第2話

『海蛇』と出会してから3日が経った。旅は概ね順調といえる。とりあえず今はここから歩いて2日くらいの町を目指している。なんと言ってもまともな物が食べたくてしょうがない。

 前に町を出発してからもうじき2週間経ってしまう。いくら秘蔵の調理器具と調味料、類稀な料理センスがあったとしても食料の調達もおぼつかないこのコンクリートジャングルでは無意味である。


「そもそもあなた様に類稀な料理センスなんてないのでは。せいぜいが家庭料理くらいで……」

「うるさい」


 わざわざ独り言にツッコミを入れてくる白蛇の頭をつついてやり黙らせる。昨日は雨が降ったため水を補充できたのはよかったが、そのせいで食料になる獲物が見つからずその辺に自生している山菜を採って夕食とした。ビル街では野生動物を多く見かけないため、獲れる肉は大概鳥になる。そして雨が降ると鳥なんて飛んでこない。


「前に肉食べたのっていつだった?」

「3日前ですね。『海蛇』を無傷で倒して調子に乗ったあなた様が仕留めたウサギを平らげ、そのままご機嫌で以前作っておいたジャーキーを食べ切って以来になります」

「……聞いたのはこっちだけどさ、そんな詳細はいらなかったかな」


 仮にも主従という形態をとっているのだからせめてもの敬意を払って欲しい。ガワだけの敬語で敬えると思わないでほしい。

 そんなことを伝えたところで「善処します」としか言わないので言わない。悔しくなんてない。

 

 ここからもうしばらく歩けばビル町は終わってすぐ森に入り、その証拠に道路には舗装を貫いて木々が乱立し始めている。森ならば食べられる美味しい獣の1匹や2匹いるはずだ。


 今日はまだ日が高いが、森に出たらもうそこを野営にして獣を獲る罠でも仕掛けに行こうか。そう考える程度には肉が食べたくてしょうがない。


 2996年、9月。残暑はなりを潜め、秋の風が吹き始める頃である。ぼちぼち肉が最も美味しくなる季節になるぞとひとり笑ってしまうが、1人ではないので多分横の蛇に怪訝な目で見られている。


 ───ズズッ……ドドド……!


 遠くの方から腹の底に響くような轟音と地響きが伝わってくる。


「またどこかでビルが倒れましたね。こちらに影響が来なければ良いのですが」

「おっ、土煙。あっちの方だな。……いつかはここも森に飲み込まれていくのかな」

「どうでしょうか。ここは海抜が低いので海になるほうが早いかもしれませんよ」


 かつて日本に人口が溢れてしょうがなかった頃、人々は海を埋め立て居住地を確保していたものの、その地盤は作り物であるが故に弱点を備えていた。地震などの災害に弱いという点が。

 日本の首都、不夜城とまで言われたかの東京も、もはやその半分が海へと沈んでいるらしい。


 ここのビルたちとは一線を画すほどの高層建造物が、苔むし、蔦に巻かれ、その半ばまで海に浸らせる。その光景は想像もつかない。

 いつか行こう。というか今後の目標そこにしてしまおうかなんて考えつつ歩いていたらもう辺りは町というよりも森に近くなってきた。木々が鬱蒼と生い茂り、林冠と木々を這う草で空の光が遮られ薄暗い。

 久しぶりの本格的な樹海の様相に思わず悪態の呟きが出る。こういう人の手の入らない森というのは本当に歩きづらいのだ。さらにこのあたりは元々はビル街のはずなので地盤が硬く、木の根が地表に露出していることも多いのでなおさらだ。

 引きずっていた『海蛇』の外殻だが、このままだとガタガタして余計歩きづらそうだ。仕方なく持ち上げようとすると、何やら白蛇が体をくねらせているのでそちらを見る。


「あそことかどうでしょうか。雨風凌そうでは?」


 示しているのはどうやら崩れたビルの角のようだ。5メートル四方くらいの大きな瓦礫が三角錐のような形で地面にできていて、いい感じの空間を作り出している。中も草で生い茂っているが適当に整えれば今日の野営くらいならなんとかなりそうだ。白蛇をおざなりに褒めてやり、そこに荷物を置いて一息ついてぐるりと見渡し、気づいた。


