第26話 初めての温もり

 ふんわりふんわり。

 尻尾が二つ、楽しそうに揺れ動く。


 華川家の母屋の縁側で、饅頭を頬張る翡翠と琥珀の頭を撫でながら、締まりの無い顔を晒している清瀬。それを呆れ顔で眺める狐太郎、今は少年姿だ。


「「今日もいっぱい縁結びのお願いをいただきました」」


 瞳をきらきらさせながら親方様こと狐太郎に報告する翡翠と琥珀。


「お名前いっぱいで」

「覚えるのが大変だけど」

「たくさんの人のお役に立てていると思えるから」

「すっごく嬉しいんです」


 代わる代わる語り継ぐ。


「そうか。翡翠も琥珀も偉いぞ!」


 狐太郎に褒められて、うふふっと笑みを咲かせた。


「「清瀬様」」

「ん? なんだい」

「「もう一個食べてもいいですか」」

「いいぞ、いいぞ。食べたいだけ食べていいんだよ」

「「わぁーい。ありがとうございますっ」」


 小さな手が饅頭に伸ばされるのを見て、清瀬は昨夜のおいとの手を思い出した。腹いっぱい食わせてやりたいという親心も。

 胸の奥がぎゅっと痛む。


「一聖は大警視様のところか」


 狐太郎の言葉に引き戻された。


「ああ。仔細の報告と、多分、大きな港の近くにはああいう水域があるだろうから、我々が調査、供養をする許可と協力の要請をしてくると言っていた」

「忙しくなりそうだな」

「そうだな」


 しばし無言で翡翠と琥珀に目を細めた。


「あー、今回は……清瀬にも世話になった。ありがとう」

「狐太郎……いや、親方様。この度はご協力ありがとうございました」

「ぶっはっ」

「え! 何故笑う?」


 腹を抱えて笑い出した狐太郎を不思議そうに眺める翡翠と琥珀。困惑しきりの清瀬。


「調子狂う」 

「はぁ?」

「お前が陰陽師の妻に見えた」

「……正真正銘、陰陽師の妻だが」

「クフフッ。二つ名は『跳ねっ返り剣士』だがな」

「何だとっ。ならばその言葉通りに、こうだぞ」


 にっと笑った清瀬。狐太郎の柔らかな金髪目掛けて手を伸ばすも、あっさりかわされてしまう。


「「親方様〜」」


 狐太郎に頭を撫でられて、翡翠と琥珀の尻尾がふりふり嬉しそうに跳ねていた。


 やっぱり、狐太郎は優しい親方様だ!




「清瀬、早くここへ」


 布団にゴロリと寝転がった一聖が、横を向いて胸元の布団をぽんぽんと叩く。


「清瀬の場所ですよ」


 いつもの勢いはどこへやら。視線を泳がせながらおずおずと潜り込んだ清瀬をぎゅっと抱きしめて、一聖が幸せそうに呟いた。


「ああ〜、やっぱり清瀬は温かいですね。癒されます。それに……」


 スンスンと髪を嗅いで付け加える。


「今宵は良い匂いもします」

「あ、千登勢さんがお香を炊いてくれたから」

「なるほど。千登勢さんとも仲良くなれたようで嬉しいです」

「千登勢さんが優しいから……母が早くに亡くなったので、つい面影を重ねてしまうんだ」

「そうでしたね。清瀬も早くに母親を亡くしていましたね」


 もう一度、包み込むように清瀬を抱きしめると囁いた。


「今回もお疲れ様でした。清瀬の助けがなければ、こんなに早く解決できなかったでしょう。秘技も素晴らしかったです。ありがとう」

「旦那様も、お疲れ様でした」


 誇らしさと達成感で熱くなる心を隠すように尋ねる。


「ところで、船頭殿はどうなったんだ?」

「事件解決に協力したと言うことで、減刑してくれることになりましたよ」

「良かった」

「娘さん達は無事親元へ帰れたし、人買い首謀者の呉服商の須崎世治すざきせいじも逮捕できましたので。一件落着かな」

「そうか。良かった。これで翡翠と琥珀も迷いなく縁結びができるな」

「そうですね」

「でも、同じような水域の浄化が必要なんだろ。忙しくなるな」

「まあ、でも、そちらの方は各地域の協力者に頼むつもりでいますから大丈夫ですよ」


 そう言えば要三郎殿が言っていたな。有志の者達が、共にこの国を守ってくれていると。

 清瀬は改めて、一聖は各地に散らばる陰陽師の総代であることを実感したのだった。


「あの時」

「あの時?」

「船の上で船頭に、私の事を温かい人と言ってくれて、とても嬉しかったです」

「……それは……真実だから」


 微かに頬を染めて答える清瀬の髪を撫でながら、一聖が続ける。


「でも、私に初めての温もりをくれたのは清瀬なんですよ」

「ええ?」

「私は清瀬と出会うまで、本当の温もりを知りませんでした」

「……そんな」

「私の母は霊力が少ない人でした。だから、私を産む時大変な難産で、それ以来体調を崩してしまい」

「それは一聖殿のせいではないぞ!」

「そうですね。ありがとう」


 どう慰めようかと必死になっている清瀬の瞳を愛おしげに見つめる一聖。


「母もたくさん抱きしめて撫でてくれたんですよ。でも、私の身体には常に霊力が纏わりついていて……まるで結界のように……だから、母の温もりが伝わって来なかったんです。それは千登勢さんも同じで」

