あの日の竜

不書

第1話

だいぶ長く走ってきたつもりだったが、やはりまだ撒けてはいないらしいということが遠くからの轟音で伝わってくる。

 

「参ったなあ……。『海蛇』を刺激するつもりなんてなかったんだけど」

 

 そもそも刺激なんてしたら冗談じゃなく死ぬ可能性があるのでその「つもり」は沸かないのが当たり前だ。ただ、本当にただあまりにも不幸だったためこうなってしまったのだ。


「物見遊山ついでに来た場所がたまたま『海蛇』のナワバリで、なんとなく蹴飛ばした瓦礫がたまたま建物の裏で寝てた『海蛇』の目に当たって、それで隠れたにも関わらずたまたま今どき珍しい電源探知できるやつだった、なんて。想定できないよなあ……」

「確率にすればひとりの人間が産まれるよりも低くはないでしょう。そう考えればさして珍しくもないのでは?」

「え?それ本気で言ってる?」


 すぐそばで話しかけてくる相棒に呆れながら顔を合わせれば、本当に真面目に思考した結果のようなのでこいつはやはりダメだと呆れて後ろを向き直る。

 遠くから響いてきた轟音は徐々に近くなり、もう数分もすれば姿も見えてきそうだ。


「このまま逃げたらずっと追ってくるよな……」

「はい。あの『海蛇』は獲物への執着が強いことで知られています。このまま森や人がいる場所まで逃げれば被害は想定できません」

「ですよね。……はあ、倒すか」


 億劫だ。ただひたすらに面倒。少し間違えれば死ぬ可能性もあるのに戦うなんてやりたくない。けれどそのまま放置することはできないし、なにより人に迷惑をかけるのは自分の信条に欠ける。

 荷物を下ろして外套を脱ぎ腰に履いた剣帯を確認、そのまま獲物を握りおもむろに抜刀する。


「てかさ、これってお前いなければ見つかりはしなかったんじゃないの?」

「まさか。関係ないと思いますよ」

「いけしゃあしゃあと……。いいけどな」


 いよいよ音が近い。先ほどまでは空気を揺らすだけだった地鳴りはもはや足先まで届いてしまっている。

 することはないが、ここまで近づかれてしまえば逃げる選択すらとれないだろう。200メートルほど先に見えていたビルがゆっくりと倒れていくのが確認できた。あそこか。


「久しぶりの本気戦闘といきますか」

「死にそうになれば私も介入しますのでご了承を」


 ここまでこられて荷物を壊されてはたまった物ではないのでこちらも『海蛇』がいるだろう方向へ向かっていく。いや、そうだ。荷物がダメになってしまえばたとえ何事もなく『海蛇』を倒せたとしても旅を続けるのは難しくなってしまう。


「……ああ!負けられない!負けられないぞ!釣竿とか鍋とかこれまで作ってきた携帯食料をやられてたまるか!」


 ───ズズ……どどどドドドドドド!!!


 いよいよそれがビルの影から姿を現した。

 鋭い視線、電磁波を捉える機械の目、うねる巨体、灰色の外殻。

『海蛇』。その名に恥じぬそのフォルムはまさに蛇そのものだ。大きさはおかしいが。

 向こうもこちらの姿を捉えたのかこちらに突進してくるが、何を思ったか20メートルほどの距離で止まり、頭を上に伸ばしはじめた。蛇がよくやるような、体を持ち上げての威嚇であろうか。

 立ち上がる。どんどん立ち上がる。見上げてもなお立ち上がる。すぐ側にある8階建てのビルに並ぶほどになったあたりでようやく頭が上がらなくなった。


「……本当に?なんかデカくない?」

「どうやら初期ロットのようですね。熱源感知ではない電源感知なんて骨董品をなぜ積んでいるのかと疑問でしたが納得しました」

「ねえ!そんな冷静になれない!」

「しかし討伐なさるのでしょう?応援してますよ」


 こッ…コイツ……!

 文句を言っても仕方がないので口をつぐんでいつどこから飛びかかられても対応できるように正眼に構えたロングソードを握り直す。


「……弱点は頸椎にある排熱器官および感知装置である眼球です。外殻はあなた様ならば傷つけられますが、剥がしてもカーボン繊維の筋肉が露出するだけですので推奨はしません」


 大きく息を吐いて、視界から外さないように目線だけで周囲の利用できるものを把握していく。『海蛇』の突進のせいで壁が崩れたあのビルは柱が露出して、何本か欠けているものもある。少しの衝撃で倒壊しそうだ。反対側にはいい感じの高さと登りやすさをした瓦礫の山。あれに登れば『海蛇』と同じかそれ以上の高さを取れる。


