第3話

どんどん暗くなる森をずんずん歩いていると妙なものを見つけた。先ほど罠を仕掛けに行く道中では、行きでも帰りでもなかったものだ。


「足跡と……これは削れた痕か?」

「足跡はイノシシの物のように見えますね。この二本線は先ほどの個体のような発達した牙によるものでしょうか」

「あれが特別な個体ではなく、複数いたってことか?それにしてもこれは……多すぎないか」


 あたり一帯の木々には余す所の無いくらいに疵が付けられている。それぞれ並行に並んだ疵痕に、加えて踏み躙られた草木に夥しいほとの足跡。それが見えるだけでもずっと向こうから続いてきているし、ここからさらに奥の方にも伸びている。


 複数体いたなんて話では無い。少なくとも群れ単位、多ければ数十体にもなるかもしれない。それほどの数のあのイノシシが、森の奥の方から移動してきたことになる。その中から一頭分だけの足跡が自分たちの来た方向へ続いているのが見えた。こいつが先ほど肉になったイノシシだろう。


「普通に移動するだけならわざわざ木々に疵なんてつけなくても良いはずだし、何かしら意図があっての物か?」

「考えられるのは習性としてのマーキングのようなものでしょうか。あのイノシシがどれほどの群で行動する生き物なのかはわかりませんが、群のナワバリを示す証なのかも。もしくは……道しるべとか」

「道しるべ?獣がそんなものを残すと?」

「いえ、あまり根拠のある想像ではありません。しかし、こうも一定方向にのみ疵が付けられていると、まるで方向を示しているようにも見えませんか」


 木につけられた痕は確かにすべて同じ向きを向いているように見える。足跡と同じように、森の奥から続いてくるように抉れている。


「仮にこれが矢印だとして。どんな理由で残したと思う?」

「単純に考えればやはり後続への目印になるでしょうか。この群と思われる複数体とは別にこの向こうに行きたい何かがおり、その何かは道がわからないのでイノシシたちに先行させ痕を残させた、とか」

「単にこの群のやつらが道を忘れないためかもしれないぞ?」

「それは考えづらいです。そもそもなぜこの数が一斉に移動しているのかはわかりませんが、外敵などが要因ならその襲われた地にもう一度近づく手段を残すとはあまり思えません。それに野生動物、しかも群となれば道を把握する能力も高いはずです。わざわざ跡を残さなくても帰るだけなら問題はないでしょうね」


 つまり、もしこの仮定が当たっていたとすればこの足跡が来た方向、すなわち森の奥側には後でここを通る何かがいることになる。それが人間なのかまた別のキカイなのかはここだけでは把握することはできない。


「明日、明るくなってからまたここに来よう」


 いい加減暗くなり始めたので観察することすら難しくなってきた。ここらで一旦やめて、当初の目的であった罠の確認に行くことにする。


 あのイノシシと思われる群体をどうにかしようとは思わないが、なぜああいう移動をしてなぜあのような痕を残したかはとても気になる。気になるが──。


「やったぁぁ!!鳥だ!!!」


 なにより大事なのは今日明日のメシ事情である。


 三つ仕掛けた罠のうち一つには鳥が掛かっており、長時間暴れたのかすでにぐったりとしていた。そこそこ大きいので食いでがありそうで何よりである。


「ありがとよ、美味しく頂くぜ」


 触っても暴れないほどに疲弊している鳥の首を折り、頸動脈を切って血抜きしながら野営地に戻ることにする。なお他の二つには毛の一本すら掛かっていなかった。


「イノシシのおかげで予想よりずっと沢山肉が手に入っちゃったな」

「そうですね。それで保存食を作ればまた獣などを見つけられなくても肉だ肉だと喚かないようになるでしょう」

「え、うるさいと思ってたの?」

「それなりには」


 こいつはオブラートに包んで会話するという技術を知らないらしい。


「気を遣えないわけではありませんよ。遣う相手を考えているだけです」

「それ褒めてはないよな?……というかお前だって肉好きじゃん。焼肉のとき明らかにテンションあげて皿つついてるのバレてるぜ」

「それはないですね。確かに私には味覚を感じ取る器官は備わっていますがそれだけです。土を食べても肉を食べても本質は変わりませんよ」

「急にすごい早口じゃん」


 そのあと、『蛇』が肉好きで何が悪いのだなんて言ってきたから何も言い返さなかったら勝手に「美味い肉が悪い」なんて結論付けやがった。まあ同意するけど。


 道を戻るのだから当然またあの荒らされた場所を通ることになる。もはや暗くてしっかりと確認する事は叶わないが大まかには変わっている部分はないように見えるし、何なら先ほどより暗い分不気味な雰囲気すら出ている。


