第1話 クソから始まる教員生活
十二代目勇者ルイルの死から二年。時のルート王国女王ユニス五世の構想により発足された勇者学校。
その目的は捕食されたことにより失われた勇者の力を再発掘し、守り育てることにある。
教員には歴代の勇者のパーティで活躍した名だたる英雄・傑物が勢揃いし勇者の歴史から野営技術、果ては個別独自の魔術や戦闘訓練なども実施されている勇者を生み出すための専門養成所といった風体だ。
そして、王都に広大な面積の敷地を持つ本校とはかけ離れた位置、王国の辺境リリア地区の海にほど近い西部にアルデの赴任する校舎——西リリア分校はあった。
大きな体育館二つぶんほどの面積を誇り、前庭と寮を兼ね備えた豪奢で近代的な作りの屋敷こそがその唯一にして最大の建物である。
赤い外壁が特徴的なその屋敷からは五人の女子生徒たちの姦しい声が外まで響いていた。
「ね〜、今日から新しい先生来るって聞いた?」
「あ、それ前に来た先生が言ってた。なんかユニス校長の知り合いで男の人らしいよ」
「も、もしかして彼氏っ⁈ ユニス校長若いもんね〜っ! きゃ〜」
「そういう詮索はよくありませんよ、エレナ。先生だって人間、プライバシーを突かれるのは面白くないでしょう」
「硬いこと言わないのイト。あんただって昨日寮でこの話したとき顔真っ赤にして聞き入ってたじゃない」
「そ、それ言いますか⁉︎ ここでっ⁉︎」
年相応の表情であどけなく笑い合う少女たち。
西リリア分校に在籍しているのは現在、たった五人の少女たちだけであった。
全員が身に纏うは白のカッターシャツに臙脂色のネクタイ。そして全身を包み込むようにデザインされた紺のワンピースは所々にあしらわれたフリルも相まって、彼女たちの幼さが残る魅力を余すところなく引き出している。
勇者学校の制服であった。
談笑の時間もここまでと言わんばかりに始業のチャイムが鳴る。
ようやく、噂の人物登場のときだ。
年頃の女子生徒にとっては同級生の男が転校してくるよりもむしろ緊張する時間かもしれない。
どんなイケメンが来るのだろうか。
どんな優しい先生が来てくれるのだろうか。
どんな優秀な先生が来てくれるのだろうか。
それぞれに期待で胸を膨らませながら待つこと数分。
「——遅くない?」
「遅い……ですね。初日ですし、始業準備で手間取っているのでしょうか」
ちょっと様子を見てきますね、と灰色の髪をツーサイドアップにした少女——イトが席を立ったその時、教室の扉とは真反対——庭に面した窓の方から破砕音が轟く。
振り返るまでもなく目の前に入ってきたのは、大きな細長い体躯をビッシリと黄金の鱗で覆ったドラゴンであった。
ドラゴンはその湿った身体で教壇のあたりをゆらゆらと飛行すると、何かをその背から下ろし、すぐに窓の外から飛び立っていった。
呆気に取られる少女たち。
当たり前である。新任の教師が来ると思って待機していたら見知らぬドラゴンが突撃してきたのだ。
たっぷり一〇秒ほど固まっていると、先ほどドラゴンが落としていったものがうめき声を上げる。
「う……あぁ……」
少女たちが目を向けると、そこに伏していたのは磯臭さ満点で身体中に海藻を巻きつけたずぶ濡れの青年だった。
小脇に抱えている包みは浸水してふやけ、中身がまろび出ている。
チョークに見覚えのある教科書、そして閻魔帳……。
まさか。
その場にいた少女たち全員が青年の荷物を見て一瞬とある職業を想像したが、瞬時に否定した。
そんなわけがなかった。
イケメンで優しくて優秀な教師が、まさか着任初日からボドボドの状態で窓からダイブしてくるなんてあり得ない話だ。
忘れよう。これは何かの悪い夢だ。
あまりにも異様な光景に少女たちが言葉を失い頭痛を催し始めた頃、ずぶ濡れの青年が掠れた声を発する。
「……そ」
「え?」
「クソぉッ!!!!!!!!!」
怒りのままに声を発した青年——アルデに一同微動だにせず注視を続ける。
「あんの
訳のわかわない妄言を吐き散らしながら身体中の海藻を振り払い、そのままズイズイと教卓に辿り着き荷物を置くアルデ。
夢なら早く覚めてほしいほどに、奇異な光景だった。
血走った眼で教室を睥睨すると、なんの罪もないひとりの少女をギロリと睨み、キレ気味に当たる。
「おいテメェ、なーんでお立ちになってるのかなぁ?」
「え? あ、わたし?」
「おめぇしかいねぇだろうがよお! この教室に立ってるのは! 先生が教室に入ってくるまでに着席しとくのがこの学校のルールじゃなぇのかよ! ええ?」
「え、あ、はぁ。すみません」
突然振りかざされる正論に、イトが理解を諦め着席をするとすかさず
「起立ィつぅ!!!」
なんで座らせた、と内心毒付くイトに構うそぶりなど見せず号令を強引に進めるアルデ。
「気をつけぃ!」
ピシッ。
「右向け、右!」
(((((ん?)))))
