第29話 婚約者だったらしい

「ケイスケから電話があって、ムカついて切った」


 私が説明すると、アニキは意外そうな顔をした。


「電話してきたのか。なんだって?」

「話がしたいみたいだったけど、もう話をすることもないから切ってやったの。そんで電源も落とした」


 思い出したくないし、名前も出したくない。これで話を終わらせたいとばかりに早口で告げる。

 アニキは私をじぃっと見た。


「スマホが壊れているわけではないんだな」

「まだ動くと思うよ」

「そうか」


 思い返すだけでムカムカする。今さら話し合う余地などない。謝ってきても許す気はないし、私自身の気持ちも悟ってしまえばヨリを戻す必要もない。これでおしまいでいいはずだ。

 しかしアニキの反応は引っかかる。


「……アニキはケイスケに会ったの?」


 私が確認すると、兄は首を横に振って否定した。


「いや。連絡は入れたけど、返信はない」

「そう」


 アニキが探りを入れたから私に電話してきたのだろうか。だとしたら面倒になる前に、話を合わせておきたいと考えたのかもしれない。

 私はふぅと息を吐く。


「ねえ。ケイスケって、私の許嫁(いいなずけ)だったの?」

「ああ」

「私、知らなかったよ」


 そもそもケイスケとは幼馴染だ。高校生になったときにケイスケに告白されて恋人として付き合うようになった。ごくありふれた雰囲気の学生カップルからスタートして、成人してからは身体も重ねるようになって。

 いつかは結婚するんだろうなって思い描いていたとはいえ、私が知らない間に婚約者になっていたとは思わなかった。今さら知ったんだけども。

 私が責めるように言えば、兄は苦笑した。


「伝えていなかったからな。ただ、弓弦と付き合うなら許嫁という立場でとは言ってあった」

「そうなんだ」

「ウチの事情だからな」


 勝手だな、と思う。私のためだったのだろうけども、納得できない。

 一方で、考えてしまう。いずれ結婚するということが決められた婚約者という縛りを覚悟の上で、ケイスケは私の彼氏をしてくれたはずなのだ。なのに、どうして私を裏切るようなことをしたのだろう。ちゃんとお別れをしてから、新しい恋人を作ればよかったのではないか。それが誠実な対応だったのではなかろうか。

 ぐるぐると勝手な妄想をするくらいなら話し合えばいいのだが、顔を合わせたくない。考えるのは止めよう。


「……じゃ、関係は解消って事で」


 なにはともあれ、私もケイスケも縁が切れてしまったわけだ。このまま形だけ結婚をするということもあるまい。


「親父次第だが、そうなるだろ」

「うん」

「本当にいいのか?」


 なんでそんなことを聞くのだろう。

 視界の端に映る神様さんの表情もアニキの表情に似ていた。

 無理をしているとでも思っているのかな? そんなことないのに。

 私は肩を大袈裟にすくめた。


「冷めたし、向こうもそうでしょ? お互いのためよ」

「ふむ」


 唸って、アニキは神様さんに目を向けた。


「そういうことらしい」

「別にいいんじゃないかな。弓弦ちゃんはこっち側の人間だよ。無理して一般人に合わせなくていいと思う。ケイスケくんも可哀想だよ」

「貴方はそういう意見だろうな。弓弦が欲しいから」


 あきれる感情を隠さない湿度増し増しのじめっとした視線をアニキが向ければ、神様さんは含み笑いをした。


「ふふ。わかっていて聞くんだ?」

「念のため」


 確認しているのが言葉通りの内容とは限らない。なんとなく、仕草から本心を探っているような気がした。

 緊張を解けと言いたげに神様さんが笑う。


「梓くんのおかげでいろいろ思い出してきたかも。ひょっとしたらだけど、ケイスケくんを許嫁に据えたのは僕との縁を切るためでもあったのかもしれないねえ。ケイスケくんにそうするように促したのは、梓くんなんでしょ?」


 鋭い視線。

 アニキは見つめ返す。


「なにを根拠にそんなこと」

「弓弦ちゃんが結婚できる年齢になったときの話だから」

「そんな単純な話じゃない」

「ふぅん。裏で手を回していたことは認めるってことかな」

「む……」


 おっと、引っかけられたな?

 アニキは苦笑を浮かべた。


「僕は弓弦ちゃんを不幸にはさせないよ。ねえ?」


 神様さんに話を振られたが、私は苦笑するしかなかった。現状を不幸とは思っていないが、厄介だとは思っているわけで。歓迎できる状況ではない。

 アニキがむすっとする。


「どこで掌を返すかなんてしれたもんじゃない」


 その呟きに、神様さんはアニキの顔を覗く。


「梓くんは僕個神のことが気に食わないんじゃなくて、僕みたいな怪異全般が気に食わないんだよね? 信用を得るにはどうしたらいいのかな」

「別にオレから信用を得る必要もないだろ」


 目をそらさずにしっかりと睨み返しているアニキはなかなか豪胆だと思う。


「梓くんにも祝福してもらいたいよ」

「オレは弓弦が幸せならそれで充分なんだ。例え、オレが望んだ結果でなくても」

「言葉ではそういうけれど、本心だとは思えないよ」

「はっ。知った口を」


 アニキは笑って切り捨てた。神様さんが私を見て困ったような顔をする。


「弓弦ちゃん、知恵を貸してよ」

「今は無理じゃないですかね」


 時が解決してくれるとは思っていないが、妙案もないし様子を見るのが得策だろう。私自身も、アニキの言葉がそのまま本心だとは思えなかったのだ。


「それで、アニキの本題は? 異変が起きていないかの確認だけなの?」

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