第23話 指切りげんまん

 背後でほうっと小さなため息が聞こえた。

 徐ろに抱きしめられてぴくりと肌が跳ねる。


「な! だ、旦那様、こんなところで」

「大丈夫。誰も見ていませんよ」

 

 慌てて周りを見回せば、確かに皆それぞれの持ち場へと立ち去った後だった。


「我々も早く合流しないと」

「清瀬」


 いつもとは違う有無を言わせぬ響きに動けなくなった。


「狐太郎に『いつでも首をくれてやる』と言い放った時は肝を冷やしました。どうして貴方は、そんなにも無鉄砲で一本気で、自分を大切にしないのですか?」


 自分を大切にしていない?

 どうして?

 そんなこと、考えた事も無かった……


 どんな困難にも恐れず立ち向かえるよう、日々精進を重ねてきた。そのことに疑問を差し挟む余地もなく。

 己の限界を超え続けるには、己を労る余裕はなかった。

 己の性を否定しなければ、生き残ってこれなかった。

 

 どうしてと言われても、私は愚直に突き進む生き方しか知らないんだ。


 強張った頬がふわりと包まれた。


「ああ、すみません。そんな顔をさせたかったわけではないんです」


 切なげに眉を寄せた一聖。清瀬の瞳を真っ直ぐに覗き込むと、無理矢理笑顔を作って見せる。


「でも、これからは、もう少し私を頼ってくださいね」

「……旦那様。さっきはありがとう。一緒に土下座してくれて、私を信じて背中を押してくれて……凄く嬉しかったし心強かった」

「それなら良かった」


 もう一度ぎゅっと抱きしめられた。

 泣きそうになったが、不思議とこの温もりは清瀬を強くしてくれる。


 そっか。私は今まで一人で戦っていたんだ。だから他人を信用していなかった。頼る事と甘える事の境界線が分からなかったから。

 でも、今は―――


「事前にちゃんと話しておかなかった私の落ち度ですが、あやかしの世界にはあやかしの、幽世には幽世の決まり事があります。それは、我々人間が口を挟めることではありません。相手が狐太郎だったから良かったものの、他のモノなら問答無用に殺されていたでしょう。こちらの言葉や理屈が通じる相手で無いことを覚えておいてくださいね」

「分かった」

「そうは言っても、清瀬はまたやらかしますね。きっと」

「何だよ。人を問題児みたいに」

「ははは。まあ、喧嘩を売るときは必ず私の目の前でやってくださいね。約束ですよ」


 答える代わりに、清瀬は小指を差し出した。


「これはまた、妻が可愛すぎていけませんね」


 いつもの調子に戻った一聖が、にやりとして小指を絡める。


「指切りげんまん嘘ついたら外でも抱きまくらの刑」

「え!」

「きっと四六時中抱きしめる事になりそうですね」

「……」


 冗談の中に紛れ込ませた一聖の気遣いが痛いほど伝わってきて、清瀬は素直に頷いた。


 抱きまくらの刑……やっぱり指切りなんかしなければ良かったな。



 結局、翁州屋の倉庫には誰もいなかった。緋呂巳が蛇の姿で隈なく探索してくれたので見逃しは無い。

 痕跡すらも見つけられなかったので、当てが外れたと悔やむ清瀬の姿にみんなが奮起する。


 ならば虱潰しに探すまでと、昼夜を問わず式神偵察を続ける要三郎と一聖。

 年のため翁州屋を見張り続ける清瀬と狐太郎。

 一聖の仲間の陰陽師達も協力してくれたが、以前として娘達の消息は掴めなかった。


 そんな八方塞がりの事態を動かしたのは、頬被りの男を見張っていた式神、鴉の慧紀けいきからの情報だった。


 怪しげな伝言を受けて何処かに出掛けそうだとのこと。

 通りすがりにぶつかってきた冴えない酔っ払いが、男に『惣暗つつくらの境目に、霊に会いに来い』と囁いたらしい。


 要三郎の執務室で、三人で頭を突き合わせて考える。


惣暗つつくらと言ったら真っ暗なことだよな? 朔の夜ってことかな?」

「そうですね。でも、次の朔までは間があり過ぎますね」

「確かに。うーん、境目って何処かもわからないし」

 

 一聖の言葉に清瀬の混乱が深まる。


「多分ですが、日付の境目と言う意味だと思います」 

「なるほど! つまり日付の変わる時。真夜中、零時ってことだな」

弓張月ゆみはりつきの頃は、真夜中に西に沈みますので、惣暗つつくらになりますしね」

「おお、流石旦那様!」


 清瀬の瞳が輝いた。


「じゃあ『霊に会う』ってのはどういう意味だ? もしかしてあの白い霊のことかな? あの男、何か知っていそうだったし」

「清瀬もそう思ったんですね。以心伝心ですね」


 夫婦仲良く頷き合う様を冷めた目で見つめながら、要三郎はカチリと眼鏡を上げた。


「時間がありませんので夫婦漫才は一先ず置いておいて、解読を急ぎましょう」

「夫婦漫才って。相変わらず要三郎の毒舌も冴え渡っているね」


 一聖のため息を華麗にスルーして先を続ける。


「伝言には最低限、時と場所の情報が必要です。前半を時、後半を場所と考えれば『つつくらの境目』は時、『霊に会う』は場所と考えることが妥当ですね」

「おお、要三郎も上弦の月の真夜中、つまり今夜だと思っているんだね」


 にやりとした一聖。『どうせもう分かっているんだろう。勿体ぶらずに早く言え』と言外に圧をかけるも、要三郎の語り口は変わらない。


「恐らく、待ち合わせ場所の隠語でしょう。彼はただの人足では無く船を操れるようですからね。闇に紛れて船を出すかもしれませんね」


「船を出されたら終わりですね。慧紀や泡影なら付いていかれますが、私たちでは追いつけない。だから先回りしたいですね」


「言葉通りであれば、霊岸島、霊岸橋」

「お! それなら例の水底と目と鼻の先ですね。でも亀島河岸の土蔵群も式神たちが確認済みですよ」

 

 この二日間、式神に意識を集中し続けていたため、流石に疲れた様子の一聖が眠そうに目を瞑りながらボヤく。


「あの辺りは元々武家屋敷が多かったところです。今は政府が召し上げて再開発を進めていますが、一気に全てが変わるわけではありません。人気が消え、打ち捨てられた屋敷と土蔵が残されています。そこへ勝手に入り込んでいる輩もいるかと」

「それだ! 流石、要三郎。個人の土蔵は盲点でしたね」

「要三郎殿の推理力は凄いな!」


 二人の真っ直ぐな賞賛にも眉一つ動かさずに続ける要三郎。


「屋敷神が祀られているところもありますし」

「呼び水もあるということですね」

「呼び水?」

「幽世と繋がりやすいと言う事だよ。清瀬」


 ふと小梅を思い出して、ぎゅっと握りしめた清瀬の拳を一聖が包み込んだ。


「要三郎、引き続きの式神偵察と菱沼様へ応援要請を。狐太郎と緋呂巳にも霊岸橋へ向かってもらいましょう。清瀬、我々も急ぎますよ」


 今夜こそ、行方不明の娘たちを助けられるように!

 

 祈るような気持ちで、清瀬も走り出した。



 


 



 

 

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