Time is waiting for……
宵埜白猫
Time is waiting for you.
時間は止まってはくれない。
なんて使い古された言葉なんだろう。
悲しんでいる暇があるなら前を向けと、そんな言葉を投げられたくらいで立ち直れるのなら、ここまでズルズルと引きずってなんかいない。
『いいか、周作。どれだけ悲しんで、思い出に浸ったって、死んだ人間は生き返らないんだ。……だから、いつまでもウジウジしてないでお前も外に出てみろ』
そう言って半ば強制的に家から出された。
夜の帳が降りた世界で、オレンジ色の街灯とビルの光が、腹が立つほどに綺麗な夜景を描いている。
すぐに帰ったところで、今は父と話したくはない。
仕方無いから、少し散歩でもしていこう。
父はああ言っていたが、時間はずっと止まったままなんだ。
母が死んだあの日から。
少なくとも、僕の中では。
「ねぇ、私と話さない?」
唐突に聞こえてきたその声に、僕は思わず振り返った。
凛とした、芯のある声。
その主は、長い黒髪を下ろした眼鏡の少女だった。
こんな時間に声を掛けてくるなんて、今噂のパパ活というやつだろうか。
まだ二十前半とはいえ、最近やけに増えた白髪のせいで年上に見られることもある。
「聞いてる?」
夜の静けさの中で、彼女の声だけがやけにはっきり聞こえた。
少し不貞腐れたようなその声に、思わず口を開く。
「あ、ああ」
咄嗟に口を突いたのは、そんな情けない返事とも言えない返事だった。
「君、何か失礼なこと考えてない?」
明らかに年下の少女から君と呼ばれるのも不思議な気分だが、後半部分に心当たりしかないから何も言い返せない。
「まあこんな時間に知らない女に声かけられたらそうなるか。……周り、見てごらん」
彼女に促されるまま、僕は夜景に目を移した。
先程までと変わらない、嫌になるほど綺麗な夜景だ。
街灯、どこかの企業が残業しているビルの光、青を指している信号、そして数台の車が止まっている。
「相変わらず、腹立つくらいの夜景……」
そこまで言って、僕は言葉を飲んだ。
今見た景色の中に、何か違和感を覚えたからだ。
そんな僕を見て、目の前の少女が楽しそうに笑う。
「ふふ、やっと気づいた?」
「え、なんで……」
車はブレーキを踏んでいるわけではなく、道路の真ん中で完全に停止していた。
もう一度辺りを見回すと、遠くにいる人影も、風に吹かれて落ちる葉も、その全てが時間を止めたように静止していた。
世界が、止まっている。
「今ここには私と君だけ。時間だってここにはないの」
得意気に言う彼女の言葉は、確かに耳慣れた言語のはずなのに、何一つ理解できない。
「君は、何者なんだ?」
「私は、……なんだろうね? 説明が難しいや」
そんなことを言う彼女の目からは悪意は感じられない。
きっと、本心から出た言葉なんだろう。
「じゃあ何のためにこんな事を?」
本当に知りたいのはこれに尽きる。
目の前の少女の正体なんて、正直どうでもいいのだ。
「それなら簡単だよ。……君が望んだから。」
「僕が?」
「そう、君が。これ以上の不幸を見たくない、いっそ時間が止まってしまえばいい。そんなことを思っていただろう?」
彼女の言葉に息を飲む。
あの日からずっと心の中にあった感情を、これほどはっきりと言葉にされたのは初めてだった。
「いいんだよ。止めてしまっても。止まってしまっても」
諭すように、優しい口調。
その言葉は、今まで聞いたどんな言葉よりも胸の奥に響くのを感じた。
「いいのか? 本当に……」
この夢のような世界の中で、一人。
新しいものに出会うこともなく、何も失うことはなく。
そんな風に、一人で……。
「ああ。時々人は頑張り過ぎる。疲れた時は止まったっていいんだ。もしそれが一生そうだとしても、気が済むまで止まってしまえばいい」
優しい口調とは裏腹に、どこか寂しそうな目をして、少女は続ける。
「もし一人が寂しいって言うんなら、仕方無いから私が一緒に居てあげるよ」
どこか冗談めかして笑う彼女に、ふと頬が緩んだ。
胸の奥で、カチッ、という音が鳴った気がした。
皮肉だな。
「止まった時間を、また動かしたいと思ってもいいのか?」
その言葉を予期していかのように、穏やかな顔を浮かべて、少女は笑う。
「もちろん」
どこまでも優しい、その声を聞いて、僕はゆっくりと息を吐いた。
葉が落ちる。
車のエンジン音が聞こえた。
遠くから、人の足音が近づいてくる。
世界が、動いた。
「ありがとう」
目の前に、もう彼女はいない。
僕は心の中でもう一度、ありがとう、と呟いた。
Time is waiting for…… 宵埜白猫 @shironeko98
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