「ここ、小高いなと思ってたけど……。もしかして倒壊してできたビルの山か?」


 角の瓦礫が地面に落ちているのではなく、角が地面から露出しているのだ。欠けてできたような様子ではなく、地面との接地面は深く埋まっている。それにあたりの地形はやけに直線や直角が多く、また斜面も直線になっているように見える。


「恐らく、森から侵食してきた木々に基礎を蝕まれたのでしょう。森とは逆の方向に倒れているようですので」

「どれだけ重いか想像もつかないような岩の塊を基礎からひっくり返したってか。……すげえな」


 先ほどは街がどう終わっていくのかを考えていたが、侵食されるのではなく書き換えられる、そんな無くなり方もあるらしい。

 自然とは時に信じられないものを生み出すものだ。圧倒的なスケールに怯んで、そんなことを考えながら野営の準備を進めていく。


 角のスペース内部の草をロングソードでばさばさ切り倒して外に放り出し、住み良い空間を整えていく。硬い草は全て取り除いたのであとは寝る前に毛布を布けば立派な寝床の完成だ。

 恐らくは大きなガラス窓があったのであろう四角形の隙間から一旦出て一息つく。


「寝床ヨシ!……なら次は食料だよな」


 先ほど刈った草の中から硬く長いものを選別して結んでいく。例え草とはいえ、撚り集めれば侮れない強度になる。

 そうして作っているのは、引っ張ったら輪が結ばれるタイプの単純な罠。鳥や小さな生き物なら十分捕獲できる程度には頑丈だ。

 

「できた。……ウサギくらいなら捕まえられるだろ」

「先ほど歩いてきた道に小型の草食動物のフンを見つけました。あの近辺を探して仕掛けてみましょう」


 荷物を瓦礫の内部に置いておいて、その辺に落ちていた木の棒を使って窓の跡に軽くバリケードを作っておく。野生動物に荷物を荒らされてはたまらないからだ。まあこの程度ならあったほうがマシ程度でしかないのだろうが。


 罠を仕掛けるために一度来た道――といってもただの森でしかないが――を戻って周囲を注意しながら歩く。よくよく見ればこの辺りも地形に直線が多い。倒壊したビルでできた土地ということだ。かつてはビル街だったのだろう。

 9月も終わり際だ。紅葉しない木の葉がちらちらと落ちていくのが見える。と、見たことのある形の葉を見つけた。近づくと特徴な匂いもしてくる。

 

「……ん?この木、もしかしてイチョウか?」

「恐らくは。ただ、私の知っている品種とは少し違うようです。街路樹として植えられていたものが長い年月をかけて野生化していったものでしょうか」

「やっぱり!?このイチョウは銀杏食べられるやつ?」

「さて、それは食べてみないと。既存の品種からの変異種であるなら食用に足るものである可能性は高いです。ですが……何よりこの辺りのは生りはじめのようなので、食べられるようになるのはもう少し後でしょうか」


 これは良い発見をした。暫くはすぐ近くの町に滞在する予定なので実った頃にまた来て根こそぎ取ってやろう。いけそうな物を数個だけ採っておいて、落ちてる殆どのものはまだ青かったり美味しくなさそうなので今回はスルーしていく。

 夢中になって地面にある実をゴソゴソしていると、身体に巻き付いた白蛇が少しウネウネした。これは何か見つけたときの合図だ。


「あなた様。あの木の上、リスがいるようです」


 少し声を潜めてかけられたその声に示された木を見ると、リスがまだ青い銀杏をもいで齧っていた。なるほど、銀杏を求めて野生動物が集まってくる場所なのか。

 それはそれとしてリスだ。幸いこちらにはまだ気づいていないようだし、巣に帰る様子もない。ゆっくりと懐から編まれた紐を取り出し、その辺に転がっている石ころを音を立てないよう拾ってそれに仕掛ける。