「礼っ!」
(((((えっ⁈)))))
「「「「「お、おはようございます」」」」」
「本日はお日柄もよろしく」
「え?」
「うん? なんだ灰髪? 先生の顔になんか付いてるか?」
いや、鱗なら山ほどついてるけど……。
その言葉をぐっと堪えてイトは首を横に振り、
「いえ……なにも」
「そうかい。ちゃくせーき」
パラパラと自分の椅子に座る生徒たち。
皆の気持ちは同じだった。
(((((やっ、ヤバいやつが来たぁ……)))))
口元を引き攣らせる生徒たちなんてお構いなしにアルデは早速授業のほうに取り掛かり始めた。
「えー、じゃあまず出席をとりまーす。あぁちくしょッ閻魔帳の文字全部洗い流されてるじゃねぇかあの
「えっ、あっ、はい」
最初に立ち上がったのは先ほどアルデのとばっちりをモロに受けた灰髪の少女だった。
「イト=クィントゥムです。このクラスの学級委員を務めて——」
「はい! ありがとう。成績いいけど素行不良で飛ばされたイトちゃんね! よろしくぅ!」
「いや、喋ってないことまで知ってるじゃないですかッ⁉︎」
「はい次ぃ!」
この調子で他の面々も自己紹介を続けた。
薄紫色のウェーブがかかったボブカットで、最も小柄な少女——オズ。
真っ赤な長髪に花の髪飾りを付けた、気が強い少女——エレナ。
豪奢な金髪に他とは超然たる美貌を持つ、落ち着いた雰囲気の少女——フーリエ。
癖のついた茶髪とハッキリとした喋り方が特徴的な天真爛漫な少女——ライサ。
この五人が西リリア分校の生徒全員であった。
最後のライサが席につくと、アルデは脇目も振らずに授業を開始する。
「さって、一時間目は〜んだよ数学かよったくアガんねぇな。だー、いいか? まず数字の『6』これに気ぃつけろ。『6』っつうのはな、だぁくそチョークべちゃべちゃじゃねーかおい。よし、チョーク溶けたのでこの時間は自習! じゃ、張り切ってやってみよう!」
そう言い残し扉の彼方へと走り去ってしまった。
静寂だけが取り残された空間で誰からともなく独りごちる。
「イケメンじゃなかったわね……」
「優しさどころか狂気が滲み出てたね、あはは……」
「優秀な可能性は……ない、かもですね……」
数分前までの楽しく姦しい教室とは思えないなんとも異様な空気がこの場を支配していた。
しかし、数瞬後少女たちの叫びは見事なハーモニーを奏でた。
「「「「「なんじゃあいつはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?????」」」」」
結局少女たちは淡々と自習をこなす者あり、空いた時間を趣味に費やす者ありでそのままお昼休みに突入した。
「結局何だったんでしょうね、あの人」
今朝自分で作った弁当のスクランブルエッグを突きながらイトが眉間に皺を寄せる。
「わっかんない。けど、明らかにまともな教師ではないのは確かね」
「まったく品性のかけらも感じられない殿方は見苦しいわね。八〇点減点」
エレナ、フーリエが重ねて不満を口にする。
「でもでも、なんか大変な目に遭ったみたいだったし、初日のうっかりさんってことで多めに見てあげようよ! ね?」
寛容な審判でライサがフォローし、
「ぼくは面白かったけどね。次来る時は火だるまだったりして。へへ」
オズは恐ろしい妄想をしながらほくそ笑む。
そのままアルデの話題が昼休み中尽きることはなく、少女たちは口々にあーでもないこーでもないと某アブなすぎる教師と今後どう付き合っていくかについて議論を重ねた。
そんな中でイトがふと、こんなことを口にしていた。
「わたし、あの先生の顔なんだか見覚えがあるような気がして……」
どーせ思い違いよ。そこら辺にいそうな顔だったし。
そうエレナに流されイト自身も誰かの顔と似ていたのだろうと納得した。
次にアルデが少女たちの目の前に現れたのは昼休みが終わってすぐ。午後の一時間目のことだった。
「いやー、すまんすまん。前庭を気持ちよさそ〜に歩いてる
手を合わせ気色悪く首を傾げるその姿に少女たちが悪寒を覚え始めたのを感じたのか、アルデは咳払いをひとつすると真面目なトーンで話し始めた。
「んホコンっ……えーと、お前たちに自己紹介をさせておいてまだ俺の自己紹介をしてなかったな。俺はアルデ。アルデ=クラムだ」
「アルデ=クラムッ⁈」
イトがそう声を発すると教室中がざわめき始めた。
「もしかして、あの……」
「まさか、じゃあなんで教師なんてやってるのよ」
アルデは居心地悪そうに首の後ろを撫でながら、目を見開くイトに言葉を投げる。
「んだよ、文句でもあんのか灰髪」
「文句なんてそんな……むしろ嬉しいです。やっと会えた。この日をどれだけ待ったことか……きっと冥土の土産に神様が味方してくれたのね。感謝します」
そう言うと不気味な薄ら笑いを浮かべ、修羅のような形相でアルデを睨みつける。
「『勇者喰らい』ッ……兄さんの仇、ここで討つッ!」
勇者学校西リリア分校での教師生活。
その最初の難関が早くもアルデの前に立ちはだかっていた。
第十二代目勇者ルイルの妹——イト=クィントゥムが牙を向く。
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