第4話 決別のイト

 フラレ市場から帰宅したその夜。

 少女たちは学校の敷地内に建てられた寮——そのリビングにて、しめやかな時を過ごしていた。

 イトの、旅立ちの日だった。

 西リリア分校の恒例行事。

 ここに集う生徒なら誰にでも等しく訪れる瞬間。

 実際少女たちはこれまでに幾人もの級友たちを見送ってきた。

 しかし、今日も、そしてこれからも……


「まったく、慣れないわね。この瞬間だけは」


 ため息混じりにエレナがこぼす。

 制服姿に着替えた彼女らはその重苦しい空気になんとか耐えようと思い思いの方法でこの時間を過ごしている。

 紅茶を啜る者、本を読む者、虚空を見つめる者。

 そんな虚な時間が過ぎゆく中、ひとりの声が寮のリビングに響き渡る。


「みなさん、これ見てください!」


 イトだった。

 帰ってくるなり自室に引っ込んでしまった彼女のことを全員が憂いていたが、どうやら杞憂だったらしい。

 今日の市場で買い込んだアクセサリーにジュエリー、それから例の純白のワンピースを可憐に身に纏い、恥ずかしげにくるりと一周回ってみせる。

しかし、どんなにイトが楽しそうな表情をしても、他の少女たちはどうしてもそれがカラ元気に見えてしまって辛かった。

 イトもそのことを理解してか、変わらずに明るい調子で続ける。


「今日、わたしはここを出ていくことになります。ですが、タダで出ていくつもりはなくなりました」


「まさか——」


「抵抗してみます」


 力強い発言とは裏腹に不安げな笑みを浮かべるイト。


「ほら、占い師さんも言っていたじゃないですか。希望が見えなくても、それを思うことすら諦めてしまっては夢にすら見れないって。だからわたし、今日は夢を見ます。どうせ居なくなるなら、夢を見ながら……ね?」


「イト……」


 ソファに腰掛けていたエレナがゆらりと立ち上がると、力強くイトを抱擁する。


「えらいわ……立派よ、あんたは」


「エレナ……」


「よし、そうとなったらあたしたちもぼーっとしてちゃいけないわね」


 落胆していた他の少女たちを鼓舞するように天高く拳を掲げるエレナ。

 オズもライサもフーリエも、生気が戻った目で力強く首肯する。


「ありがとうございます、みなさん。でも——」


 イトは泣きそうな顔で仲間たちに願いを伝えた。


 アルデが教師として赴任してきて二日目の深夜。

 日付が変わる少し前に、その異変は起こった。


「なんだ、ありゃ……」


 夜闇に紛れて観測しづらいが、学校の敷地内——入り口付近の空間に小さなひび割れが起こっていた。

 そのヒビは時間が経過するごとに徐々に空間に広がり、やがて……。

 ぱりぃんというガラスが割れるに似たような音と共に砕け散り、空間を裂く。

 そこから現れたのは二つの影であった。


 ひとつはボロのハットにブラウンのスーツを身に纏った、病的に青白い肌に長身痩躯の男。

 そしてもうひとつは、異形の者であった。

 ゆうに成人男性三人分以上はある背丈に足先に付くほど長く伸びた両腕。どこが目になっているのか判別できないほど皺だらけの頭はしっかりとした身体に相反してぐらぐらと揺れている。そして、白い肌に漆黒の鎧を纏ったようなその体躯からは形容し難い、しかしまごうことなき強烈な悪意のようなものが放てれていることが遠目からでも感じ取れた。


 さらに、その登場を予見していたかのごとく五人の少女達がその眼前に立ちはだかっているではないか。


「くそっ、次から次へと忙しい一日だぜ」


 今日に限ってユニスは本校の業務が立て込んでるとかで朝から学校に来ていない。

 状況的に一報を入れ応援を呼ぶべきなのかもしれない。

 だが……。


「チッ」


 アルデは全ての思考を振り払い、一目散に前庭へと駆け出していた。


「やあやあやあ君たちぃ〜随分とお久しぶりじゃないか〜。元気してた?」


「ソラリス=エルドベルト……」


「あれま、僕の名前覚えてくれたんだ。嬉しい限りだね」


 男は口元だけで笑い返すと、大仰に腕を広げハットを取って腰を折る。


「お初の人は初めまして。そうでない方はお久しぶり。魔王様を崇め魔王様と共に新世界を作り上げる崇高な組織、楽園創造教の末席。序列七五位のソラリス=エルドベルトで〜ございます。以後お見知り置きを」


ソラリスはわざとらしい仕草で帽子を被り直しさて、と切り出す。


「実は僕もあんまり暇じゃないんだ。早速で悪いけど今日の出荷物をもらっていこうかな」


 その声に応えるようにしてイトが進み出る。


「わたしです……」


「ほう、君がイト=クィントゥムかぁ。お噂はかねがね。あの〜なんてったっけね。そう、南無三の勇者だっけ? アレの妹さんだよねぇ? いやーー、まさかこんなに可愛い子だったとはね。そのワンピース、よく似合ってるよ」


