辺境村が崩壊する5秒前

爪隠し

第1話 青年トマスが夜道を散歩していると、この村が危機に瀕していることに気づく。そんな短編

 深夜の散歩で起きた出来事


 とある夜、青年トマスは村の中を歩いていた。

 何か目的があってのことではない。

 たまたま寝つきが悪かったので、水でも飲もうとベッドから起きたら、窓から差し込む月明かりが目に入った。

 外に出てしっかり眺めてみよう。なんて、ちょっとした非日常に誘われて外出したのだ。


「綺麗だ……」


 心地よい夜風に吹かれながら、しばらく月を眺める。

 天体観測に満足した彼は、そのまま家に戻るのが少しもったいなく感じられた。


「せっかくだし、村を散歩しようかな」


 どうせベッドに入っても眠れないのだ。

 少し体を動かせば、気持ちよく眠れるかもしれない。

 トマスは月明かりに照らされた長閑な田舎道を歩いていく。

 最近少しだけ発展の兆しが見えてきたけれど、まだまだ辺境の田舎村だ。

 トマスも樵として自然の中で暮らしている。

 目的もなく進むのも味気ないので、隣の家を目指すことにした。


 まばらに建っている民家、そこに住む住民は全員知り合いだ。

 狭い村社会、互いに知らないことは何もない。

 5分ほど歩いたところで、隣の家が近づいてきた。すると、トマスの耳に男女の声が聞こえてくる。


「〜〜〜……!〜〜……〜〜……〜!」


「〜〜〜……〜〜……!〜〜……〜!」


 何やら言い争いしている様子。

 お隣の夫婦はよく喧嘩するから、今回もつまらない理由で言い争いしているのだろうと予想し、トマスは耳を澄ませる。

 今回はどんな痴話喧嘩をーー


「だから、帝国にこの情報を渡せば簡単に侵略できると言っているだろう。戦力は十分だ」


「いいえ、ダメよ。下手な情報を渡して、親愛なる皇帝陛下の神兵に損害が出たらどうするの。この村を足掛かりに辺境領までなら蹂躙できるでしょうけど、王都は無理よ」


 トマスはギギギと音を立てるように首を捻る。


(おかしい、長閑な田舎の一般家庭では聞くはずのないセリフが飛びかっている)


 学のないトマスには一部しか理解できないものの、国の未来を左右する危険な会話であることは理解できた。


(お隣さん、草ってやつだったのかぁ)


「おい、少し声を抑えろ。誰かに聞かれたらどうする」


 これ以上ここにいてはまずい。

 トマスは足音を立てないようにひっそりとその場を後にした。


 慌てたトマスは後退ではなく前進してしまっていた。

 早く家に戻ってベッドに潜り、先ほど聞いた会話を忘れてしまいたかったのだが、Uターンするにはお隣さんの家がまだ近い。


「もう少し離れてから、大きく迂回して家に戻ろう」


 動揺する心に加え、暗さで距離感がズレてしまったようで、さらに隣の家が見えてきた。

 そこは村長の家である。


「そうだ、この危機をみんなに知らせないと!」


 聡明な村長ならばどうにかしてくれるはず。

 村人みんなに慕われ、若くして村の発展にも寄与している。村の収入が増えたことで、安心して子供を育てられると女性達からも感謝されていた。

 トマスはそんな村長へ助けを求めようとーー


「悪魔よ、私に力を与え給え!」


『貴様はその代価に何を差し出す?』


「この村の住民全てを差し出そう! 足りぬというのなら家族も差し出す! 私が管理している家畜どもは、私の覇道の礎となるのだ。フハハハハ!」


 窓からチラリと見えた光景は、何やら儀式めいた装飾と、幼い頃に聞いた童話の悪魔そのものだった。

 怪しい衣装を見に纏った村長が、高笑いしながらとんでもないことを口走っている。


「私はこんな小さな村で収まる人間ではない! 強大なる力を手にし、王国を我が物にしてみせる!」


 村長は意識高い系の人間だったようだ。


 さらなる出世のため、トマス達は生贄にされるらしい。

 その決意はとても固いようで、普段糸のように細い村長の目が開眼している。


『よかろう、汝に国を相手取れる力を授けよう。ただし、代価が先だ。まずはこの場に贄を集めよ』


「ちっ、勝手に命を刈り取れば良いものを。明日の朝招集をかけて、家の前に集めるとしよう」


 トマスは走った。

 この場にいたら問答無用で命を取られそうな気がしたからだ。


『外にいる男は贄か?』


「男? まさか、誰かに聞かれたのか?!

