干渉はできないけど観測はできるから

第20話 因果律に作用することはできないけど

◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 アニキが置いていってくれた食べ物を適当に選んで食べる。なにを口にしても味がしなかった。


「――弓弦ちゃん?」

「ひゃいっ!」


 空腹を満たすためだけに昼食をとって、その片付けを無心でやっていたら神様さんがひょいっと顔を覗き込んできた。びっくりした。距離が近いぞ。

 裏返った声を出してしまって恥ずかしい。ご近所さんにまで響き渡っていないといいけど。

 作業を終えた私は、濡れていた手をタオルで拭く。


「な、なんですか、いきなり」

「いきなりじゃないよ。何度も声をかけたのに心ここに在らずだったからさ」

「ああ、それはごめんなさい。無視していたわけじゃないんですよ」


 本当に聞こえていなかった。彼がここにいるという気配は感じていたが、声をかけられているとは思わなかったのだ。

 彼は眉尻を下げた。


「疲れているときにいろいろなことが同時多発的に起きたから仕方がないのかもしれないけど、僕は心配だよ」

「あはは……大丈夫ではないですよねぇ」


 自分でも変だと自覚している。通常の状態ではない。

 そもそも十八連勤なんてしたことがなかった。過労で体力が落ちていたところでとどめを刺すようにケイスケの浮気発覚である。肉体も精神も滅茶苦茶な状態で泥酔して、神様さんを拾って、近所では事件発生中で。

 私は私の思う平穏な生活を望んでいるだけなのに。

 笑ったあとに特大のため息をつく。


「電源を切りっぱなしにしているあれもそのままでいいのかい?」


 私と会話できるようになったと考えたからだろう。一度距離を取るためか、彼は所定の位置と化したダイニングテーブルの前に腰を下ろす。


「スマホは……大丈夫じゃないですかね」


 電源を入れたらケイスケから電話がかかってきそうで、それが心底嫌だった。アニキからの電話でも取れない自信がある。ならばしばらくは黙らせておくのがいい。

 それにアニキにしろケイスケにしろ、この家を知っているのだ。用事があるならここを訪ねるだろう。

 彼はスマホが置いてある寝室から窓の外に視線を移した。


「少し外に出る? 気分転換さ」

「出るのは得策じゃないってアニキが言っていたので、やめておきます。警察も訪ねてきましたしね。犯人が捕まるまでは静かにしておくのが吉かと」

「傷害事件の、か」


 腕を組んでふむと頷いた。顔色が曇っている。


「私、関係ないですよね?」


 神様さんはあの一昨日の夜のことをよく覚えていないのだと告げていた。私自身も断片さえほとんど思い出せない状態だ。

 だから、絶対に事件と無関係だという保証はない。

 不安な私に、彼は真面目な顔をする。


「犯行時刻に近くにいた可能性は高いとは思うけど、巻き込んではいないんじゃないかな」

「巻き込まれて、じゃないんですか?」


 私は小さく笑う。

 彼は首をコテンと横に倒した。


「言い間違えたわけじゃないんだけどな」

「んん?」


 彼は不思議そうな顔をしている。どういう意味だろう。

 じっと見つめていると、彼は不意に手をポンっと叩いた。


「そうだ。あの時刻、なにがあったのか覗いてみるかい?」

「覗く?」


 いきなりなにを言い出すのだ。

 私が目を瞬かせていると、彼は立ち上がった。


「犯人が捕まるまで外に出られないのは不便だし、僕の力を使って疑問点は解決してしまおう」

「そんなことが可能なんですか?」

「因果律に作用することはできないんだけど、観測することは可能だからね」

「んんんんん?」


 聞き慣れない単語が出てきたぞ。

 私がちょっと待てと片手を上げると、神様さんはニコニコした。


「過去に戻って事件をなかったことにすることはできないけれど、なにが起きていたのかについては見る手段があるってことさ。君が事件に関わっているのか無関係なのかははっきりするんじゃないかな」


 とても都合のよさそうな提案である。だが、そういうときこそ慎重になるべきだ。

 私は彼をじっと見る。


「その代償、キツイんじゃないですか?」

「負担が少ない方法をとるよ。それに、君も知りたいでしょ?」

「犯人を、ですか?」


 私が質問を質問で返せば、彼は首を横に振った。


「ううん。最寄りの駅からここに帰ってくるまでになにがあったのかってこと」

「それはまあ、知りたいですけど」


 酩酊状態の自分がどうやって帰ってきたのかについては興味はある。ショルダーバッグの傷とか行方不明になった御守りとか、おそらくなんらかの情報を得られるだろう。

 浅く頷くと、彼は私に近づいた。


「記憶っていうのはね、消えてしまうことは滅多にないんだよ。忘れてしまうことの本質は、記憶に接続できなくなるってところで」

「その考え方については納得できますけど――」

「そういうことだからさ、ちょっと君の記憶に潜ってみようか」

「はい?」


 両手をがしっと握られた。彼はニコッと笑う。


「大丈夫だいじょうぶ。危なくなったらやめるから」


 ふっと彼の唇が笑みに変わる。それを認識した瞬間、視界が暗転した。


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