6.魔王の過去語り(6/15)

 つもりだった。


 女性はどこからともなく取り出した杖を振るう。先端から発せられた光の粒子に沿うように少年の拳があらぬ方向に誘導され、彼の拳は宙を切った。


 それでも少年は止まることなく、体のひねりを戻すように今度は左の拳を振るう。


 それを女性は杖を振るっていなす。自分の体を軸にして円を描いた光の粒子に沿って、少年の体は背負い投げのように宙を舞った。派手に玄関の扉を蹴散らし、外に放り出された少年に女性は歩み寄り、寝そべる彼に語りかける。


「ああ、そうさ。君が悪かったのは運だけだ。それ以外は何も悪くない。非常に、どうしようもないくらいに理不尽な目に合わされたんだ。だから君には怒る権利がある。鬱憤をどこかにぶつける権利がある。私でよければ、その受け皿の役目を引き受けてあげるよ」


 ――だから遠慮なく、かかってこい。


 彼女が右手の指をくいくいと曲げる。それを合図に少年が立ち上がり、叫び声を上げながら彼女に襲い掛かった。


 拳は全て空を切った。蹴りはことごとくいなされた。掴みかかろうとすればするりと抜け出され、やぶれかぶれに投げつけた石ころはもれなく叩き落された。


 そのついでといわんばかりに少年は投げ飛ばされ、吹き飛ばされ、目に見えない力でぶっ飛ばされた。


 それでもそのたびに少年は立ち上がり、彼女に立ち向かった。


 ただただひたすらに、彼女の言う怒る権利を行使した。痛みの感じない藁の体は傷つくことを恐れる必要をなくしたし、すっかり軽くなってしまった体重にも案外すぐ慣れた。疲れを知らないせいで休む理由もなくなったし、ありあわせの体などどうなろうが知ったことではない。


 だから、いつまでも怒り続けようと思った。


 だが、いつまでも怒りを抱えられはしなかった。


 でたらめな喧嘩で怒りが解け出ていって、その隙間をむなしさが埋めていく。


 少年が放った最後の拳は、やけにゆっくりと力なく振るわれた。彼女の胸にぽすんと置かれた拳が震えだす。


 転換術で叫ぶだけでは物足りない。


 流れる涙などありはしない。


 突然静止して黙りこくる少年を、彼女はそっと抱き締めた。背中に腕を回して離さないよう力を込め、少年の頭をぽんぽんと叩く。


 自分よりも体格がいいせいか、そういう機会がなかったからか、おそらくその両方だろうと思わせる不器用な手つきは、少年を落ち着かせるのには十分だった。


「さ、小屋に戻ろうか。食事の用意をしよう」


 女性は短く言った。少年は小さくうなずいた。


「そういえば、私の自己紹介がまだだったね」


 少年が彼女から離れた時、ふと思い出したように彼女が呟いた。確かにこれまで少年の話ばかりをしていたせいで、彼女についての話はほとんど聞いていない。


「私の名前はメイガン。現在この国で唯一勇者と魔王についての研究を行う、ただのはぐれ者さ。そうだな……、せっかくだから、私のことは先生とでも呼んでもらおうか」


 自分の胸にぽんと手を当てて、少し自慢げに彼女はそう言った。


 これがのちの魔王――クチナシに生きる術を教え、彼から先生と呼び親しまれた女性――メイガンとの最初の出会いだった。

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