 クソッ、吹聴される前に殺さねば!」


 夜の鬼ごっこが始まった。

 村長は頭脳明晰だが、昔から運動神経が悪かった。


「その足の速さ、トマスだな! お前は、お前だけは! 絶対に生贄にしてやる!」


「なんで?! 俺、何か悪いことした?」


「子供の頃、私の初恋だったシャーリーちゃんを奪ったからだ!」


 奪ったも何も、どっちが好きかと聞かれたシャーリーちゃんが「トマス」と答えただけのこと。

 幼い子供が交際関係に進むわけもなく、年頃に成長した彼女は村に来た役人を誑かして玉の輿となった。

 トマスは未だ独身で、村長は妻子がいる。

 村長の方がリア充なのだ。

 なお、その妻子はトマスと同じ贄にされていたが。


「俺よりもお前が選ばれた理由はただ一つ、お前が村で一番足が早かったからだ! 私が悪魔に力を望んだのはそのためだ。あの日の屈辱を晴らしてみせる!」


 頭が良い奴は何を考えているのかわからない。トマスは暗闇を疾走しながら新たな気づきを得た。


「はぁ、はぁ、もう、見えなくなったかな」


 樵として日々肉体を酷使しているトマスと、書類仕事に追われる村長、トマスが逃げ切れたのは当たり前の結果である。

 目的地など考える暇なく逃げ回ったため、村の端っこまで来てしまった。

 乱れた息を整え、顔を上げると、目に入ったのは古びた建物である。


「あっ、教会……そうだ! シスターなら助けてくれるはず!」


 ツタに飲み込まれかけている教会には、村の皆んなから慕われているシスターが住んでいる。

 胸の大きい彼女は孤児院も営んでおり、王都で死にかけていたという戦争孤児達の面倒を見ている。

 子供達が心の底から笑顔を見せるようになったのは、彼女の献身のおかげだ。

 王国の教会では主神オールトマスを崇拝しており、彼女は敬虔な信徒である。

 トマスの名前は主神様にあやかってつけられたものなので、トマスもまた篤く信仰していた。

 とても胸が大きいが、それは彼女の魅力の一つに過ぎない。


「神の尖兵よ! 時は満ちた!」


 そう、トマスの知るシスターは、こんな勇ましい声で怪しげなセリフを吐く女性ではないはずなのだ。


「この国は悪魔オールトマスによって支配されている! その深刻さは、この国で過ごした諸君らであれば十分に理解しているだろう。真の神であるトイズマミス様はこれほど愚かな国のためにも御心を痛め、憂慮なさっている。その優しき御心に従い、穢れた国を浄化するため、我らが立ち上がるのだ!」


「「「オオオ!」」」


 子供達もとても素直で、トマスは礼拝の後に一緒に遊んであげたこともある。

 こんな勇ましい狂信者の如き雄叫びを上げる子達では決してなかった。


「まずはあの忌まわしい名を持つトマスの命から捧げましょう」


「「「はっ!」」」


 トマスは全力で逃げた。

 もうこの村にいられない。

 昨日まで平和な村だったはずなのに、明日を迎えたらここにゲヘナが顕現してしまうだろう。

 何も知らずに寝ていたら大変なことになっていた。


「む? 忌まわしき視線。この足音はトマスか。聖戦の前の準備運動だ。浄化しろ!」


「トマスだと? こんなところに生贄が逃げていたのか」


「誰か助けてくれーー!」


 トマスは走った。

 機関車並みに足を回転させ、森の中を突っ走った。

 子供達の足がかなり速かったので、トマスは全力を出さざるを得なかった。

 あれは訓練されたものに違いないと、トマスの勘が囁いている。


「もう、だ、め。うわっ!」


 小石に躓いたトマスが硬い地面との衝突に身を強張らせると、不思議なことに地面は優しく受け止めてくれた。

 その代わりに、呼吸ができなくなった。硬い地面の代わりに、水がトマスを包みこんでいるのだ。


(ここ……湖だ……)


 トマスはかつて一度だけ訪れた不思議な湖のことを思い出した。

 あの時は斧を落としてしまい、大変困っているところを湖の女神様に助けてもらったのだ。

 それからお礼を言いに森を探索したが、見つけることはできなかった。


「ぶくぶくぶくむぅぇがむさま!」


 暗い水の中、何も見えないはずの状況で、なぜかトマスの目には女神様が映っていた。


「貴方が落としたのはこの銀の斧ですか? それとも金の斧ですか?」


(あの時はありがとうございました! とても助かりました!)


「貴方が落としたのはこの銀の斧ですか? それとも金の斧ですか?」


 トマスの心は届かなかった。

 仕方がないので水の上に上がろうとするも、なぜか上に上がれない。


(め、女神様? できれば一度地上に帰して欲しいのですか?)


「帰ってどうするのですか?」


 予想外な女神様の返事に、トマスは動きを止めた。

 呼吸が苦しくなってきたことにも気がつかない。それくらい難しい問だった。


「貴方が落としたのは命ですか?」


(はい、そうです。正確には、これから落とす予定ですが)


「貴方が落としたのは平穏な村の未来ですか?」


(はい、そうです。いつの間にか落としてしまったようです)


 トマスは女神の問いに答えると、なおのこと村に戻る理由が見つからなくなった。

 そもそもそんなことを悩む前に、酸欠で命を落としてしまいそうだが。


(死ぬ前に、女神様にお礼を。あなたから頂いた銀の斧と金の斧、あれを売ったおかげで食い繋ぐことができました。ありがとうございました)


 死の間際、感謝の言葉を告げたその瞬間、湖が冷たくなった。

 それまでひんやりと気持ちよかった水温が、まるで刺すように冷たさに変わったのだ。


「売った? 売ったのですか?」


(はい、仕事には使えそうもありませんし。どう見ても観賞用だったので)


 行商人に見せたら大金を出してくれた。

 そのおかげで、トマスは厳しい冬や金のない時期をやり過ごせた。

 全ては女神様のおかげだ。

 だが、どうにもまずいことをしてしまったらしい。


「贈り物を売るとは、なんて薄情な。貴女は一生この湖で過ごしなさい」


 トマスは女神の言葉で気がついた。

 自分が女体化していることに。


 それからトマスは2代目泉の女神として生きることになった。

 村がどうなったのかは分からない。

 ただ、碌でもないことになっているのだけは確かだ。

 そして、姿形は変われどトマスは生きている。


 散歩に出て正解だったのか、失敗だったのか。

 トマスは未だに答えを出せていない。

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辺境村が崩壊する5秒前 爪隠し @hawk_nail

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