真夜中のまち

常盤木雀

深夜

 嫌な一日だった。


 今日は、友人たちと月に一度の集まりがあった。仕事を終えた後、軽く食事をしてから小さなスタジオへ。俺たちは学生時代からの音楽仲間で、今までであれば、楽しく音を合わせる時間になっていたはずなのだ。

 しかし、それぞれが楽器を準備して、さて何の曲から合わせるかとなった途端に、一人が言い出したのだ。


「あー、俺、今日何も練習してないや」


 忙しかったのかもしれない。そもそも、俺たちはバンドでも何でもなく、ただ楽器趣味の集まりだ。コンテストやコンサートに向けて練習しているわけではない。

 それでも、彼の表情は当然とでも言いたげで、何だかもやもやした気持ちが燻る。


「まあ、俺らもいい歳だし、楽しんでやればいいだろ」

「なかなか練習しようって気にもならないよな」


 他の仲間も彼に同意していた。


 実際、演奏を始めても全く合わなかった。初心者向けの単純な曲にしても、楽器ひとつひとつが鳴っているだけで、曲としてのまとまりなどない。昔のまだ下手だった頃の方が、ふとした瞬間に一体感が生まれていた気がするほどだ。


 さらに、新しい曲の提案も、複雑そうだという理由で却下された。今日の演奏を見れば妥当ではあるのだが、

「難しいことほど燃えるな!」

と挑戦していた仲間たちはどこへ消えてしまったのだろう。


 気持ちの入らない演奏をする。演奏の三倍の時間を雑談に費やす。また噛み合わない演奏をする。ぐだぐだと仕事の愚痴を言う。


 思い出すだけでため息が出る。

 解散後、もやもやを抱えたまま電車に乗った俺は、気持ちのあり方を考えていた。大人だから仕方ない、楽しければ良い。でもあれは『楽しい』だろうか。

 そんなことを考えていたら、うっかり降りる駅を間違えてしまった。さんざんだ。

 この気持ちのまま帰りたくなくて、俺は普段降りないその駅から、気分転換に散歩することにしたのだった。



 馴染みのない道を、当てずっぽうにぐねぐねと歩く。困ったらスマートフォンの地図アプリで帰れば良い。気の赴くままに歩き続けた。

 駅の近くは店があったものの、徐々に住宅街になり、気付けば畑や田んぼが多くなっていた。

 まるで知らない世界に入り込んだようだった。


 ぽつぽつと立っている民家と、広い畑、ブランコしか遊具がない公園、神社か寺か。

 街灯も少ない辺りに来たとき、優しい音が聞こえた。知っている曲のようだ。

 ピアノらしい。

 田舎で、民家同士が離れているから、深夜でもピアノを弾けるのか。


 ピアノの音は熱量をもっているかのようにうねり、囁き、静寂さえも作り出す。誰かが演奏しているというより、音楽がひとりでに生きているような力を感じた。


 これだ。俺もこれをつくりたい。

 俺は自然にそう思った。こんな風に音楽を作り出したい。やる気のない音楽ではなく。


 俺は公園のベンチに座り、背負っていたクラシックギターをケースから取り出して、簡易的にチューニングを確かめた。そして、曲の区切りを待って音を重ねた。

 楽しい。気分が良い。

 幻想的なピアノの音と自分のギターの音、夜の静けさ、垣根のざわめき。夢のようだった。

 俺が求めていたのはこれだ。音楽を通じて友だち付き合いをしたいのではなく、友人たちを通して音楽を作り上げたかったのだ。



 どのくらいの時間が経っただろうか。

 音楽に紛れて車の音が近付いてくるのが聞こえた。顔を上げると、寺社の木々の向こうに、赤いランプの点滅が見える。

 何だろう、と首を傾げかけて、目が覚めた。慌ててギターを仕舞う。

 パトカーだ。


 異世界に紛れ込んだような気持ちでいたが、今は深夜、ここは田舎のまち。そして俺は、時間を弁えず外で楽器を鳴らす騒音馬鹿だ。

 ピアノは家の中から漏れ出ているだけだが、俺のギターは屋外から音を発している。さぞうるさかっただろう。

 反省はしている。しかし、警察からの追及を逃れるため、俺は逃げることにした。


 ピアノの音が薄れていき、消える。

 俺は一度だけ振り返ったが、音が目に見えるわけもなく、風もなく静かな夜があるだけだった。


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