第5話 西リリアの真実
「殺処分〜? とても君にそんなことができるとは思えないけど」
「言ってろ。今に吠え面かかせてやる——よッ」
「は?」
一瞬の出来事だった。
ソラリスの視界に薄っすらと青白い燐光の軌跡が見えた——気がした。
そして異変に気づく頃には目の前にいたはずのアルデは消え、空蝕鬼の脆い腕が切断され、捕らえたはずの少女がその場から霧散しているではないか。
空蝕鬼が悶絶とも怒りとも取れる奇声を上げる。
あり得ない状況にソラリスが目を彷徨わせていると、呆然と立ち尽くす四人の少女たちの方角にイトを抱き抱えたアルデの姿があった。
「大丈夫か?」
「う……あ……」
未だダメージが抜けきらないのか満足に話せないイトの頬を、アルデは優しく拭ってやる。
「ったく、俺に敵討ちしたいんならこんな所でくたばってんじゃねぇよ。ルイルが悲しむ」
「う……うる……さい」
腕の中で溢れ出る涙を必死に押し殺しながら憎まれ口を叩くイトを見て胸を撫で下ろす。
「そんな口叩けるなら上等だ。まぁ、後は見てろよ」
横抱きの密着具合がイトにアルデの鼓動や体温をそのまま伝えているからだろうか。
イトは自分の体温が少しずつ上昇していくのを肌で感じ取っていた。
ぎゅっと胸元を掴むイトをゆっくりと平らな地面に寝かせて、
「頼んだぞ」
と、エレナたちとアイコンタクトを取る。
そして少し離れた位置で剣を構え、正眼でソラリスを睨む。
「ま、まさかお前がやったのか?」
自身のの目で追い切れないほどのアルデの速度と、その速度での移動の最中でも空蝕鬼の生身の腕だけを切り取る正確な斬撃にソラリスは本能的な恐怖を感じていた。
奥歯が震え、背中を冷や汗がたらりと伝うのが感じ取れる。
こんなに怯えを感じたのは五年前——憎き勇者ルイルの襲撃を受けた時以来だろうか。
「さて、これで心置きなくテメーらをブチのめせる訳だが……俺の生徒に手を出して……覚悟はできてんだろうな?」
一瞬でこの場の空気を支配してしまうその圧倒的な存在感にソラリスはほぼ脊髄反射で命令を下していた。
「くっ……やれぇッ! 空蝕鬼ィッ!!!」
空蝕鬼はその本能のままに自分の身体を傷つけたアルデの元へと猛進する。
「——ノロい」
アルデはそう呟ききらぬうちに跳躍。そのまま身体を反転させ、先ほど自分が立っていた大地を抉り取る空蝕鬼の背後を取る。
その様子を見てソラリスはうすら笑いを浮かべていた。
「その動きはもう攻略済みだ」
ソラリスはこの瞬間にも勝利を確信していた。
空蝕鬼の初動の攻撃を避けている時点で、あの新米教師はスピードと正確性にこそ自信はあれど攻撃力は並ほど。防御力は普通の人間と変わらないときた。
それならさっきのイト=クィントゥムの時と同じように空蝕鬼が空間を割って頭部をガード。そこから攻勢に転じれば体力切れになって相手のゲームオーバー。
そういう計算だった。
しかし……
「ふんっ!」
一息で振るわれたアルデの大剣が目の前で空蝕鬼の頭部を穿っているではないか。
空中で身体を踊らせるアルデから星屑のような光が零れる。
空蝕鬼が空間破砕を使わなかったのか?