 懐から取り出したのは投石器だ。弓矢などの他の遠距離武器に比べ扱いや携帯が楽で、壊れやすいが修復もしやすいしなんならその辺の草を編んで作ることもできる。弾だってどこにでも落ちてる石でいい。お手軽な便利アイテムだ。


 旅を始めて、そして投石器を使い始めてそれなりに時間が経った。この経験と習熟を以てすれば動かないリスに当てるなど造作もないことである。


 紐で編まれた投石器は、ベルトに乗せた弾をぶん回し遠心力で飛ばすものだ。紐を持って勢いよく回してタイミングを見計らって紐の片方から指を外す。放たれた石ころは真っ直ぐにリスの立つ木の枝まで飛び、良い音を立てて枝をしたたかに打った。

 

「あッ!」

「惜しい。……逃げられましたね。大人しく罠を仕掛けに行きましょう」


 投石器は他の遠距離武器とは比べ物にならないほど廉価だが、このようにどれだけ扱いに慣れていても百発百中とはいかないのが難点だ。

 落ち込んでいてもしょうがないので罠を置くポイントを探す。フンが新しいかどうか、足跡が多いかどうかなどに気をつけて歩く。そのときにもともとある獣道や獣の足跡を崩さないようにするのも忘れない。野生動物は警戒心がとても強いため、何か少しでも普段と違う物があれば引き返してしまうこともあるのだ。


 結局、白蛇と共に良さそうなところを見つけ、計3ヶ所に罠を設置してきた。掛かると嬉しいのはシカとかイノシシだが、そんな大物だと罠が持たないはずなのでウサギや野鳥に落ち着いて欲しい。


「でも食べたいよな……シカ……」

「足跡の中にシカのものは発見できませんでしたので可能性としてはとても低いかと。ただイノシシの蹄らしき跡があったのでそちらは期待できますよ」

「本当か!あー、肉食べたい」


 まだまだ日が高いので一度野営に戻る。やるべきことは沢山あるのだ。

 瓦礫とそこらで拾った枝を適当に並べて篝火を作り、ライターで着火。荷物から鍋と水筒を取り出して火にかけておく。これは昼食用だ。もう一方の鍋には水を入れて食べられそうだった数個だけの銀杏を浸しておく。今果肉を剥がしてもいいが、そうすると手がありえないほど臭くなって昼食が不味くなるので後回しにすることにする。


 旅の途中の食事の問題は洒落にならないことが多い。自分には縁の無いことだが、複数人で旅をしているときに食料の分配の不平等や勘違いで仲違いを起こし野垂れ死ぬやつなんて少なくない数いるらしい。このご時世だ、少し森に出れば食料なぞ歩いてるのでも飛んでるのでも埋まってるのでも山ほどあるだろうに。


 自分ひとり分の食料程度ならどうにでもなるくらいには旅慣れしてること、相棒が食事に量を求めないタイプなのも相まってよほどのことがない限り旅で食料難に襲われることはないだろうことは素直に安心できる。


 鍋の水が煮立ってきたので事前に作っておいた昆布とかスルメとかの干物を数種類入れてダシを取りながらふやかしていく。ダシを取りたいなら水から入れておくべきだったが、どうせ全て食べるのだから変わらないだろうとそのまま煮込む。

 あとは道すがら拾ってきた野草と、これまた拾ってきた野生化してあまり美味しくなさそうなニンジンを刻んで完成だ。


 匂いだけなら十分に美味しそうなスープである。いただきます。


「……美味しいなあ」


 本当に適当に突っ込んだスルメがいい味を出している。一食分としては満足できる量は有りはしたものの、やはり充足感としては物足りない。


「やっぱ肉よな、動物性タンパク質は重要だぜ」


 そんなことを言いながら鍋ごと掴んでスープを飲み干す。あとはロングソードの手入れをして荷物の点検、銀杏を剥いて乾かす準備でもすればいい時間になるだろう。そのとき罠に獲物がかかっていなければまた肉を食べたいと唸りながら旅をするのみだ。


