつも見かけてたんだが……あっ、いたいた」


 アルデは「ちょっとすみませんね〜」と浮浪者たちをかき分けてその奥にいる怪しげな人物に声をかける。

 風景に溶け込んでいるつもりなのだろうか。

 壁の色に染色された薄汚い毛布を頭から被り、建物の壁に身体を押し付けるようにしてうずくまる人間の像がそこにはあった。


「おい、バレてんぞ。俺だよ俺。わかるだろ?」


 毛布の上から軽く叩かれ、観念したのかその塊はのそのそと起き上がりその姿を現す。

 黒くモサモサした天然のアフロヘアーのような頭に無精髭に覆われた顔。

 ボロく擦り切れたカーキの上下にニット素材の黒ずんだシャツといった出立ちの、いかにも浮浪者といった印象を受ける男だった。

 男はバツが悪そうにくちゃくちゃと口を鳴らすと、酒焼けした声を出す。


「俺俺って、ユー俺俺詐欺でもしに来たの?」


「いや、あんたがお互いに名前を知らないようにするのがポリシーだって前に言ってたから則ってやってんだろうが」


「え? そんなん言ったっけ? わしジョニー」


「早速名乗ってんじゃねぇよ。どんな心変わりだ」


 無遠慮にアルデと軽口を叩き合うこの男。

 アルデが賞金稼ぎとして方々を飛び回っていたときに知り合った腕利きの情報屋で、新作映画を先行上映している映画館を教えてくれたのもこの男だった。

 金持ちのくせに路上生活をしたり、先ほどのように人から隠れるのが趣味だったりとまったくふざけた男であったが、その情報の量と質は一級品。


 アルデはセレニエ地区の近くに寄る度にこの男の許に足を運び、彼の好物である各地の地酒をプレゼントして交流を続けていた。

『勇者喰らい』となってからできた数少ない仕事仲間。

 アルデは世間話もそこそこに本題に入る。


「で、俺が今日頼みたいのはこの辺りをアジトにしている犯罪組織のリスト。そしてその構成メンバーについてだ」


「おーおー、そりゃまた物騒な話だね。でもねアルちゃん、ここらってそういう組織なんてごまんとあるから全部渡すとなるとお高く付くよ?」


「あー、なるほどちょっと待て」


 アルデはベラと調査し、イトとオズから集めた組織の特徴が書いた紙をジョニーに手渡し絞るように頼む。


「ほうほう。この組織規模で金品目的、そして北東の山にアジトとなるとこの組織が有力だねぃ〜」


 ジョニーはシャツを捲り上げ、ズボンと下着の間に挟まっている無数の書類のうちのひとつを引き出し、アルデに手渡す。


「男女七人から構成される新進気鋭の若手誘拐集団『人狼會』だよぅ。結構大規模な誘拐をしては大勢の人間から一斉に身代金を巻き上げる手口が特徴的な頭脳派集団。特に金にものを言わせて軍御用達の武器屋から銃器を手に入れたり、警備隊に賄賂流したりと黒い噂の絶えない極悪組織だねぇ〜。はい、これ構成メンバーの写真」