いや、そうではない。
確かに空蝕鬼は先ほどと同じように空間を裂き、腕を使って頭部を守る動きをしていた。
つまり……
「貫いたってのか……あの装甲を……」
いくら剣の使い手が少女から成人男性に変わったとはいえその程度の体格差による威力上昇は誤差の範囲。
新米教師——アルデ自身もそれほど体格に恵まれている方ではない。
「ハハッ……あのデタラメな術式……そうか」
ソラリスはもはや笑うことしかできなかった。
アルデの纏う術式の正体。それを理解し怯えから畏怖の対象に切り替わったのだ。
ついに浮遊能力が維持できなくなったのか、アルデに頭部を貫かれると青黒い体液を撒き散らしながら前提に墜落する空蝕鬼。
しかし、まだ息はあるようで体格から考えるとどうも頼りない二本の足でなんとか立ち上がると、よろめきながらも壊れた腕でアルデのことを狙おうと振りかぶる。
「ありゃ、ガードされたせいで刺さりが浅かったか」
惚けたような口調でそうボヤくと瞬間的に青白い光を纏い、剣のリーチよりも少し離れた位置から空蝕鬼めがけて一閃。
その剣圧に触れた瞬間、ピタリ、と空蝕鬼の動きが止まる。
「じゃあな、キモいワンコくん」
「空蝕鬼ィッ!!!」
アルデの最後通告を皮切りに身体が袈裟斬りに沿ってずり落ち、一瞬の絶叫の後、ピクリとも動かなくなる。
大剣に巻き取られていた空気の奔流が遅れてバーストし、仁王立ちする空蝕鬼の下半身の鎧を粉々に砕いていく。
周囲の木々を揺らし、土埃を巻き上げる旋風が一体に吹き荒れる。
圧倒的な威力の攻撃とそれを数ミリ単位で扱う繊細な技術。
ソラリスは自分ではまったく話にもならない相手だということを瞬時に自覚していた。
「さて、次はテメェの番だ。飼い主さん」
切先をソラリスに向けるアルデだったが、自分では敵わないと悟ったソラリスは既に逃げの一手を打っていた。
アルデの攻撃を受ける前に空蝕鬼に逃走用の裂け目を作ってもらっていたのだ。
既に閉じつつある裂け目からソラリスは最後っ屁にと捨て台詞を吐く。
「ケッへへッ……いやぁあなたすごいよ。もう二度とお目にかかりたくないね『勇者喰らい』」
「ッ⁈ おい!」
「バイバイ、家畜ちゃんたち……次はもっと準備して来ることにするよ」
「おいコラ待ちやがれッ!!!」
アルデの剣戟がその喉元に届くすんでの所で割れた空間は修復され、ソラリスは姿を消した。
「くそッ、逃しちまったか」
足下に転がる地面の破片を蹴り飛ばすアルデ。
ここでソラリスを取り逃がしたのはかなりの痛手だった。
ここに自分が——『勇者喰らい』がいるという情報を持ち帰られてしまったからだ。
次に奴が現れるとき。それはアルデに対抗し得るだけの策と戦力を揃えたときだ。
そうなれば少女たちだけでは手も足も出ないのはもちろん、自分が生徒たちを守り通せる保証もなくなってくる。
どうする、今からでもユニスに捜索部隊を手配してもらい追撃するべきか……?
アルデが策を巡らせていると背後から声がした。
「せん、せい?」
ライサだった。
ソラリスにばかり気を取られて、自分の生徒たちのことを気にかけてなかったことを自覚する。
「ダメだな。賞金稼ぎの癖が抜けてねぇや」
自分の未熟さに嘆息するとアルデは少女たちの元へ駆け寄る。
「おい、大丈夫か」
「なんでですか!」
自分が侵入者たちと戦っている間に少し回復したようで、イトが涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で掴みかかって来る。
「なんでわたしを助けたんですか!!! 兄さんは殺したくせにッ!!!」
「イトちゃん、先生はイトちゃんのために——」
「じゃあわたしと兄さんとで何が違ったんですか⁈ 女だからですか⁈ そんな理由で助けられたなら心外ですッ!」
「ちょ、落ち着きなってイト」
ライサとエレナが宥めるもそれでは収まらないといった様子のイト。
どうやら戦闘中に出ていた脳内麻薬のせいで興奮状態に陥っているのだろう。
少女たちが協力して暴れるイトをアルデから引き離し、落ち着かせる。
オズが深呼吸を促し、イトが少しずつクールダウンし始めたのを見てアルデは改めて口を開く。
「怪我は……ないか?」
「……はい。背中が痛いくらいで、あとは特に」
「そうか。んで、聞かせてもらおうか。お前らとあの男の関係を」
「え?」
ライサが目をまん丸にして素っ頓狂な声をあげる。
「先生、そこら辺の事情って聞いてないんですか? わたしてっきり知っているものだとと思ってました……」