 一応小型のランタンは常備しているが、別に使わずとも歩く分には困らないしそもそもランタンに使う油が無くなってきていたので使いたくなかった。そういう意味でも獣脂がとれるイノシシは渡りに船だ。

 わざわざ照らして見る必要も無さそうなので痕跡をできる限り潰さないよう通り抜け、野営に戻ったころにはすでに辺りは真っ暗になってしまった。森の中だ。これほど夜になってしまえば明かりなしだと歩くことすら難しい。


 先ほど作った篝火に薪と火を入れ直し光源を確保したら、その横で鳥の羽をむしっていく。もう手慣れたものなのでスパスパできる。


 羽を取り切ったらあとは内臓を捨て、ブロックごとに切り分けたら解体完成だ。モツは美味しいという人もいるが、少し怖いので食べないことにしている。まあ完全な好みだな。

 鍋を取り出し肉と昼に余った野草をもりもり入れて、焼けてきたら酒と醤油と砂糖をかけて照り焼きにして完成だ。


「うん、美味しい!」

「3日ぶりで、しかも焼きたての鳥肉。美味しくないわけがないですね」


 白蛇もこころなしかがっついて食べているのを横目に見つつ、自分の鍋の中身を全て食べ切る。満腹大満足だ。

 昼のうちに近くにキレイな水たまりがあるのを発見しているので、明日明るくなったら食器を洗うことにしよう。


 それはさておき、血抜きだけてしているイノシシをどうするかが目下の問題である。罠自体が駄目でもともとだったので成果が出る想定をしていなかったのだ。


「……まあ、どうせ明日には町に着くんだ。このごろの気候なら腐ることなんてないだろ」


 そういうことにして今日はもう寝るのだ。




 翌日。起きたら昨日残しておいた鳥肉を塩で焼いて食べ、食器を洗いに行って荷物をまとめたら出発準備完了である。が、町に赴く前にするべきことがある。

 一旦荷物はすべて野営に置いたままで、昨夜見つけた謎の足跡を見に行くことにする。


 またしばらく歩いて現場に着いた。パッと見て、昨日には気付けなかった特徴があることに気づく。


「疵痕が全部同じだ」


 それは形が同じだとか、方向が同じだという話ではない。土を抉っているものも、木を削っているものも全て断面の深さと疵の長さが等しいように見える。

 それはつまり、これらの疵が偶然つけられたものではないことを意味していることになる。


「たまたまイノシシの大移動のうちに疵がついたってんなら深さも長さもまちまちになるはずだ。揃えてるってことはやっぱり何かしらの意図があってのものになる」


「やはり故意的なもの。しかし目的が見えませんね。マーキングなどの生物的なものなら納得できるのですが」


 これ以上は新しい見聞はなかった。足跡が増えている様子もなかったし、疵痕が向かってきた方を少しだけ確認してみたが見える限りではなにも特別なものはないのである。


 あまり釈然とはしないが、ここにいてもどうしようもないのでまた野営の方まで戻ることにした。町の人に聞けばなにかわかる可能性もある。それにどうしてでも調べたいってほど気になるわけでもない。


 野営に戻って敷いていた布団を回収、少し日に当てていた外套を纏い、乾かしていた食器をまとめて背負い直せば荷物は完璧だ。すぐ近くの木で吊るされたイノシシを除けば。

 

「……まさかこんな使い方されるなんて『海蛇』は思いつきもしなかっただろうよ」


 外殻にほどけないよう縄を結び、その上に肉となったイノシシをのせソリのようにして運ぶことにした。この外殻自体が軽いことと、信じられないくらい頑丈なことに目をつけたのだ。