 何枚かの写真をクリップでひと纏めにしたものをアルデの前にかざすジョニー。

 アルデがそれを受け取ろうとすると、ヒョイとかわし、空いた左手の指を擦り合わせるような動作をする。

 さらにということだ。

 生憎現在金欠のアルデは『人狼會』の基本情報を得るのに残っていた財布の金を使い切ってしまっていた。


「ちっ、まったくいい商売してるぜ」


 アルデはそう毒付くと苦肉の策とばかりに懐から一枚の写真を出す。

 それを見たジョニーはその灰色に濁った目を見開き、涎が垂れるほど口を開いて崇めるようにしてそれを受け取る。

 そして擦り切れんばかりに頬擦りをしてからようやく言葉を発する。


「ユニスたん……」


 何を隠そう、この男、在位時代からユニスの大ファンであった。

 本人曰く、彼女が在位中に目立ったテロに遭わなかったのは自分が裏で蠢く暗部組織を情報操作でコントロールし、すべて未遂に終わらせていたかららしい。

 そんなジョニーにとって現在表舞台からは姿を消してしまったユニスの貴重な生写真はどんな商材にも代え難い、国宝級の一品であった。

 ユニスに幾許いくばくかの罪悪感を抱きつつも、アルデは金欠のタイミングではそれなりにこの手を活用していた。

 写真の中のユニスと熱い接吻を交わすジョニーを尻目に、アルデは彼が取り落とした『人狼會』構成メンバーの顔写真を一枚、また一枚とめくっていく。

 その中に、突然思いがけない顔を見つけてアルデは戦慄する。


「こいつは——」


◇◇◇


 一方そのころ。

 アルデの言いつけを無視し、ベラを置いてマーガレットの救出に向かったオズとそれを追いかけるイト。

 ふたりはアルデのいる地点から数ブロック離れた路地裏でチンピラたちに絡まれていた。


「おいおい、かわいい嬢ちゃんたちじゃねぇか。こんな暗いところになんの用事ぃ?」


「ここが俺らの島だってわかってて入って来たの? まあ、どっちでもいいけど。ちょっと俺たちと楽しいことしようぜ〜」


 下劣な視線を向けられながらも怯むことなく、それどころかまったく意に介していない様子で対話を試みるオズ。


「いや、いま忙しくてさ。おじちゃんたち、ここら辺で有名な人攫いグループ知らない? 北東の山あたりにアジトがあると思うんだけど」


「あれ〜、俺たちのこと無視かぁ……つれないなぁ」


「まぁ? 逆にそういうところがそそるっていうかな。ワハハハハッ」


 どうやら簡単に口を割ってはくれないらしい。

 チンピラのうちのひとりが肩を掴んできたのを好機とばかりに、オズは両の手を胸の前で包み込むように組むとボソリと唱える。


「【降霊おいで青白熊ブギーくん】」


 途端、肩を掴む男に大きな影が覆い被さる。


「あ?」


 男が振り返ると、そこにいたのはツギハギまみれの青白く巨大なクマのぬいぐるみであった。

 その取って付けたような太い指が男の首を掴み、見た目のふわふわ感からは考えられないほどの怪力で宙吊りにする。


「あーあ、素直に答えてくれてれば手荒な真似はよそうと思ってたのに。でも——」


 オズは悪戯っ子のように八重歯を見せて笑う。


「正当防衛だからね?」


 オズがそう言うと、熊のブギーくんは男を建物の壁に投げつける。

 鈍い激突音と共に壁の表面が崩れ、それと同時に男が二階の高さから降ってくる。


「さて、お兄さんたち。ああなりたくなかったら素直に吐いたほうがいいよ?」


「この化け物めッ⁈ クソッタレ……かかれ!!!」


 仲間をやられて冷静な判断力を失ったのか、チンピラたちは徒党を組んでふたりの少女と一匹の熊めがけて走り出す。


「あーあ、かわいそうに」


「こうなってはどうしようもないですね……」


 呆れた様子でイトも手を組み、自身の術式【灰雪かいせつ】を起動しその姿を雪のベールの中に隠す。

 そこからは、見るに絶えない一方的な蹂躙が繰り広げられた……。

 数分後。

 その路地裏には相も変わらず涼しい顔で立つふたりの少女と一匹の人形の熊。

 そしてひとりとして例外なく地面を舐めるチンピラたちの姿があった。

 そのうちのひとりの胸ぐらをブギーくんが掴み上げ、ゆさゆさと揺らす。


「さて、じゃあそろそろ本題に入らせてもらっていい?」


 ひっ、とか細い悲鳴を上げる男にオズは愉しげに尋ねる。


「ぼくたち、ちょっと事情があってね。北東の山にアジトを持つ人攫い組織を探してるんだ。あー、金目のもの盗んだりするような奴らね。なんか知ってることない?」


 しばらく奥歯を噛み締めるようにして黙秘の体勢を貫こうとしていた男。

 これもチンピラなりの仁義というやつなのだろうか。

 しかし、オズが目配せをし、不気味な熊がその拳を振りかざすと、仁義が痛みに屈したのだろう。その重たい口を割り始める。


「くっ……恐らく『人狼會』とかいう連中だ。やつら新入りのくせにでかい山ばかり成功させてる切れ者ばかり……。山の中にある東屋を溜まり場にしてるって聞いたことがある——」


「そうかい、ありがと」


「ぐはっ……はぁ、はぁ」


 情報を吐き出し、用済みとばかりにそのまま地面に打ち捨てられる男。

 その哀れな姿にイトはわずかばかりの憐憫を感じながらも手を差し伸べている時間はなかった。

 オズと頷き合い、男が語った山の中腹付近にある東屋に向けて細い路地を駆け抜けていく。

 少女たちが去ったのち、男は狭い建物の隙間から青空を眺めて呟く。


「はぁ……俺ももうお終いだが、あいつらも、これで終わったな」


 男はわざと人狼會のアジトを教えていたのだ。

 少女たちの情報だけでは絞りきれなかったものの、その中で最も凶悪な組織を伝えた。

 男にできる最後の抵抗であった。

 しばらくすると、死んだ魚のような黒い目をした男がこちらに向かって歩いてくるのがわかる。

 男は惨状を目の当たりにすると、尋ねる。


「どうした? 誰にやられた?」


 しめたとばかりに男は告発する。


「灰色の髪の女とデケェ人形を操る小柄な茶髪の女だ。そいつら異様に強くてよ、おれたちじゃどうにも——」


 男が話していると男の表情が険しくなってくる。

 自分たちの様子を見て同情してくれているのだろう。

 そう思うと男はさらに饒舌になり、つい先の自分がしてやった小さな仕返しについても無意識のうちに口に出してしまっていた。


「——それでよ、腹いせに一番ヤバい組織『人狼會』のアジトを教えてやったのさ。あいつらいま頃きっとひでぇ目に遭わされてるぜ。ははっ、ざまぁねぇよ」


 そこまで聞くと、黒髪の男は拳をパキパキと鳴らし始める。


「おい、どうしたってんだ? 俺たちに同情してくれてるのはわかるが別に敵討なんて——」


「……そいつら、俺の生徒なんだよぉッ!」


 渾身の右ストレートをもろにくらい、意識を刈り取られる男。


「チッ、まずいことになったな……まったく、終わったらお説教だからなッ!」


 アルデは少女たちと同じ方角に向けて駆け出すのであった。

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