10.二人のけじめ(4/10)

「……分かった。この人はお前に返す。その子を傷つけたことも今ここで謝罪する」

「勇者様!?」


 突然の勇者の言葉に、仲間達は動揺を隠せないでいた。勇者はメイガンの首に当てていた剣を離すと、あっさりと魔元素の粒子に戻してしまった。これでは魔王の攻撃に対応できない。


 そればかりか、宿敵である魔王を視界から外すというあまりに大きすぎる隙を見せることも厭わず、勇者はクチナシに向けて深々と頭を下げた。


 これにはクチナシとキンカも少なからず動揺した。戦いは避けられないと思っていた勇者が、まさか自分から頭を下げてくるとは思ってもみなかった。周りの反応や彼の様子からしても、これが何かの作戦ではなく、本心からの謝罪ということが窺い知れた。


 おそらくこれも、メイガンの描いた筋書き通りの展開なのだろう。一体どこまで読んでいたのだろうか。彼女の底の知れなさにクチナシは思わず心の中で苦笑した。


「ただし」


 勇者は再び顔を上げる。その瞳には強い光が宿っていた。


 どこか抜けていた緊張感が、振り子の揺り戻しのように一気に戻ってくる。


「今から俺と戦え」

『なぜ?』

「けじめだ」


 勇者が短く返すと、彼の背後に光の剣が円を描くように展開されていく。


『そうか』


 一方クチナシも、両手の平に《炸裂》の種を転換して構える。


「ちょ、ちょっと待ってほしいっス!」


 ぴりついた雰囲気の中、二人のやり取りを誰よりも近い場所で見ていたキンカが、これから始まろうとする戦闘に異を唱えた。


「ウチに謝るのはどうでもいいとして、メイガンさんは返してもらえるんスよね!? だったらもう、別に二人が戦う必要はないんじゃないんスか!?」

『いや、そうでもないな。むしろ、遠慮なくぶっ飛ばしてもいいと向こうから言ってるんだぞ? 嬉しい限りじゃないか』


 ばちばちと、クチナシの手のひらの種が小さく弾ける音がし始めた。キンカが見上げると、クチナシは勇者を一直線にじっと睨みつけ、戦いが始まるのを今か今かと待ちわびていた。


『自分達の都合で先生を連れ去って、今度は自分達の都合で先生を返していいと言ってるんだ。そんな身勝手を謝罪の言葉一つで済ませるほど俺は優しくはない。それに、俺はまだあいつのことを信用したわけじゃないからな』


「それに追加すると、勇者君の方も個人的な思惑があって君と対峙したいと思っているんだよ。まあ、お互いを理解するための、ちょっと派手な喧嘩みたいなものだと思ってほしいね。彼の言葉が信用できないというのなら、私の言葉を信じてくれないかな」


 クチナシの言葉に被せてメイガンがさらに付け加える。臨戦態勢の二人をよそに、彼女はいつもの調子でクチナシの方へ歩み寄ってきた。


 勇者との間に立つようにして、クチナシの正面に立ったメイガンは、クチナシの顔を見てふっと微笑んだ。


「クチナシ、しばらくぶりだね」

『先生こそ、ご無事でよかったです』

「ああ、これでも一応重要参考人だからね。さすがに簡単に殺すような真似はしないとは思っていたけれど、なかなか私の話を聴いてくれなくて悲しかったよ」


 やれやれといった様子で首を振るメイガンは、ふと傍らで自分の顔を見つめるキンカに視線を移した。


 どう接すればいいかが分からず、やや尻込みしている彼女の表情に、メイガンがもう一度笑みを浮かべる。


「それでクチナシ、この子が君の幸せかい?」


 ――幸せになりなよ。クチナシ。


 いつか言った言葉をちゃんと守っているか、メイガンはクチナシにたずねる。


『……成り行きですが、まあ、そう、ですかね……』


 それにクチナシは、口ごもりながらも答えた。


 思わず質問したこっちが赤くなりそうな素直な答えに、メイガンはぱあっと顔を綻ばせる。


「そうかいそうかい、そりゃ何よりだ。……と、そうそう、これを忘れちゃいけないね」


 メイガンがクチナシの頭に手を置くと、その手からぼやっとした光が溢れてきた。それが自分自身に掛けられていた封印術を解除しているものだと、クチナシは体の奥底からあふれ出る力を感じながら理解した。


「クチナシ、君はこの前無理やり私の封印術を破ったが、さすがに全部は解き切れていなかったようだからね。少し残った部分は今のうちに解いてしまおう」

『ありがとうございます』


「さ、これでクチナシは何にも縛られていないまっさらな状態、魔王としての力を全部出せるようになった。思い残すことのないよう、しっかりやってきなよ」

『はい』


 メイガンの顔をまっすぐに見つめ、返事をするクチナシ。その後、傍らで不安そうに見つめているキンカに視線を落とした。


『キンカ、お前は先生と一緒にいろ。後は俺が全部ぶっ飛ばしてくる』

「……生きて、帰ってきてくださいね」

『当たり前だ。俺が死ぬ時はキンカも一緒に死んでくれるんだろう? なら俺は、お前が生きている限り、生き続けてやるよ』


 この戦いはもう避けられない。止められない。


 不必要にしか思えない戦いだったが、彼らにとっては大事な戦いなのだと、キンカはなんとなく感じ取った。


 だからせめて、戦いが終わった後の約束を彼と交わす。


 そして彼は、当たり前のように約束に応じてくれた。


 それが終わると、クチナシは正面に立つ勇者に言葉を投げかける。

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