第7話 変わりゆく気持ち

 最初に着いたのは映画館だった。

 アルデがわざわざ離れたセレニエ地区にまで繰り出した理由のひとつ。新作の映画を密かに先行公開している隠れ家的な映画館がああるのだ。

 さすがに少女たちに自腹を強要するわけにもいかず、不服そうな顔をしながらも三人分のチケットを購入したアルデ。

 各々にチケットを配り、スクリーンに足を運ぶ。


「え〜と、お、空いてる空いてる」


 どうやら自由席らしい。


 ちょうど見やすそうな位置に空席を見つけて座ろうとする彼の腕をイトが掴む。


「ちょっと、そこじゃ三人並んで座れないじゃないですか」


「あ? どうして俺がお前らと仲良く並んで映画鑑賞しなきゃいかんのだ!」


「あ、先生ポップコーンと炭酸買って来たんだけど、お金持ってなかったから早くフードカウンターまで払いに行って来て」


「なんでこいつに商品渡した店員んんんんんんんッ⁈」


 憤慨しながらも逮捕パクられてはマズイとしぶしぶお支払いに向かうアルデを尻目に、ほど近い位置に三人分の空席を見つけ陣取るイトとオズ。


「能天気なもんだな。いつ次襲われるかもしれないってときに映画とは」


 ふかふかの座席でポップコーンをパクつきながら愚痴をこぼすオズ。

 彼女は別にアルデの休日の過ごし方について興味があって参戦しているワケではない。この一週間のアルデの行動を記録して、解雇の運びになった時によりスムーズに動けるようにするための下準備であった。

 イトと鉢合わせしてしまったのはイレギュラーだったが。


「てか、なんでイトも先生に付いてこようと思ったの? いつもはクソ真面目に授業の復習やトレーニングをしてるのに」


「そ、それは……そう! 調査ですっ! アルデさんを見ていれば兄さんの死の真相に近づけるんじゃないかと思いまして……」


「真相?」


 怪訝な面持ちでイトの顔を覗き込む。


「アルデ先生がお兄さんを殺してその肉を食べた。それが真相なんじゃないの?」


「え……あ……そう、ですね。わたしは一体何をしてるのでしょうか……?」


 あの日ソラリスの魔の手から救われて以降、イトはときどき自分の異変に驚かされることがあった。

 救ってもらった直後こそ、なぜ自分は救って兄は殺したのかと激昂したものの、それからは以前の『勇者喰らい』への怨念のごとき感情がアルデに向かなくなってきているのを感じていた。


 それこそ、

 怨敵のような存在に無意識的に心を許しつつ自分がいるのが内心、不思議で仕方なかったのだ。

 『アルデさん』呼びもそんな奇妙な自分の心に対するある種の抵抗であった。

 『先生』と呼んでしまえば、もう無意識に流されてしまうような予感がしていたのだ……。


「ったくテメーなに呑気に食ってやがるんだ。俺にもよこせ!」


 支払いを終えたアルデが戻ってきてふたりの間に腰を下ろす。

 どうやら諦めて、並んで映画を見ることにしたようだ。


 館内が暗転し、映画が始まる。

 チケットは完全にアルデに任せていたのでふたりはどんな映画が始まるのかドキドキしていたが、どうやら女教師が自分の生徒と恋愛関係になる禁断のラブストーリーのようだ。

 少女たちには少し過激な展開がありながらも、両親との因縁や元カノの干渉を乗り越え、最後にはふたりの結婚式のシーンで幕を閉じた。


「ふー……なかなかおもしろかったですね」


「どうしてあの姑さんはあんなにも息子に固執するんだろう……気になる」


「……楽しんでるようでなによりだよ」


 そう言って余韻に浸る間もなく席を立つアルデの顔が、イトにはどこか不満そうに見えた。




 映画館を出た三人はお昼時を少し過ぎていることもあり、近くにあったカフェで少々遅いランチをすることにした。

「いらっしゃいませ〜」と愛想をふりまく店員に案内され、街の通りに面したウッドデッキのテラス席に着座する。

 従業員の手書きなのだろうか。流麗でいて味を感じさせるメニューを手渡され吟味する面々。


「あ、これ! 有名な美食家さんが雑誌で絶賛していたスイーツじゃないですか! このお店の商品だったんですね〜。おいしそうです……」


「ぼくはこのスパゲティナポリタンの特盛がいいな。あ、ピザドリンクバーセットにスープも付けていい?」


「もう好きなようにしろよ……」


 完全に三人分の昼食代を払う流れになっていることに諦めがついたのか、アルデは手で顔を覆いながら自分の財布の中身を想起している。


 結局、イトはシーザーサラダとガーリックトースト、食後に例の有名デザートとコーヒーのセットを。オズはスパゲティナポリタン特盛にピザドリンクバーセット、それにコーンクリームスープと食後に季節のスイーツ三種盛りと両者遠慮我慢一切なしの注文を果たしホクホク顔だ。

