第25話 雪花の舞
「華川の旦那」
その時、水面から
「二人ともすまないね。危険な事に巻き込んでしまって」
「いいんでやんすよ。これはあっしらのためでもありやすから」
泡影の言葉を聞いて眼差しに強い光を宿した一聖を見て、清瀬も心を奮い立たせる。
今宵はいつも以上に一聖殿の役に立ちたい―――
指先にグッと力を込めた。
「彼らについて行けますか?」
「ああ、任せてくれ」
船頭は泡影達を見て驚きの声をあげたが、決意を固めたように舵を取ると静かに漕ぎ出した。
キーコ キーコ
木が軋む音とざざぁと裂ける水面。
霊岸橋から件の場所までは目と鼻の先ではあるが、河から海への流れと、海から河への潮がぶつかり合う、絶妙な舵取りが必要な所でもあった。
「あなたが引き受けてくださって助かりました。私ではこんなに滑らかに船を保てませんので」
緊張を解すような柔らかな一聖の声に、船頭が無言で頷いた。清瀬もふぅっと静かに息を吐く。
暗くて静かな水の中、ここに多くの怨念と望郷の思いが揺らめいている事は気づかれにくい。
だからこそ、このままにはしておけないよな……
「ここでさぁ、旦那」
「泡影、草流、ありがとうございました。後は任せて、できる限り離れていてください」
二人の姿が宵闇に紛れた頃、一聖が笛を構えた。
「船頭さん、投げ出されないように捕まっていてください。清瀬、いきますよ」
「旦那様、準備はできてるぞ」
細く長く―――
一筋の糸のような音色が、水底に吸い込まれていく。
それはまるで、むせび泣く女の涙のよう。
悲しみはやがて、理不尽な境遇への怒りに代わり、水面に渦を巻き起こし始めた。
「
一聖の声と共に、幾千も幾万もの白い手が渦の中から伸び出て来た。白い指先がガシリガシリと船の縁を掴み、船頭が「ぎゃあっ」と悲鳴をあげて飛び退いた。
心刀で薙ぎ払い続ける清瀬だったが、余りの多さに追いつけない。切られても、撥ねられても、きりなく現れ出る白い手は、あっという間にうず高く積み上がり、船ごと水底へ引きずり込もうとしてくる。
「きりが無いな」
「そうですね。でも、最後の一人まで供養してあげたいですからね」
音色に魂を込め、霊に呼びかけ続ける一聖。
「流石、旦那様だ。分かった、任せろ!」
そんな一聖ににっこり笑い返すと、清瀬はスッと姿勢を正して心刀を胸前に構えた。
「心頭滅却」
そう唱える間も、白い手はウネウネと這い出て来ては積み重なり、じゅわじゅわと船板に水が侵食してくる。
「もうだめだっ……引きずり込まれる」
慌てふためく船頭を目の端に捉えながら、低く静かな声で命じた。
「心刀雪花流、秘技、
その瞬間、心刀より白い雪が溢れ出てきた。それは花弁のように舞乱れ、高く高く渦を巻きながら立ち登っていくと、弾けて四方に飛び散った。
船に向いていた指先が、誘われたように天を仰ぐ。
ヒラヒラと柔らかく降り注ぐ雪の花に触れようと手の平を翳し始めた。
いつの間にか、一聖の笛が止んでいた。
しんしんと降り注ぐ雪。
音の消えた世界。
やがて、ピキッ、ピキッと澄んだ振動が空気を揺らし始めた。
舞い散る雪に触れた途端、氷りついていく白い手、白い手、白い手。
救いを求めるかのように伸ばされた無数の手は順に動きを止め、やがて氷の花弁となった。
「一体、何が起こっているんだ!?」
「雪の檻に封じ込めた。だが、長く保つのは無理だ。今のうちに供養を!」
「流石ですね。清瀬、ありがとう」
その時、目を丸くして見回していた船頭が、「あっ、おいと」っと小さく叫んだ。
目線の先には、一回り小さな手の平が天を仰いで固まっている。
やがて男はぽろぽろと涙を零し始めた。
「おいとぉ……辛かったよなぁ……寂しかったよなぁ、すまねぇ……すまねぇ」
白い息を吐きながら、なんまいだ、なんまいだと手を合わせた。
「おいとさんは……辿り着け無かったようですね。南へ向かう船の中で病に倒れてそれきりとは、可哀想に」
一聖が悲しげに眉を寄せる。
「でも、最期に父親に会えて嬉しそうだな」
清瀬の言葉に、「せめても……ですがね」と呟いた一聖が、船頭の肩に手を置いた。
「これから、おいとさんの供養を始めます。きちんとあの世へ送ってあげなければ、生まれ変わる事もできませんので」
「旦那、わしの命をあの子にやってくれ! わしは老い先みじけぇが、少しは残っているだろう? あの子が、おいとが腹いっぱい飯食う時間くらいはあるはず」
一聖の顔が苦悩に歪む。
「それは……できません。命を入れ替える事は」
「幽霊に乗り移られることだってあるだろう? わしの身体にあの子を」
「……申し訳ない」
深く頭を下げた一聖の肩を揺さぶりながら号泣している男を、後ろから引き剥がす清瀬。胸が潰れそうになった。
一聖殿、大丈夫だろうか……
陰陽師と言うだけで、何でも出来ると過度な期待をされる時もある。一蹴できれば楽だけれど、辛い事情が絡んでくればそんな風には割り切れない。
「辛いだろうが……おいと殿をこのままにはしておけない。『
「清瀬……」
ガクリと膝をついた船頭が額を下げた。
「旦那ぁ、頼む。おいとを救ってやってくれ」
「わかりました。力の限り務めさせていただきます」
氷の花に向き合うと、再び笛を構えた。
今度は温かな春を思わせる弾む音色。極楽の音とはかくあるべしと思う調べが数多の手を撫でるように駆け上る。
パリン パリン パシャーン
次々と砕け散り霧散していく白い手が、闇を白く染めていく。
「あああー、おいとぉ」
悲痛なうめきが小さな霧を掴もうと手を伸ばす。
「
悲しい花達は最期の光を放ちながら、全て―――消えて亡くなった。
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