深夜の散歩で起きたこと

ぱんのみみ

さる散歩の顛末

 この世には魑魅魍魎が跋扈している。

 恐ろしいもの、おぞましいものと言うのは存外身近なところにあるものだ。白昼の下だろうとそれは容赦なく現れる。見えないだけのそれの不在を証明することができないのだから、我らは甘んじてそういったものと同居をしていくしかないのだ。


「観光でこの国に来たが、ここは本当にいいところだな」

 ある寂れた商店街の片隅。気まぐれに開いているバーの傍らに三人の男が共に語り合っていた。一人は翡翠色の髪を持つ男だった。コスプレイヤーのような格好だったが、それにしては服装が質素だった。飲んでいるのはブラッディ・メアリーだ。

 その隣に座る男はちまちまとウィスキーを嗜んでいる。金と黒の混ざった風変わりな髪を束ね、時代錯誤な黒い羽織を纏っている。なにせその背中にはでかでかと龍が刺繍されているのだから。

「そう言って貰えて嬉しいよ」

「おいおい、お世辞じゃなくて本心からの言葉だ。もっと喜んでくれ」

「はて、そのような観光客がこのような時間に……しかもこんな寂れた商店街にくるなんて。珍しいこともありますな」

 焼酎を飲む銀髪の男はそう冷やかした。翡翠の髪の男はニタリ、と笑みを浮かべる。

「まあまあ、細かいことは気にするな。こんなの深夜の散歩の延長戦に過ぎん。それよりも今日出会えたことに感謝をして盃を混じえた方が余程有意義だ」

「確かにそれは一理あるかもね」

「では」

 占い師を騙る男は静かに己の盃を掲げた。それに合わせて他のふたりも盃を掲げる。


「この良き一夜の出会いに」


 ガラスのぶつかる音が響き三人は一気にグラスの中のアルコールを胃に流した。胃壁が焼けるような熱を持ち心地よい夢のような感覚に陥る。

 そして大抵そう言うふらついた酩酊感というのもは人の心をほんの少し素直にさせるものだ。


「そういえば大した話では無いんだが、誰かに聞いて欲しい話があるんだ」

「へえ。美味しいチキンを食べた話?」

「まあ、そんなところだ」


 男は静かに口角を上げた。他のふたりは話の始まりを黙って待つ。

 彼らの三人には共通項などなかったし話題も特にはない。そういう一夜限りの知り合いは面白い方へと流されていくのだ。まるで炎によりつく蛾のように。


「これは今日のように深夜に散歩をしていた時の話なんだが」

 すっかり夜も深けた頃、彼はひとりで夜道を歩いていた。夜の散歩というものはいいものだ。昼の町は賑やかで命に満たされているが、夜の街にはまた異なる趣というものがある。例えばそれは骨身にしみるような寒さとここでは無いどこかへ連れ去るような異質感。あるいはどこまでも広がる闇と静寂とか。

 最も、彼の歩いていた道は等間隔に街灯が灯っていて決して暗くはなかったが。

「だからだろうな。それに気がついてしまったのは」

 いくつか先の街灯の下に鶏がたっていた。都会の路地の街灯の下に、鶏だ。おかしいとすぐに分かった。だからこそ男はあえて躊躇いなく真っ直ぐに進んだのだ。

 だがどれほどに進もうと、まるで道が沼でできているかのように前に進めなかった。鶏と我の距離は永遠に開いたまま。冷たい夜闇だけがこぼれ落ちていく。それから、街灯が描き上げた影に気がついた。

 姿は鶏だったが、影は違った。

 それは巨大な龍の形をしていた。

 人はそういうのをなんというのだろうか。恐らくこう呼ぶのだろう――『悪魔』、と。


「あいにく私は何かを持っている訳では無い。どちらかと言えば無一文だ。なにせ私はただ散歩に出ただけだからな。だが悪魔は私に何かを差し出せと言ってきた」

「それで……?」

 片付を飲み込んで和装の男が尋ねると、観光客は小さく苦笑した。その瞬間、ブレーカーが落ちたかのように部屋が真っ暗になる。


「うわ」

「む、どうやらブレーカーが落ちたみたいですね……」

 マスターがカウンターを離れて裏手へ歩いていく。その中で観光客は一人静かにグラスに唇をつけた。その口元が静かであやしい笑みを称える。


「特に何があったわけじゃない。気がついたら朝になっていたんだ。私は狐に化かされたのかと思っただけだ」


 すぐさま電光は復旧した。話の顛末を聞いた和装の男は小さく身体を震わせる。

「全くびっくりしたよ。今のですっかり酔いも覚めちゃった」

「ええ、同感です。しかし飲み直すには些か夜が遅すぎるようですね」

 見れば時計の針は四時を指している。季節によっては空の裾野がしらんで来る頃合だ。縁もゆかりも無い三人は肩を竦めて立ち上がった。それぞれの勘定を済ませて外に出る。

 まだ暗い街中、ネオンサインの灯りがやや遠くで点滅している。観光客は静かに笑った。

「大した話じゃなかっただろう。ただあれだ。顛末があれだったから少し歯切れが悪くてな」

「なるほど。それでしたら良い案がございます」

 領収書を長財布にしまいながら占い師は笑みを浮かべる。


「そういうことがあった日には早く家に帰って、風呂にゆっくり浸かってから、お酒と少し塩っぽい生ハムでも食べてからゆっくり寝るに限りますよ」

「全くだ。オレの故郷でもそう言われてたのをそれで思い出したとも。やはり怪異の打開策はそれに限るな」

「非日常的な日にこそ日常を遵守せよ、ということか。ははは、胸に刻んでおくよ」


 まさに非日常的な出会いをした三人は笑いあった。

「ではな。良い夜にまた巡り会えるように」

「ええ、縁があったらまた」


 男の背中が暗闇に熔けていくのを占い師はひとりで見つめていた。その横で和装の男がそういえば、と首を捻る。

「結局美味しいチキンの話は出てこなかったね。あれはどういう意味なんだろう」

「ああ……それは……」


 ……この男は放っておいても結論に辿り着きそうだが、わざわざそれを口に出せるほど占い師の肝は座ってなかった。だからこそ、静かにため息混じりに結論を述べる。

「……世の中に知らない方が良いこともある、ということですよ」

「……?」

「家に帰ってから食べたんでしょう。それを言うのを彼はただ忘れたのですよ」


 そういうことにしよう。

 そういうことにしておけばよろしい。

 不可思議に巻き込まれた時に生き延びることが出来るのはそうでないのだと、不可視を貫き通すことのできる人間だけだ。だからこそ、そのまま――何も見えなかったことにしておくのが良いことなのだ。


 例えばほら、暗闇に熔けていく男の影が蛇の形をしていたとしても、占い師にはもう関係の無い話だった。

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深夜の散歩で起きたこと ぱんのみみ @saitou-hight777

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