「いや、特別聞かされてない。お前らが勇者学校の落ちこぼれで、この分校に流されてきたった話があったくらいだ」
「あ、なるほど……そこで止まってるんですねあはは……」
居心地悪そうに頭を掻くライサ。
見かねたようにイトがその話題を引き継ぐ。
「……仕方ないですね。命を助けてもらった以上、最低限の礼儀です。ご説明しますよ。わたしたちがなぜこの分校に派遣されたのか。そしてあの男が何者なのかを——」
イトは順序を追って、極めて丁寧にこの分校と少女たちが抱える事情についてを説明してくれた。
要約すると、こうだ。
勇者学校を設立するにあたって、新たな勇者の擁立を快く思わない集団——特に魔王率いる『魔族』とその信奉者集団『楽園創造教』が計画を中止させるために徒党を組んで襲って来る可能性が大きな懸念事項だった。
例え学校の創設に成功したとしても、優秀な生徒を狙ってピンポイントで敵が襲撃して来るようでは学校として安全性も将来性も担保することができないし、なにより数限られた勇者候補の生徒が危険に晒されるのは避けたい。
そこで、学校側は当時代替りしたてだった現在の国王の名の下に、休眠中の魔王に代わる魔族のトップととある契約を結んだ。
それが、魔族たちの『餌場』の設置である。
人肉を好み、生き血を啜る魔族たちにとって魔力を蓄え鍛え上げた勇者学校の生徒は高級食材兼高栄養価食品に同じ。それをひと月に一回ノーリスクで得られるのが『餌場』だ。つい先日も彼女らの級友がひとり、連れて行かれたらしい。そしてその代わりに勇者学校の本校には魔族および楽園創造教は手を出さないという魔術的な契約がなされたのだ。
そして、その『餌場』の役割に白羽の矢が立ったのがここ、西リリア分校だ。
ここには本校での成績がワースト5だった者たちが集められ、魔族に差し出される『贄』として最期の数ヶ月を過ごす。そういう場所なのだそうだ。
「つまり学校は優秀な生徒だけを育み、出来の悪い生徒を犠牲にしてその治安を守ろうとしているってわけだ……なんとも胸糞の悪ぃ話だな」
「そうですね。でも、仕方がありません。次の勇者が出ないことには、わたしたちは直に復活した魔王に星ごと滅ぼされてしまうでしょうから……そのための尊い犠牲と思えば……」
土に塗れたワンピースの裾を握りながら、イトはそう言った。
彼女の言葉の全てが本心ではないことをアルデは理解していた。
どんなに高潔な理由であったとして、それを飲み込み命を投げ出すことができる人間など完全に頭のネジが飛んでいる。
ただ、悔しくも勇者学校側の言い分にも完全に反駁できるかと言われれば、それは無理であった。
次なる勇者の擁立が全人類の命運を左右することは言うまでもない。
近頃では魔王の復活は目前だという噂も聞くようになってきた。
王国としてもなりふり構ってられない状況なのだろう。
弱者の屍の上に強者が成り立つことを黙認しなくては未来のない世界。
そんなくそったれな文字の並びにアルデは腑が煮えくりかえるような思いだった。
「これも全部……俺のせいか」
「そうです。あなたが兄さんを殺したことが世界を壊したんです」
イトの真っ当な主張に言葉もなかった。
実際に、ここにいる少女たちは直接的に自分の行いの被害者なのだから。
顔をしかめ、足元をじっと見つめるアルデに、イトは意を決したように言葉を投げかける。
「——だから、その責任をとってわたしたちを鍛えてください」
「……?」
怪訝な顔で首を傾げるアルデにイトは捲し立てるようにして言う。
「今日の戦いで、自分の実力の足りなさを痛感しました。そして、あなたがどれほどの実力を持ち合わせているのかも……。悔しいですが、西リリアにいる以上他に選択の余地はありません。
悪魔の力だって借りる……。
アルデは彼女の覚悟がこもった言葉が、未来への宣誓のように聞こえた。
「……いいぜ」
口の端を歪ませてアルデは不敵に応える。
「上出来だ。一瞬でも過去を顧みた俺が馬鹿みたいだな。手っ取り早くお前らを鍛えて、一人前の勇者にして俺はその功績でこれまでの罪をチャラにする。お前らは自分の死に場所を自分で決める力を手に入れる。契約成立だ」
「言っておきますけど、あなたが兄さんを殺したこと、赦すつもりはありませんからね。いずれ然るべき形で報いを受けていただきます」
「ハッ! やってみろよ。へっぽこ」
にやりと口端を歪め、アルデは元来た校舎に帰っていく。
こうして、『勇者喰らい』アルデと落ちこぼれ少女たちの歪な学園生活が改めて幕を開けた。
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