「あなた様、警戒を」


 小皿によそった昆布を齧っていた白蛇が声をかけてくる。何かが近づいてきているようだ。

 すぐさま立ち上がり抜刀、白蛇が示す方向を注視していく。


 茂みが揺れ動き出てきたのは、体高に比べてどう考えても牙が鋭利でデカすぎるイノシシだ。あれに突進されれば怪我をするどころか身体にぽっかり穴が空くくらいには直径がおかしい牙を揺らしてこちらを威嚇している。


「生体型のキカイですね。食用に適います」

「肉!!!」


 思わず出てしまった叫び声に反応してか、地面を小突いていたその四つ脚がしっかりと踏み締め、爆発するように突進してくる。普通に避けて倒してもいいが後ろの野営キットが破壊される可能性があるので却下したい。


 避けなくともどうにかなりそうなものを見つけたので、その場を動かずに突進を引きつける。ちょうど白蛇一本分くらいの距離まできたところで、すぐ横に落ちていた板を剣で引っ掛けて持ち上げ、手元でしっかりと握って手前に押し出す。つい先日の『海蛇』からの戦利品、イカれた強度を誇る外殻である。

 3日間ずっと引きずっていたにも関わらず、先ほど確認したかぎりではヘコみどころか傷すらついていない。汚れた以外は『海蛇』から貰ったときそのままという頑丈さだ。


 外殻を身体全体で押さえ、衝撃に備えて思い切りその場で踏ん張る体制を取る。その瞬間、ものすごい衝撃と衝突音が外殻の向こう側から伝わってきた。それに何かが破損する感覚も。


 外殻を横に放って身を乗り出すと、そのあまりの強度で自慢の牙をへし折られたイノシシがいた。あの武器がないこいつなどただのイノシシでしかない。手早く剣を首に刺して仕留める。

 そのまま首を切り落として外殻を結んでいた紐を使って木に括り付け、ぶら下げる。血抜きして解体できれば立派なお肉だ。


 一息ついて、また篝火のところまで引き返す。そこに落ちているのは外殻と、それによって折られた可哀想な牙だけだ。

 少し気になって足下に落ちている折れた牙を拾ってみた。見た目に反した重量感がある。2本とも拾い打ち合わせてみると、やけに硬質な音がした。


「え?硬くない?ロングソードといいとこじゃない?」

「流石に硬度は鋼には達していませんが、密度が物凄いですね。あの速度かつこの牙での突進なら、この辺りに生えている品種の木の幹程度なら貫通すら可能と考えられます」


 怖すぎて変な笑いをしてしまうレベルだ。いけるだろうと思って外殻で受けてみたが一歩間違えれば死んでたのでは?

 そう思って転がっている外殻の突進を受けた側を見てみても少し凹んでいるだけで大した傷すらついていなかった。なんなんだこいつらは。


「流石は『海蛇』の最も硬い首元の外殻ですね」

「ビルで圧殺しようとしたのは本当に大正解だったな」


 こんな鎧を持ったヤツとまともに斬り合うなんて無理無理だ。あのとき変にやる気を出さなくて良かった。

 せっかくだしこのイカれた牙も回収しておこう。なんならそのまま投げてもそこらの投げナイフよりよっぽど脅威を持った武器になる。


「ナイフよりも危険な動物の牙って……」


 そして、この牙とあの外殻をどう加工すればもっとも役に立つかを考えながら剣を研いでいたら、割とすぐにあたりが暗くなり始めた。森の夜は長いのだ。

 急いで罠の確認に行くことにする。


 


 

 

 


 

 

 

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