「……あいつさ、お前の先祖だったりしない?今からでも止めてって言って?」

「まさか。私のほうが上位ですよ。それに私には命令権限がありませんので」

「上位なら命令くらいできて欲しかったな……」


 そのぼやきが風に流れた瞬間、『海蛇』は口を大きく開いて飛びかかってきた。




「キカイ」と呼ばれる生き物がいる。彼らがなぜ生まれて、どうやって生きているのかはよく知られていない。ただ、彼らは人間を殺す。

 特別な理由がない限り、老若男女問わず見つけ次第殺しにかかることだけは現代に生きる人間全てがわかっている。

 外見は普通の野生生物と酷似している物が大半だが、そうでないやつもいるし、見た目は普通でも大きさや部位のスケールがおかしいやつも多い。人を殺そうとするがその殺傷能力もまちまちで、子どもに潰されれば死ぬものや軍隊総出でも殺しきれないものもいる。

ただ、ひとつの真実として。「キカイ」は、人間の敵である。




 口を開けて上から襲いくる死を左に大きく飛んで避ける。身体が流れないように踏ん張りながらロングソードを首元の外殻の隙間に差し込んでみる。が、


「ダメか!」


 一気に排熱器官を露出させる、とはいかないようだ。剣を持っていかれる前に飛び退いて再度の噛みつきの範囲から離れる。こういう大型のキカイに長期戦は向いていない。生物と違い動脈なんて無いので失血死を狙うなどできないからだ。本当に長時間動き続ければいつか停止するが、そこまでミス無く戦い続けるのは難しいとかいう次元の話ではない。

 故に狙うべきは短期決戦。弱点を見極め、キカイにとって行動に最も重要な部位を破壊すればいい。


 もう一度『海蛇』が頭を持ち上げ、今度は噛みつきではなくその巨大な頭全体で押しつぶすように振り下ろした。なんとか後ろにステップを踏んで避ける。


「あっぶね、ギリギリ……!」


 腕2本分ほどの距離に落ちたその鼻先に肝を冷やす。そのままの場所にいては噛みつかれて死ぬのがオチなので『海蛇』の右側面に回り込みながら顔を切りつけてみる。

 が、ダメ。やはり外殻は硬く、傷つけようとするなら立ち止まって本気で剣を振らなければならないだろう。そしてそれをこのキカイが許してくれるとは思えない。


『海蛇』が再度動き始める前に、弱点である眼を攻撃できないかざっと確認する。高さとしては一飛びで届く。その性能からか眼球は外殻ほどは硬くなさそうだ。

 そのまま視線を下に落としつつ見ると、所々灰色ではなく、黒とも錆色ともとれないような色の部分が見える。それを確認したあたりで『海蛇』が頭を持ち上げたので距離を取りながら観察すれば、顎の一部から灰色の板のような物がいくつかぶら下がっているのがわかる。やはり!


「見たか!?」

「はい。顔の外殻が剥がれ始めていました。おそらくは長い間このような突進が主体の戦闘をし続けた結果でしょう」

「それなら……!」


『海蛇』と自分の位置、後ろのビルまでの距離を確認しておく。これなら思ったよりも苦労しないで倒せそうだ。左手でポーチからある物を取り出し、後ろに回してそのまま放り投げる。


「5秒」

「来い来い来いこい!」


『海蛇』は正面からそのまま襲いかからず、右側面に回り込んでから再度噛みつきを仕掛けてきたので前に向かって大きく転がり距離を取る。どうやらそのままその巨体でとぐろを巻いて逃げ場を無くし、確実に仕留めるつもりらしい。

 好都合だ。


「1秒」


 相棒のカウントに合わせて自分から『海蛇』に向かって走り、その巨体の陰に隠れる。その瞬間、壊れかけのビルに投げた物──小型の爆弾が柱を吹き飛ばしたことで建物全体がこちら側に倒れてくる。

 そのままなら自身も危なかったが今は『海蛇』に包囲され隠れる場所も多く、なにより『海蛇』が様子を確認しようとしてこちらに噛み付くでもなくとぐろの上方でビルを見ている。これなら重要機関が集まった頭部によく当たってくれるだろう。


「潰れちまえ蛇野郎!」


 20メートルほどもある石の塊が、こちらに向けて降り注いだ。




「……んん!!重たいなおい」


 灰色の瓦礫の山を押し除けようやく外に出れた。思った通りビルは『海蛇』の頭部を勢いよくぺしゃんこにしてくれたようで微塵も動きはしない。


「ありがとよ、お前のおかげて生きてるぜ」


『海蛇』の腹の下に隠れていたが、それだけなら多少の怪我をする危険性はあった。しかし、大きく上げていた『海蛇』の頭が偶然にも蓋をするように倒れてきたのだ。

 その外殻の硬さや巨体、初期ロットの特有の頑丈さを信用しての行動ではあったが、ここまで都合よく守ってくれるとは思わなかった。よって毛ほどの傷もなく、ビルの倒壊と『海蛇』の破壊という成果を出せたのである。

 

「あとは使えそうな部分と売れる物を掻っ捌いて終わり。不運かと思えば意外な収入になってくれて嬉しいよ」

「近づくのは推奨しませんよ?」


 なんて宣いながら『海蛇』に近づいて───


「……ッ!!」


 その太く重い尾で強く殴られた。

 仕留め切れていなかった!そう理解した瞬間、現状をどうにかするために思考を回す。幸い建物の無い道路の部分に吹き飛ばされている。先ほど確認したままならこのあたりの道路に木や岩は無いはずなので、接地したときの着地と減速に注意を割けば大丈夫そうだ。流れる景色を見ながら着地に備える。

 

「……あっ!ぶっ!ねえぇぇ!!