 下卑た笑みを浮かべる男の言葉を無視して、イトは腰から下げていた豪奢な装飾が施された大ぶりの剣を引き抜く。


「へぇ、使い込まれた良い剣じゃないか。お兄さんの忘れ形見かなにかかな?」


「そうですね……」


「なんか縁起悪くな〜い? その剣、いっちばん不甲斐ない勇者が使ってたヤツだよ? 飾っとくならまだしも使おうってんじゃ、ねぇ?」


「……わたしたちがその化け物に勝ったらこの取引はなくなる。そうですね」


「ああ、そういう契約だからね。あ、後ろの娘たち。離れといたほうがいいよ。せっかくの献上品が毎度傷だらけじゃ魔王様もイライラしちゃうだろうからね」


 へらへらと笑ったかと思うと、ソラリスは急に無表情になり冷酷に命令する。


「やれ、空蝕鬼くうしょくき


 異形の怪物——空蝕鬼は象とも馬とも似つかない奇怪な唸り声を上げると、その巨体からは想像できないほどの速度で飛行。一気にイトとの間合いを詰め、不自然なほどに長い右腕をイトめがけて振り下ろす。


「くっ【灰雪かいせつこうッ】!」


 咄嗟の姿を眩ます術式で空蝕鬼の一撃を回避する。

 振り抜かれた腕は整地された地面にぶつかり、人ひとりぶんほどの大きさのクレーターを形成する。


(なんて威力ッ……一撃貰えばそれでアウトですね……)


 そう考えるや否や空中に身を躍らせ、空蝕鬼の背後を取ったイトは姿を現し、落下速度を加えた渾身の一撃を怪物の背中に喰らわせる。


「だぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 果たして、ダメージを受けたのはイトの方だった。

 空蝕鬼の体表を覆う黒い硬質の部分は、勇者ルイル愛用の大剣でも傷ひとつつかないほどに頑丈。それどころか大きなショックを与えたイトの方にその反動が帰ってきて危うく形見の剣を取り落としそうになっていたのだ。

 昆虫のように長い不気味な腕がイトに迫るも、ギリギリのところで雪に紛れダメージを肩を掠めるにとどめる。

 体勢を立て直し降りしきる灰色の雪の中を駆け抜けながら、イトは冷静に戦況を分析する。


(あの硬そうな鎧の部分に攻撃を与えてもわたしの膂力では傷ひとつ与えられない……なら、わたしが狙うのは剥き出しの白い部分ッ!)


 思考をまとめると、イトは空蝕鬼の隙をつき一瞬だけ雪から出て自傷にならない程度の軽めの一撃を与え、すぐに雪の中に消える。

 いわゆるヒット・アンド・アウェイの戦法だ。

 これを繰り返すことで空蝕鬼の動きの癖を把握し、必殺の一撃に繋げようと試みるイト。

 対して、攻撃をかわされイトの姿を視認できないからか前庭のそこかしこを辺り構わず破壊してゆく空蝕鬼。

 自分の攻撃が命中せずに自棄ヤケにでもなったのだろうか。

 そのつんざくような雄叫びの大音声が真夜中の校舎に反響する。

 前庭に凄まじい寮の土埃が舞い、視界を覆う。

 これもイトの作戦の内であった。


(わたしが狙える生身の部分は両手両足と頭。浮いてる相手に足を落とすのは効率が悪いですし、腕は反撃のリスクが高い……。となるとやはり背後から頭を切り落とすのが一番効率的……ッ。そのためには……)


 できるだけ空蝕鬼が反応できない状況から、一撃で決める必要があった。

 少なくとも人体に置き換えるなら首は絶対の急所。

 そこを狙っていることがバレると敵のガードが固くなり、イトとしては詰みの状態。

 自分の魔力が切れるまで逃げ続け、殴殺される未来しか待っていない。

 自らの姿を眩ませる【灰雪】の術式には自信があったが、その上で保険として空蝕鬼の感知感度を極限まで下げる砂埃だ。

 占い師の言っていた通りだ。簡単な道じゃない。

 失敗は許されない。

 だが、こんなにギリギリの状態でもイトからは焦りの感情は見えなかった。

 それは、占い師の言葉が彼女の心の中で反芻されていたからだ。


(『長生きする』って、言われました。諦めなければ、きっと……)


 その言葉がイトの心を燃やし、躍動のギアを一段階上げる。

 重たい剣を構えながらもトップスピードに到達したイト。

 空蝕鬼の大ぶりな腕の攻撃の後隙を狙い、再び空中に舞うと先ほどよりも大きく振りかぶり衝撃インパクトのギリギリで【灰雪】を解除。

 自分にできる最大限のさらにその上。乾坤一擲の気持ちを込めた一撃を怪物の白い首めがけて振り下ろす。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」


 ガキィッ!


