第22話 大丈夫そうには見えないから
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
光が止んだと思えば、そこはもう私の部屋だった。
「あれ?」
てっきり死にそうになったところを切り抜けるシーンがやってくると身構えていたのに。
ところで、神様さんはどこに?
手を握られて記憶に飛ばされたのだから、意識を取り戻したら目の前に彼がいるのが道理だろう。なのに握られていたはずの手は空っぽでどこかひんやりしていて、下を見ても彼の姿はなくて。
まさか、と思った。
「神様さん!」
悲鳴に似た声が出た。ご近所迷惑になろうとも気にしている場合ではない。
ダイニングにはいないので別の部屋かと思い寝室に向かえば、背後から声がした。
「だいじょぶ大丈夫。僕の方がちょっと刺激が強かったみたいで、意識から飛び出しちゃったんだよねえ」
トイレから彼が出てきた。刺激が強かったと彼が説明したのが伝わる程度には青褪めた顔をしている。
「大丈夫そうには見えないんですが」
私はすぐに駆け寄って、顔を覗く。
彼は反射的にニコッと笑った。無理をしているのが丸わかりだ。
「神様さん。無理しないでください。真相を知るためとはいえ、それなりに負担になるような奇跡だの怪異だのを生み出したわけなんですから、大丈夫なわけがないんですよ」
「おや、僕の心配をしてくれるのかい?」
うっすらと額に浮かぶ汗に気づいて私は手を伸ばす。
「当然じゃないですか」
「君は優しいねえ」
彼はおとなしく私に汗を拭われて、機嫌よく振る舞った。
触れた彼の肌はとても冷たかった。
「いいですか、神様さん。私は別に誰にでも優しいわけじゃないんですよ。私に優しくしてくれたから、その思いには報いたいなと思う程度に優しくできるだけで。私を優しいと思えるなら、それはすべてあなたが私に与えた優しさです」
「そんなことはないと思うけどな。君は小さい頃から優しいよ」
「…………」
彼の気配が弱まっているのがわかる。記憶の刺激が強いがために緊急で飛び出してしまったことで、ちゃんと手順通りに術を終えることができなかった弊害もあるのだろう。
こんなはずじゃなかったのにな。
私は次の手をぐるぐる考えて黙り込む。頑張ってくれた彼に、なにかしてあげたい。
「弓弦ちゃん――」
「神様さん」
私は彼の両肩をガシッと掴んだ。彼は目を丸くしている。そのまま少し背伸びをした。
「ゆづ……」
唇が触れる。軽く食む。
もっと深い口づけをしようと誘ったつもりだったけれど、彼は応じてくれなかった。
仕方なく離れて、おねだりするように首を傾げて見せた。
「……私から、力を奪っていいよ?」
乗ってくるだろうか。
拙い演技なのは承知だ。私は元カレに対してもキスをおねだりするようなことはなかった。その点についてはつくづく可愛げがなかったなと思う。
彼は上機嫌に笑った。
「ふふ。可愛いこと、僕が相手でもできるんだね」
「からかってないで、私から力を摂取すればいいじゃないですか。そもそも、私があなたに作用したからこうして存在しているんでしょ? 今回は特別です。私があなたに与えるって言ってるんですから、遠慮は無用ですよ」
私が小さく膨れると、笑顔の上に困ったように眉根を寄せた。
「だから、そういうのが優しいっていうんだよ。あまり僕を信用しない方がいいんじゃない? 君のお兄さんが悲しむんじゃないかと思うけど」
彼がアニキを梓くんと呼ばなかったあたり、私に揺さぶりをかけようという魂胆があるとみた。私は唇を尖らせる。
「こういうときにアニキを持ち出さないでください。私にだって意思はあるんです。成人していますし、アニキは過保護なんですよ」
「自分の責任で、そうするってこと?」
意外そうな問い。私は両手を自身の腰に当てた。
「私がそうしたいからするってことです」
「……ふふ。僕は君に気に入ってもらえたんだね」
困ったように笑ったかと思えば、彼の手が私に伸びた。髪をすくようにされたかと思えば、唇が重なる。
「ん……」
いきなりすぎて目を閉じるのを忘れていた。深い口づけに変わるとともに目を閉じて、ゆっくりと互いを味わった。
気持ちがいい……
乱暴にしても怒らないのに、とても丁寧にゆっくりと舌で撫でられて蕩けてしまう。腰に力が入らなくなって、彼の手が私を支えてくれた。
「……本当に可愛い」
唇が離れて、はくはくと唇を動かす私を熱のこもった眼差しで見つめてくる。多少は元気になったように見えて安心したけれど、私は力が入らなくて困った。
あれれ。
「好きだよ、弓弦ちゃん」
微笑んでいるのに、少し寂しげに感じられるのはなぜなのだろう。なにか彼は隠しているのだろうか。
「…………」
言葉を返したいのに、唇をピクッと動かすだけで声にはならない。
彼は微苦笑を浮かべた。
「ありゃ。喋れないくらいに蕩けてしまったかな」
私は渾身の抵抗でプイッと横を向く。すると彼は私の首筋に口づけを落とした。
「や」
「僕がこうするってわかっていて、君は横を向くんでしょ?」
耳元で囁かないでほしい。
ただ、その質問の答えはイエスでもあるから、私は全身をほてらせながら顔の向きを変えずに耐えた。
彼がくすくす笑う。
「本当に可愛いよ。そんなに頑張らなくても、君のそばから消えたりしないよ?」
「……でも」
いなくなってしまいそうな気配を感じたのだ。何かの拍子に、私の前から何も言わずに消えてしまいそうな、そんな予感が。
「僕にいなくなって欲しかったんじゃないのかい?」
「それは……別に今すぐに、ではないので」
「そうなの?」
確認の問いに黙っていたら、ふわっと横抱きにされた。安定感がすごい。
「ちょ」
暴れる元気はないのでされるがままだ。出入り口は決して広くなんてないのに、器用にダイニングキッチンから寝室に運ばれてしまう。
「あのっ」
ストンとベッドに降ろされてしまう。戸惑っている間に彼が覆い被さってきた。
「神様さん」
「君が欲しい」
「欲しいのは私の力でしょう?」
「そのほうが都合がいいなら、そう思っていればいいよ」
ねえ寂しそうに笑わないで。
唇が重なる。
私は彼の背中に手を回した。
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