月夜に跳んだ

月夜に跳んだ

 僕は深夜によく散歩する。

 川辺に続く自転車道を、歩きながら小説のストーリーを考え、組み立て、整理するのだ。

 散歩も小説も、僕の趣味だ。

 夜道はほとんど街灯もなく、当然暗い。だけどそれが良い。自分の世界に没頭できる。人とすれ違う事もほとんどない。結構集中出来るのだ。

 そんな夜道を歩いていると、時折パシャンと川から音がする。最初は誰かが石でも投げているのかと思った。だけどすぐに、それは魚が跳んだのだと気付く。跳んだ魚は滅多に見れない。当然だ。パシャンという音は、魚が水面に当たった時の音で、音に気付いて川を見た所で、魚はもう水の中なのだ。川面に波紋が広がっている。ただそれだけだ。

 それでも時折、何度も跳ぶ魚がいて、それを目に出来る事がある。


 その日も、深夜に散歩をしていた。川辺には何本も桜の木が植えられていて、明るい内に来れば、見事な桜を見ることが出来る。しかし深夜となれば、話は別だ。夜桜なんて言葉があるが、街灯もない夜道の桜に、その言葉は適用されない。

 しかしその日は違った。月がまあるく明るい夜で、月明かりにスポットライトのように照らされて、夜風に舞い散る桜の花びらが、白くほのかに発光したように、妖しい世界を創り上げていた。

「……」

 思わずその幻想的な光景に見とれてしまっていた。

「?」

 最初は風に飛ばされた布が、宙を舞っているのかと思った。薄桃色が、月明かりに透かされ、桜の木の周りをひらひらと舞っているのだと。しかしよく見ると、それは服の一部なのだと、すぐに気が付く。

 月明かりの下、桜の周りを舞う人型のシルエットが、そこにあった。そのシルエットは、引力に負けて低い地面を鈍重どんじゅうに舞っているのではない。桜の木そのものの周りを、引力など全く無視して、宙を泳ぐかのように舞っているのだ。

 シャンシャンと、シャララシャララと、シルエットの動きに合わせて、そんな鈴の音が鳴っているような、奇妙な錯覚に囚われる。

 シルエットは、昔話によく出て来る、天女のような姿をしていた。薄桃色の、薄い布の服を着て、服の一部をゆらゆらと、ひらひらと、満開の桜の木の周りを、舞うように、泳ぐように、宙を漂い、揺らし、時折ポンと、宙を蹴るように跳び、シルエットは優雅に踊る。

 細心に、大胆に、シルエットはしばし幻想を紡いでいく。その表情は月明かりの影となり、全体を視認することが出来ない。

 ただ一つ、楽しそうに、ゆったりと微笑む、口元が時折見える。踊る喜びが、見えるそれから僕の心にも伝播してくる。

 どのくらい、時は流れていただろう。やがてシルエットは、宙を蹴り、跳ぶと、川の方へと、キラキラと余韻のような筋を伸ばし、流れて行った。

 川面に黄色い月が映っていた。

 ”月はこんなに大きかっただろうか……”

 シルエットはその月の中に、飲まれるように足を付ける。

 パシャン

 その音と同時に、シルエットは川面に付いた足から、あぶくのように姿を変え、霧散し、消えていった。

 川面に映る月が、波紋にゆらゆらと揺れていた。

「……」


 パシャンと音を立てたのは、いつもの魚だろうか。

 それとも……


 だとしたら、彼女はまた、跳んでくれるのだろうか――

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月夜に跳んだ @LaH_SJL

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