第16話 少女、非常事態対応を知る

 悲しいことにヤスミンに対抗する手段はない。最後の酸素も口から漏れていく。苦しい。苦しい。

 最後の力を振り絞り、体の向きを変える。そして、隣のケースにいるトパズに、彼女は微笑んだ。


 バリンッ!  ヤスミンの隣のガラスケースが盛大に割れた。


「ひゃっ……!」

 大きな褐色の肌、獰猛な狼の顔、少しばかり金色の毛が頭に生えている。そして、背中にはコウモリの翼。

 まさに、異形いぎょうの姿だ。その異形がヤスミンのケースを横に倒し、水を外に出した。力尽きる前に助かった彼女は、ケースの中でケホケホと水を吐き出し呼吸する。


「な、なんで、このケース入ってる時は、能力が使えないはず! 何度も、試したのに・・・・・!」

 セレンディアは変化した異形に怯えながら、部屋の隅へと後退あとざさる。異形の黒い爪はシャンっと鋭く伸び、今にもセレンディアを殺そうとしていた。

 その様子に、ヤスミンはいち早く気づいた。


「トパズ! だめ! 殺したら、貴方が処刑されてしまう! だめよ!」

 たしかに、自分を助けろ・・・・・・と念じて異形となったトパズを見たが、ここまでするとは思わなかった。

 ただの人が王家を殺すなんてことをしたら、どんな理由があろうとも死刑になってしまう。

 ヤスミンは焦りからか、力いっぱい叫んだ。また、寝ているファイド以外のリーダーたちも彼に向かって叫ぶ。しかし、怒りに身を任せた彼には、誰の声は届かない。それもそうだ、彼にとってヤスミンは……。

 異形の手が高々と掲げられ、鋭い爪がセレンディアへと振り下ろされる瞬間だった。


「ヤスミンさん!!」

「おや、ヤスミン様、可愛らしいことに。って、トパズ、どうどうですよ」

 慌てた様子の莉緒の大声と、大きな帽子に金と白で出来た服の男が、この部屋に突如として現れた。

 正気に戻ったセレンディアは影へ逃げようと、莉緒の影の中に飛び込んだ。影に忍び込んでしまえば、『影忍』の力で逃げれるはず。


 しかし、セレンディアの身体は、影へ入ることはできず、床に叩きつけられた。その痛みによって、呻き藻掻くセレンディア。莉緒はその彼女をすり抜け、ヤスミンの入っているガラスケースに触れる。

 すると、ガラスケースがパリンと砕け、ヤスミンの体がみるみるうちに大きくなった。


「え、莉緒さん……」

「すみません、遅くなりました」

 ニッコリと笑う莉緒に、呆気に取られるヤスミン。自分の計算外のことが起きてしまい、きょとんとした表情で莉緒を見る。対して、莉緒はまるで褒めてほしそうな犬のように、ヤスミンを見上げた。


「ちゃんと、指示通り・・・・ペルラさん、連れてきました!」

「ええ、そうね……ありがとう」

 ヤスミンは久方ぶりに見た相棒の一人であったペルラをチラ見して、自分の賭けが当たっていたことに心のなかで安堵した。



 ここに到着するまでに、莉緒に何があったのか。

 それは、サザに起こされた時までさかのぼる。



 寝起きに聞かされたヤスミンがいないという、慌ててるサザにとって、今は一分一秒も無駄にはできない事態。


「ごめんなさい、莉緒さん!」

 サザはそう言うと、まだ状況を飲み込めない莉緒を力技でお姫様抱っこし、大広間へと全速力で向かう。莉緒はサザの首に掴まりつつ、そのとんでもない速度の中、舌を噛み切らないよう口を閉じた。


 そして、大広間の中に駆け込めば、すでにアイドル街から来たアイドルやスタッフ、アイドル練習生たちが勢揃いしていた。


「サザ、これで全員か」

 サザに声を掛けたのは、ファイドの弟であるフレム。その隣には各グループの二番手たちが顔を揃えていた。


「はい」

 サザはフレムの問い掛けに、皆複雑そうな顔で項垂れる。まだ、夜明け前とは言え、昼にはイベントが始まってしまう。既に組まれたセットリストは、リーダーたちが居なければ成り立たないもの。


「私達がいながら……!」

「ヤスミン様ぁ、どこですかぁ」

 アリーとレナは悲痛な声で泣いており、他のスタッフ達はそんな二人の背中を慰めている。

 莉緒も絶望を感じながら、サザの腕から降りた。

 悩む暇もない。早く皆を探さないと。莉緒がそう声を出そうとする前に、一人が声出した。


「非常事態だからな、俺が指揮を取る!」

 フレムの名乗りに、皆一斉にフレムを見た。


「各自、非常事態用のグループに編成。あれだ、元のグループのにすればいい。そして、今から練習すれば間に合う。衣装スタッフはなるべく統一感あるように服を分配し、手直し。バックバンドは、すぐに曲決めるから楽譜を……」