 殴られる寸前に咄嗟にロングソードで防御していたことも相まって受け身はほぼ完璧に出来たと言っていい。何回か跳ねて、最後にはゴロゴロ転がってしまったが無傷なので完璧だ。


「2点の着地です」

「厳しめ!?……というかお前、あれがまだ動くの分かってたよな?」

「……さて。私にその機能はありませんが」


 まあまあな距離吹き飛ばされたためか、向こうの瓦礫の山が崩れていくのがよく見える。現れるのは、こちらを睥睨する電子の隻眼。


「ピンピンしてる…ってわけじゃなさそうだな」


 外殻は胴体ですら剥がれている部分も多く、頭部に至っては殆ど灰色が無くなってしまっているし、感知器官である目も片方潰れて煙を出している。剥き出しになったカーボン繊維とワイヤーの筋肉が摩擦で不気味に鳴く。

 始めのころに比べれば幾分か緩慢になった動作を見ながら勝つ算段を立てていく。やはり当初の作戦でやるしか無い。幸い頭の外殻は剥がれているし片目は失っている。予定よりずっと楽にできる。


「ビルに下敷きにされたんだから潰れててほしかったなあ」


 その足りない焦点をこちらに合わせた『海蛇』が、今度は何の捻りもない噛みつきを行なってきた。最早工夫を弄する思考すら出来ないのだろう。

 噛みつきを引きつけ、引きつけて。寸前で小さく後ろに跳ぶ。手を伸ばせば触れられそうな距離で大顎が閉じられた。文字通り目と鼻の先にいる獲物を仕留めんとまた大きく口が開かれようとし、そしてその瞬間を待っていた。


 口を開き始める瞬間に前進する。当然そこは口のすぐ側だ。牙が開き切ってまた閉まる前に、その下顎に向けてロングソードを大きく突き刺した。刀身が下顎を貫通し、その半分ほどを地面にめり込ませる。

 顎の裏側に外殻が残ってなくてよかった。こちらとしては運の良い、『海蛇』にとっては不幸であっただろうそのおかげでこいつは数秒地面に縫い付けられて、そしてその隙を晒した数秒があれば決着がつく。

 急いで『海蛇』の頭を登り、目の前に陣取る。


「剣は今刺したからさ、素手で勘弁してくれ」


 振りかぶった貫手を、渾身の力を込めて突き刺した。





「……さて、無事に無事でした。総評をどうぞ」

「ビルを崩す発想は良かったと思いますが、倒壊させてどうするかの回避方法が杜撰だと感じました。仮に察知され逃げられたとき、腹の下にいたあなた様は轢かれ──ても死にはしないでしょうが、それでも運の要素が強かったように思えます」


 そもそも街を歩いていたときから注意すれば出会すこともなかったと思います、と締めて総評という名のお小言は終了した。全て正論なので甘んじて受け入れる。次から気をつければいいのだ。

 比較的傷の少なかった外殻をいくつか回収しておいた。加工は難しいだろうがこの硬さなら何かに役立つかもしれない。自分よりも少し小さく、思ったよりずっと軽い灰色のそれを引き摺りながら荷物を置いた場所に帰ってきた。幸い壊れた様子も荒らされた様子もない。


 戦闘で少し乱れたワイシャツの汚れとシワを払い、相棒に一度どいてもらい荷物を背負い直す。もうすぐ日が暮れる。急いで今日の野営を作らなければならない。


 厄介なことをしてくれたこの街と『海蛇』に文句を言うため振り返り──その光景に言葉を失った。


 水平線に沈む夕陽。逆光となり乱立する影。それに這うように生い茂る蔦と道路を覆い尽くすほどの木。傾いたビルは音を立てて崩れ落ち、街の半分ほどまでに伸びた海岸線に沈み込んでいく。


「……綺麗だ」


 呆然としていると、足下から相棒が身体を伝って肩ほどまで登ってきた。その長く流線形のシルエットはつい先ほどまで激戦をしていた相手とよく似ている。先ほどまで戦った相手が『海蛇』なら、こいつは『白蛇』だ。

 そのうねる身体と赤い眼をチロチロさせながら、視線は街から離すことはない。


「かつての都市が崩れ落ちていく。……その最期の時を美しいと思ってしまうのは、贅沢が過ぎると思いませんか?」

「本当にな。心から同意するよ」


 胴に巻き付いたこの白蛇がノスタルジックなことを言うのは珍しくないし、感性も似ているので話がよく合う。故にこの旅の相棒が務まっているのだろう。


 2996年。日本の人口は、最盛期の半分を下回っていた。

 

 

 


 



 

 

 


 

 

 

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