 その一方で、次々に並べ立てられる美味しそうな名前に頭をフル回転させてその代金を弾き出していたアルデは……


「すみません……素パスタ大盛りとお冷で……」


「……か、かしこまりました」


 店員から憐憫の視線を向けられ非常にいたたまれない思いをするのであった。


 その後、続々と運ばれてくる芳しい匂いを放つおしゃれな料理に舌鼓を打ち大はしゃぎする少女たちを恨みがましげに時々睨め付けながら、大きな音を立てて茹で湯味がする大盛りのパスタを啜るアルデ。

 目の前にこんもりと盛られたナポリタンをものの数分で平らげ、ピザやスープも瞬く間に飲み干したオズは「デザートはみんなに合わせるよ」と言いお手洗いに立った。

 一体あの小さな身体のどこにあの山盛りの麺は消えていったのか不思議に思っていたアルデ。


 オズとは反対にお淑やかにトーストをちぎって食べているイトが、そういえば、とアルデに話しかける。


「アルデさんがあの手の映画がお好きとは意外でした」


 先ほど見た教師と生徒の禁断のラブストーリーを描いた映画の話だ。

 実際、あのスクリーンの客層はカップルを除けば女性客の方が圧倒的に多く、少女二人を連れて座るアルデは少し浮いていた。


「いや、別に好きってワケじゃないんだが……」


「そうなんですか? じゃあなんでわざわざ……?」


 映画館自体は分校から徒歩圏内のフラレ地区にもいくつか存在している。

 わざわざ鉄道を乗り継いで来なければいけないこのセレニエ地区にまで足を伸ばしたのはよほどあの映画を楽しみにしていたからだと思っていたが……。

 少しの間「あー、っと」と言い訳を探すように言葉を濁らせていたアルデだったが、やがて逃げきれないと悟ったのか恥ずかしげに口を開いた。


「……教師ものの映画を見たかったんだ」


「ふぇっ⁈」


 教師ものの映画が見たかったッ⁈ それはつまり教師と生徒のそういう関係に肯定的な考えを持っているということ……っ? ていうかそれ即ち自分たちも一生徒としてだけでなくひとりの女性として……。

 いや、確かに今日の映画はキュンキュンしたしあの手の創作物が嫌いかと言われればむしろ好きなのだが、でも、それを現実にしてしまうのは大胆というか背徳感がすさまじいというか……。

 そこまで考えて真っ赤にゆだったイトを見てアルデは慌てて自分の言葉が産んだ誤解を解きにかかる。


「ちょっ、待て待て待て! 違うッ⁉︎ そういうことじゃなくてだなっ」


「近寄らないでください! 変態っ! 兄さんに言いつけますよ!」


「だぁぁぁぁぁッ、ちげぇわッ⁈ だから——」


 意を決したようにアルデはぶちまける。


「いい教師ってどんななのかリサーチしてたんだよッ!」


「……え?」


 しばらくフリーズするふたり。

 カフェの他のお客がくすくすと笑い声を立てているのを聞いて、改めて自分の気色悪い宣言に羞恥心が耐えきれなかったのか、アルデは顔をかぁーっと赤に染めていた。


「……俺だって今の授業でお前たちが納得してるとは思ってないっつーか。お前との契約もあるしな。早くお前ら一人前にして俺も晴れて自由の身になりてーなって思っただけだ。はっ? バカっ、なんだお前その表情はッ⁈ バカにしてんのか⁈」


 言い訳がましく捲し立てるアルデのことを、自分はどんな表情で見ているのだろうか。

 アルデがこれだけ文句を言っているんだ。きっと心の底からドン引きしたような嘲笑に似た顔をしているに違いない。

 どこか惚けてしまった頭でそう解釈したイトはアルデの気持ちを逆撫でしないように、とびっきりの笑顔を浮かべてこう言った。


「素敵だと、思いますよ」


「なっ……」


 予想外のカウンターをお見舞いされたアルデは無意識的にいつも通りの悪態をついていた。


「へっ、お前らがもうちょ〜っと優秀だったら俺もこんな下手な努力しないで済んだんだけどなぁ〜」


「はぁッ⁈ わたしたちのせいだって言いたいんですか⁈」


「それ以外にどういう風に聞こえたってんだよ」


「あーもういいです、わかりました。一瞬でもあなたを教師として認めそうになったわたしが愚かでした。もう知りませんっ」


「上等だよ! 絶対に認めさせてやるからな。後で吠え面かいても知らねぇぞ」


 売り言葉に買い言葉ということだろうか。

 心にも思っていなかった目標を打ち立ててしまったアルデ。

 自分が殺した勇者の妹に教師としての自分を認めさせる。

 果てしなく遠い道のりになりそうだ。

 既に後悔の念に囚われ始めていたアルデ。

 お手洗いを終えたオズがうきうきとした表情で帰ってくる。


「なんだよ、ぜんぜん進んでないじゃん。早く食べて。ぼくデザート行きたい」

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