「霊力の少ない人とは触れ合え無いのか!?」

「そのようです」

「それは……辛かったな」

「そうですね。いつも寒かったです。だから清瀬と出会えた時、本当に嬉しかったんです。こうして触れ合えて、清瀬の温もりを感じる事ができて……私は幸せです」


 胸前できゅっと両手を抱えていた清瀬だったが、静かに一聖の背へと手を回す。

 今度はぎゅっと、自ら一聖の身体を抱きしめた。


「清瀬!」

「どうだ、温かいか?」

「……ええ、とても」

「これからは私が旦那様を温める」

「お願いします。もう、寒いのは耐えられないので」


 互いの温もりが溶け合うようにピタリと寄り添いあった。


 清瀬の髪にしばし顔を埋めていた一聖。ふと思い出したように笑う。


「清瀬の手刀が痛かったのも良い思い出です。触れられるんだと確信できたので、実は凄く嬉しかったんです」


 そう言えば、顔合わせの時に手刀を食らわせたっけ……

 

 内心青ざめた清瀬だったが、喜ぶ様子を変態呼ばわりしていた事を思い出して更に申し訳ない気持ちになった。


 押黙ってしまった清瀬をいたずらっぽく見つめた一聖。「隙ありっ」と呟くと、目の前に無防備に晒された耳をはむっと優しく噛んだ。


「ひゃ」


 思わず高い声が漏れ出た清瀬は、自分で自分に困惑したように目を見開いている。


「可愛い声が聞けました」


 クスクスと笑いながら覗き込む一聖に、むっとして拳を突き出すも軽々と掴まれ一気に仰向けにされてしまった。


「清瀬、いいですか?」


 覆いかぶさる一聖の、まだ湿り気の残った髪が頬に当たってくすぐったかった。


 いいですかって、一体何を……


 そう言えば、自分達は夫婦で寝間にいる。やるべきことは一つのはず。

 

 夜の営み―――


 心臓がばくばくと鳴り始め、頭が真っ白になってしまった。

 未だ作法も分からない清瀬は、何をどうすればよいのかさっぱりだ。


 でも、いつまでも拒めるわけないし。 

 ん!? 私は別に拒みたいとは思っていないぞ。寧ろ、もっと触れて欲しいとさえ思ってしまう。


 そんな自分に驚きつつも覚悟を決めて頷いた。


 ふわっと妖艶に微笑む一聖が、一気に距離を詰めてくる。

 ゾクゾクと、清瀬の背筋を得体のしれないものが這い上がっていった。


 あっ……ぅん…… ん……んふっ 


 清瀬の力が抜けていく。


 確かめ合うような口づけは、やがて求め合う欲に変わる。

 辺りに熱い吐息が溶けていった。


「こう言うのは嫌ですか」

「……嫌……じゃ、ない」


 潤む瞳で一聖を見上げながら、清瀬は初めての感触に震えていた。


 一聖殿の唇、柔らかい。

 こんなに優しく触れられたことなんて、今までの人生にあっただろうか……


「はあぁ~」


 甘えたように清瀬の胸に顔を埋めた一聖。ピクリと跳ねた清瀬の身体。


「もっともっと、清瀬に触れたくてしかたありません。でも……接吻だけでそんな顔をされたら」


 愛おしそうに笑う。


「楽しみは一つ一つ、ゆっくりと味わいながらいきましょう。今日は接吻だけで我慢しますので、もっともっとください」


 そう言って起き上がると、再び清瀬に顔を近づける。ぽうっと半開きの口の中へ、そうっと分け入った。


 一聖の唇が、舌先が、清瀬を撫でていく。それはやがて、耳元へ、首筋へ、胸元へ。

 触れられる度、身体の奥深くが疼き、じんじんと痺れたように力が入らなくなってしまう。

 初めての感覚に戸惑う清瀬。


 一撃必殺。

 常に四方へ神経を張り巡らし、攻撃に備える。そんな研ぎ澄まされた生活を続けてきた清瀬にとって、この感覚は恐ろしくもあった。


 それなのに、拒めない。

 もっと、もっと―――感じていたい。


 今ならわかると思った。

 師匠である父親が温もりを極端に避けた理由が。


 こんな温もりを覚えてしまったら、私はもう、戦えなくなってしまうかもしれない。


 微かに芽生えた恐怖。

 だが、甘美な罠には抗えなかった。


  


 『第二章 縁結び稲荷と神隠し』 了




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