「自分の牙を折った板に載せられて運ばれるイノシシにとっては皮肉もいいところかもしれませんね」

「ほんの少しのヘコみしか作れなかったくせに恨むのは小物だぜ」


 なんてことを言いながら歩き始めてしばし。いまだに地形は直角と直線が多く、それだけ大きな街が飲み込まれたのだと自然が理解させてくる。

 と、前方すこし奥に草がまったく生えていない箇所があるのを遠目に確認できた。不思議に思ったので近づこうと真っ直ぐそちらに向かってみる。


「あなた様、お待ちを」

「え?」

「足元をよくご覧になってください。地面がありません」


 その言葉にギョッとして少し先の地面をよく確認してみると、長い草木に隠れているが確かになにもないように見える。あたりに生えまくっている草がそちらから奥には一切伸びていないのだ。

 注意しながら近づき、穴を覗いて気づいた。直方体に見える広い空洞。これはビルの室内だ。


「基礎からひっくり返されて倒れたにも関わらず倒壊とかせず形が維持されていて、その窓やら外壁やらが劣化して割れた。その割れた痕も草が隠して天然巨大落とし穴の完成ってわけか」

「これは危険ですね。穴が空いていなくても、草の侵食などで乗れば崩れるほど劣化した外壁が無いとも限りません。これよりは十分な警戒を」


 さくさく歩ければもう町まで数時間という所だったが、こうなってしまえば仕方がない。どれだけ時間がかかったとしても命には変えられないので、ゆっくり白蛇に先行してもらい安全を確認してから移動することにする。

 結局ビルの森を抜けるまで想定より多くかかることとなった。しかもその道中、もともと大きなビルだったのかとても巨大な空洞を見つけ心の底から震え上がるハメに合う始末である。いくら森の中だからもともと暗いとはいえ、日中なのに底が見えないほど深いのだ、もし落ちたらなんて考えることすら恐ろしい。


 危険地帯を抜けたと白蛇が教えてくれたので少し休憩して、また町に向けて出発である。

 それから数時間歩いて、どんどん森が拓けてきた。木々の感覚が広くなり、日光が根元まで差している。地面は踏み平され背の低い草しか生えていない。人の手がかかった森である証拠だ。誰も入らない森は先ほどまでのようにずっと薄暗いし藪だらけなので歩きにくいったらないのだ。


 どこからか木を叩く音が聞こえてくる。木樵が木材を確保しようと働いているのだろう。だんだん草すら生えず、土が剥き出しの面が増えてきた。今から外出するのか、探索者と思われる一団とすれ違ったので一礼する。


「今の人たち、なかなかやり手だな」

「ええ。見える限りですが武器が使い込まれていました。整備も怠っていないようでしたし、大荷物を持った状態での重心の掛け方も自然でしたね」

「……もしかしてあのイノシシの群の調査か?」

「その可能性はあります。あれは常の習性ではなく異常だったのでしょうか」

「ならこのイノシシがやけに怪訝な目で見られたのも納得がいく」


 異常が起きていると思われる危険な森の中から異常の原因だと予想されるイノシシを謎の灰色の板に載せて運んでいるのだ。確かに不思議には見えるかもしれない。


「一応あなた様も探索者の一員なのですから彼らのように異常の調査などをもっとするべきでは?」

「でもそもそも町にいないことも多いんだから調査依頼なんて把握してないことの方が多いだろ。滞在する町ではできるだけ受けてるんだから勘弁してくれ」

「それもそうですね。そもそも先ほどの人たちが調査しに行くとも限りませんし、責めるのはお門違いでしたか」

「え?なんか聞き分けいいね」


肉を食べたから機嫌がいいのだろう。単純で可愛いやつである。


 ぼちぼち人の気配も増えてきた。歩いている人も多く見るし、遠く感じていた喧騒がもはやすぐ近くに聞こえる。


「あ〜、やっと着いた」


 3メートルほどの外壁に囲まれたそれを発見した。町だ。


「とりあえず正門に出なきゃな……」


 街道なんて全く歩いていないので町の正面に出ることなどないのだ。せっかく町に着いたにも関わらずまだ歩くのかと少し辟易する。

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