第21話 なんでこんな場所にいるんだ?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
視界が戻ってくる。薄暗く感じるけれど、街灯が周囲を照らしているから歩くには問題がない。
というか、この景色は。
この夜道には覚えがある。最寄り駅から一本奥に入る道だ。私の通勤経路である。
『ちゃんと入れたみたいだね』
声が頭の中に響いている。周囲を見渡そうとしてみて、身体が自由に動かないことに気づいた。
ともすれば、見える景色が私の意志とは別に動き出す。視界はカメラぶれがひどい感じで酔いそうだ。
『神様さん?』
声は出せなかったが、心で話しかけるようにしてみる。
『ふふ。はじめは慣れないと思うけど、夢みたいなものだと思って耐えてよ』
『私の記憶を再生している感じですか?』
『うん。視覚聴覚触覚を追体験しているところだねえ』
『なるほど』
つまりは、私が体験したことであれば確認可能だということだろうか。
『おそらく、この調子で帰宅していけば、どこかで僕を拾うことになると思うよ』
『それはそうでしょうね』
事件に巻き込まれなくとも、確実に神様さんを拾うイベントは発生するはずだ。この記憶の雰囲気だと、あの日の夜であることはほぼ間違いない。泥酔してフラフラになりながらこの道を歩いたのはこの日だけなのだ。
にしても、視界不良もいいところだな……
歩道の幅いっぱいに右へ左へと移動している。鼻をすすりながら歩く様はなんとも言えない姿だっただろう。周囲に人影がほとんどないのが幸いというかなんというか。
とか思っていたらつまずいた。右側を下にして転倒する。
痛い。
なるほど、腕に残っていた打撲痕はこれが原因だな。鞄もこれで擦ったっぽい。納得ができてなにより。
起き上がって、スプリングコートをパタパタと叩く。踏んだり蹴ったりである。
大きなため息をついて前進。ゆっくりと、でも確実に進む。一つ角を折れたところで、正面に仁王立ちする影が一つ。
シルエットは男性にしては小柄、女性であれば大きめである。ロングコートで体型はわかりにくいが、太ってはいないと思う。瞬時に性別がわからなかったのは、フードを被っていたからだ。
「なんでアンタ、真っ直ぐ家に帰んないのよ!」
私を見つけるなり、その影は声をかけてきた。女の声だ。私よりは高音で、年齢は同い年か少し若そうな印象である。
まさか私に声をかけてきたとは思わなくて、無視して歩みを進める。
「ちょっ、無視とかありえないんですけど!」
隣を通り過ぎようとしたところでガシッと肩を掴まれた。
誰だ、この女。
暗がりということもあって視界が悪い。
目が合った。
「人違いでは?」
私の声は枯れている。散々泣いて荒れた後なのだからそういうものだろう。
「人違いなものですか! ケイスケの家からわざわざ急いで追いかけて来たってのに、なんであたしの方が先にアンタの家に着いてんのよ! マジあり得ない!」
「ケイ……スケ……?」
別れた男の名前など、アイツは幼馴染でもあったけど、もうどうでもいい。
私は軽く彼女の手を払って家路を急ぐことにする。
そう。この女、ケイスケの家の居候である。なんでこんな場所にいるんだ?
「ケイスケとはお別れしましたんで。私、帰ります」
「それじゃ困るのよ!」
腕を引っ張られた。なにが目的だ?
「私は困りませんので。どうぞお幸せに」
もう関わり合いたくないし、顔も見たくない。そのつもりで腕を振り切ろうと試みる。だが、彼女はしぶとくくっついたままだ。
なんだ、ヨリを戻せ、誤解だからって展開か? 誤解だとしても、もう未練とかないし、誤解されるようなことをしでかす男とは縁を切りたいんだが。
「ちょっ、なにが目的なのよ! 同棲してヤることヤってんでしょ! 私はもう関係ないじゃん! 離せ!」
さっさと家に入って甘崎くんに癒される予定があるのだ。放っておいていただきたい。
「アンタにはここで消えてもらわないといけないのよ!」
どういう意味だ?
揉み合いをしているうちに、私の身体は羽交い締めにされていた。身動きが取れない。相手のほうが少し背が高いらしいからか、どうにもならなかった。
「な、ちょ、変態!」
誰も人が通らない。終電だったらもう少し人がいた可能性があるが、残念ながら終電ではないし、週末ですらないのである。こんな夜更けに歩いている人間は少数派だ。
「変態とか言うな」
「離せ、変態!」
「変態じゃない!」
不毛なやり取りだな。
しかし、この景色――この建物の様子、さっきも見たような。
『……スキップとかないの?』
『跳ばすことはできないかなあ』
『そっかあ』
ずっと揉みあっている。時刻は不明。もう少ししたら、次の上りか下りかの電車に乗っていた人が通りかかるような気がする。
あ。胃がムカムカしてきたぞ。
呑みまくって泥酔して帰宅中だ。こんなふうに揉みくちゃにされたら吐き気も湧く。
「は、吐きそう……」
「はぁ? 待って、吐くとか、待ちなさいよ」
「無理……もう、げぶっ」
……見てるのもキツイな?
「ちっ、もうすぐだってのに」
顔が近いから、彼女の声がはっきり聞こえた。当時の自分は吐き気をもよおしていたから聞いている場合じゃなかっただろうけども。
腕が緩んで地べたに私は落ちる。げえげえ言ってはいるが、吐いてはいない。胃液が上がって喉の奥が灼かれている感じはするけども。
「まあ、いいわ。ここで足止めさえできれば」
捨て台詞だろうか。何事かを告げて、彼女は駅の方へと走り去る。なんだと言うのだろう、あの子は。
ぜえぜえしながら動きが取れずにいると、悲鳴が上がる。さっきの彼女の声のような気がするし、そうではないのかもしれないが、とにかく女の悲鳴だ。
私は呼吸を整えて顔を上げる。何者かが駅方面からこちらに走ってきた。シルエットはさっきの彼女とは違う。
男性らしい。全力で向かってくる。
『あ』
思い出した。この記憶は間違いなく私のもので。
このあと私は。
「くっそ」
地べたにいた私のそばにはショルダーバッグが転がっている。そのショルダーバッグに走ってきた男が引っかかってつまずいた。
「見たな、女!」
起き上がった男の手元、光るものがある。
血のついた刃物だ。
「ひっ」
とんだ厄日だ。もっともっと楽しいことをしてから一生を終えたかったのに。
刺されることを覚悟した――そのときだ。
眩い光が一瞬、周囲を照らす。ストロボのような点滅は、車のライトとは違うとわかった。
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