 フレムの的確な指示に、アイドルたちがグループを垣根を超えて、すぐにグループを編成していく。

 あまり他グループ同士のメンバー交流してるところを莉緒は見たことがなかったが、思ったよりも雰囲気は良い。それに、すでに曲を決めたのか練習に取り掛かるグループもいる。

 フレムの周りには先程の二番手たちが、皆揃っていた。サファイアブルーのドラム・エリアスは、スタッフや練習生に向かって声を掛けた。


「アイドル練習生やスタッフたちは、今日の練り歩き宣伝を『特別な日に特別なユニットステージ』と言ってくれ。フレム、それならファンも特別感を楽しんでくれるでしょう」

「流石です、エリアスさん!」

 一斉に動き出すスタッフたち、泣いていたアリーとレナも涙を拭いて、準備を手伝い始める。


「あと、サザ。最終手段にはなるが、出番順セットリストの最後は、お前たちのデビューで飾る。特別な日を演出するためだ。今から練習だ。トリ、務められるよな」

「は、はい!」

 サザに向かって、指示を出す。サザは戸惑いつつも、そのチャンスに目を輝かせた。今ここにいる誰もがイベントの最後に向けて走り出し始めた。


 しかし、莉緒はただその空間の中で絶望した。なにせ、誰一人として、ヤスミンを助けに行く気配はないのたまから。

 莉緒は思わず、サザの元からフレムに駆け寄る。


「助けに行かないんですか!?」

 それは悲痛にも近いような叫び。この人達にとって、ヤスミンは大切な人ではなかったか。そんな薄情だったのか。喉から出したい感情はうまく出てこず、ただフレムにしがみつくしかない。

 しかし、そんな莉緒にフレムは優しく頭を撫でた。


「ごめんな、ヤスミンさんとの約束なんだよ。『どんなことがあっても、任された目的を果たせ』って。また・・それを破ったら、それこそ怒られちゃう」

 フレムの優しい言葉に、莉緒は目を見開く。どんなことには、ヤスミン自体の非常事態も含まれているのだろう。死んだ彼女だからわかる。自分が死んだ時にも賢く動けるよう、彼らに教育してきたのだろう。フレムは言葉を続けた。


「アイドルは『人気と繋がりと信頼』がないと成り立たない職業なんだ。もし、ここで俺たちがイベントそっちのけで探したりしたら、ヤスミンさんや兄さんたちが、頑張って獲得してきた繋がり・・・信頼・・くす事になるから」

 どこか辛そうに笑うフレム。そうだ、彼の肉親であるファイドも行方不明で、相当不安なはずだ。

 エリアスが彼の肩を抱き、慰めるように肩に頭を預けた。そして、莉緒に真剣な眼差しを送る。


「僕達アイドルは、どんなに辛くても、悲しくても、見てる人たちに笑顔を届ける仕事。『見てくれた客を幸せにする』が最重要な目的だって。ヤスミンさんに叩き込まれてるからね」

 それは、エリアスを含むここにいる人達の覚悟なのだろう。彼らは一番の目的のために、イベントを成功させなければいけない。

 では、莉緒は今、何をすべきなのだろう。


「そもそも、ヤスミンさんなら何か手立てを残してると思うんだ。例えば、サザが手に握っている黄色のネクタイとか」

 エリアスの言葉に、莉緒はサザの手元を見る。それは、ヤスミンさんがいつも着けているネクタイだ。


「肌身離さず大切にしているネクタイをわざわざ置いていったんだ。何かあるかもしれない」

 サザは慌てて、ネクタイをぎゅっぎゅと触り始めると、何かを見つけた。ネクタイの筒の中、折りたたまれた紙が出てきた。その紙を開いたサザは、莉緒を真っ直ぐ見た。


「『ペルラの元へ』。たしかに、ペルラさんなら……」

 莉緒はその時、気づいた。

 私には神様から能力を一つ選ぶ権利がある。そこに、莉緒さんは賭けたのかもしれない。


「わ、私、神殿に行きます!」

 気付いたら、私は大きな声で叫んでいた。


「え、じゃあ、僕も……」

「サザくんは、練習してて! 私一人で大丈夫! デビュー楽しみにしてるよ!」

 心配そうなサザ。しかし、今サザには優先的にやるべきことがある。莉緒はサザからネクタイを受け取った。


「ば、馬車借りても!」

「ああ。この財布持ってけ。ラッティスの神殿まで飛ばしてもらえ。頼んだ、莉緒さん」

 フレムから財布を渡された莉緒は、走って宿舎から飛び出す。そして、宿舎の前に停まっていた馬車に飛び乗った。

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