月の影

音崎 琳

月の影

 水面からやわらかく差す月の光が、ひときわ明るい夜でした。その光がちょうど真上から降り注いだとき、エナは洞窟をすべり出ました。

 本当は、ひとりきりで泳ぎ出すなんていけないことなのです。それも、こんな真夜中に。でもエナは、次の太陽の光が差し込んでくれば十四になり、それは十五にたった一年満たないだけですから、もう、ほとんどおとなの人魚です。おとななら、群れを離れてひとりで泳いでもいいのです。

 海草たちだけがそっと波にそよぐ、静かな夜でした。ゆらゆら、円く揺れる月影を見上げているうちに、エナはどうしても、水面まで行ってみたくてたまらなくなりました。

 長い黒髪を指でいじりながら、エナはとうとう決心しました。

 尾で力づよく水を蹴って、昇ってゆきます。小さな白い胸が、どきどきと高鳴っているのがわかります。

 えいっ、と目を瞑って、エナは、水面の月に頭からぶつかりました。

 その瞬間、鋭い音とひんやりした感触に、叫び声を上げそうになりました。まるで頭だけ、冷たい海流に捕まってしまったようなのです。エナは慌てて目をひらきました。

 そこは変な場所でした。海との境はちらちら光りながら絶え間なく揺れうごき、大きな音がそこかしこで響きわたっています。その上を冷たい海流が流れつづけているのが感じられるのですが、全く目には見えません。そして何より、エナがぶつかったはずの月が、どこにも見あたらないのでした。

 四方八方からの水音と、破裂しそうにどきどきしている胸の音で、エナはほとんど耳が聞こえなくなりそうでした。水面に揺られ、散らばってしまった月のかけらのようにばらばらな気持ちのまま、月を探すときのくせで、エナはつい上をふり仰いで――

 そこに、目が見えなくなるほど深い海と同じ、あの藍色のまんなかに、突き刺すように銀に光る砂粒にかこまれて、くっきりと円い光が、揺るぎなくあったのでした。

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月の影 音崎 琳 @otosakilin

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