「えっ……」


 イトはその状況を理解するまでに無限のように感じられる時間を要した。

 自分の限界を超えた一振り。百二十パーセントの力を集約した一撃は空蝕鬼の黒い鎧——正確には鎧に覆われた長い腕に防がれていたのだ。

 酸欠に霞む視界でよく見てみると、振り下ろされたと思っていた腕の先にこの怪物が現れた時に発生していた空間の裂け目ができている。

 そして、それは怪物の首の背後にもうひとつの裂け目を作りあり得ない方向から腕を伸ばしていたのだ。

 気づいた時にはもう、手遅れだった。

 百二十パーセントの力を込めた一撃が、そのままの威力で反動となり自身の腕を、肩を、脳を襲う。

 まったく力が入らない手はそのまま大剣を放し、宙を舞った忘れ形見は深々と地面に突き刺さる。

 それと同時か数瞬遅れて、イトも地面に打ち付けられる。


「かはっ……」


 あまりの衝撃に肺から空気が抜け出し、視界が歪む。

 背中に走る激痛は立ち上がるは疎か起き上がることすら許さず、イトを穴だらけの前庭に縫い付ける。

 掘り返された湿った土が、純白のワンピースを濡らしていくのが感じられた。

 声を出すことすら叶わないイトに追い打ちをかけるように空蝕鬼の腕が迫り、その灰色の髪を恐ろしい握力で掴み上げる。


「う……あ……」


「ふっ……ふふふっ……ははははははっ……キャハハハハハハッ……ああ〜、いいね。傑作だぁ」


 ドロドロに汚れ身動きの取れないイトをソラリスが嘲笑う。


「ねぇ〜今の気持ちどう? 一瞬やれると思ったよねぇ? そういう希望に満ちた目ぇしてたもんねぇ? キャハハハハハッ、ざーんねーんでーしたー。お前くらいの考えで突っ込んでくる馬鹿な連中をこの空蝕鬼が何百人餌食にしてきたと思ってるんだ? えぇ? 南無三の勇者の妹ォ? 笑わせるぜ。お前なんて勇者候補からも外された落ちこぼれの家畜風情じゃねぇか、ハハァッ!」


 ソラリスは宙吊りにされるイトの許に這い寄ると、その苦痛に歪んだ顔をペチペチと叩き頬を撫でる。


「ま、これで詰みだな。安心しな。その勇気に免じて、しばらくは飼い殺しにしてやるよ。お前さんくらい顔もスタイルも良きゃあうちの男たちが喜ぶよ、ッハハァ! しっかりとその心ぐちゃぐちゃに掘り返してから魔王様の贄にしてやる」


「くっ……」


 悔しかった。

 自分の全力を破られたことが。

 兄への侮辱を黙って聞くことしかできない現状が。

 そして何よりも自分の運命を打開するどころか、魔王信仰団体で慰み者にされるという最悪の結末を招いてしまった自分の無力が。

 どうしようもなく悔しくて、涙が溢れて仕方なかった。


「ハッハッハァ……こいつビビって泣いてやがるぜぇ。恨むんなら、自分の行いを恨むんだなぁ」


 高笑いするソラリスを見て、イトの戦いを見守っていた少女たちにも動きが出る。


「みんな、いいわよね」


 エレナがそう訊くと、他の少女たちも『気持ちは同じだ』とばかりに無言で頷く。

 この戦いが始まる前、イトからお願いされていた。


『みなさんは、見ててください。万が一わたしが敗けたときに……次に楽園創造教が来たときに、誰も犠牲にならないように』


 その覚悟を受けて、未来に繋ぐという約束のもと少女たちは今にも駆け出しそうな足を必死に押さえ、溢れ出しそうな殺意をぐっと押し殺してきた。

 だが、それももう限界だった。

 目の前でひとりの仲間の未来が真っ黒に塗り潰されようとしている。

 それも、考えうる限り最悪の方法で。

 もし助けることができたら、そのときはイトに謝ればいい。

 目の前の仲間も助けられないで何が未来か。

 ——何が、勝利か。

 覚悟を決め、エレナを中心に少女たちが戦場に一歩を踏み出そうとしたそのとき、間の抜けた声が校舎の方から聞こえてきた。


「おいおいおいおい、ちょっと、困るぜ旦那ァ。学校の庭で穴掘り大会でもやってたのか? ここ公園じゃないの! 学校! わかる? あとその見たことねーけど、ワンちゃんかな? そのペットがじゃれてるのうちの生徒なんだよ。ちょっと迷惑そうにしてるから離すように言ってくんね?」


 予想外の人物の参入に一瞬、戸惑いを見せたソラリスだったが、すぐに冷静さを取り戻すと余裕の笑みを浮かべる。


「あら、見ない顔だなぁ。新入りのせんせーってとこかなぁ? 済まないが君には無関係の事柄なんだ。死にたくなければ早急に忘れるに限る」


「あ、そうなんですか〜、それはどうもご丁寧に」


 アルデは地面に突き刺さったルイルの大剣を軽く引き抜く。


「んじゃ、あそのふざけたペット共々殺処分ってことでいいな」

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