第22話 繋がる糸

「本当にそれだけ? 呪い殺したり、食い殺したりしてないの? 鬼女のクセに」


 緋呂巳が胡散臭そうに問い詰める。


「お前の死に方は娘達の生死に掛かっている。苦しみたくなければ今直ぐここへ連れて来い」


 畳みかけるように問い詰める狐太郎の尾が茨の棘と化し、鬼女の体をぐるぐると取り巻いた。徐々にその輪を縮めていく。


「だから、そんなこと怖くてできないんだってば! 本当に直ぐに帰したんだよ。信じてよ!」


 必死に弁明する鬼女の言葉に嘘は感じられなかった。


「おっかしいわね。あんたみたいな気弱な女、普通なら鬼女になんかなれるわけが無いのよ。もっともっーとどず黒い怨念を持っていないとね。よっぽど死に場所が悪かったんじゃ無いの」


 小馬鹿にしたように言い捨てた緋呂巳。


 その言葉に、「「あっ」」と声をあげた清瀬と一聖は顔を見合わせて頷き合った。


「小梅殿、そなたは溺れて死んだと言ったな。もしかして、鎧橋の近くでたくさんの白い手に引き込まれたのではないか?」

「真っ暗だったから、どこだったかなんてわからないよ。夢中で飛び出したし」

「では、あなたが亡くなったのは一月ひとつきほど前の事ではありませんか?」

「そうだよ。それが何か?」


 二人で勢いこんで確認して、河童の草流そうりゅうが話していたのはこの女性だったのだと確信した。


 死んだ場所には、無数の怨念が揺らめいていた。彼女たちは格好の獲物を見つけ、己の無念を晴らす手伝いをさせようとしたに違いない。


 と言うことは……今回の事件の中に、彼女達が伝えたかった何かが隠されているのかもしれない。


 一聖が丁寧に質問を重ねていく。


「あなたが海に飛び込んだのは、人買いから逃れるためでしたね?」

「そうだよ。異国なんて怖くて怖くて」

「同じ船には何人も女性が乗っていたのではないですか?」

「ああ、七、八人は乗っていたよ。みんな私みたいな貧しい女ばかりさ」


 清瀬の中で糸が繋がり始めた。


「旦那様、あの白い手の怨霊たちは、異国へ売られて行った娘たちの怨霊なのでは?」

「清瀬もそう思いましたか。だとしたら、数が多い事も、生霊が混ざっていることも納得がいきますね」


 人身売買。明治政府は法によって明確に禁止している。

 だが、いつの世も必ず抜け道があり、その道でしか生きていかれない貧しい者達がいるのもまた真実だった。


 自分の意志とは関係なく異国へ売られた者たち。

 命の危険に晒されながら海を渡り想像を絶する苦労をしたのだろう。

 その多くは、二度と故郷の土を踏めなかったに違いない。


 あの水底には、どれほどの思いが遺されているのだろう……


 言いしれない怒りと無力感が綯い交ぜになって、清瀬は拳をぎゅっと握りしめた。

 

 そんな彼女達が鬼女を使って伝えたかったことは?

 恨み? 憎しみ? 怒り?

 裕福な女たちを自分達と同じ地獄へ引きずり込むこと?


 違う!


 ただ、自分達の悲しみを知って欲しいだけだ。


 でも、その手段としてなら……


「旦那様! 行方不明の女性たち、もしかしたら異国へ売られてしまうかもしれない」


 青ざめた清瀬の言葉に一聖が深く頷いた。


「確かに、水底の怨念が小梅さんをつき動かしていたとしたら……でも、どうやって?」


 その時、ギャーという鬼女の叫びが響き渡った。

 狐太郎が鋭い茨の棘をその肌へと食い込ませたのだ。


「そういうことか! 自分と同じ不幸を味合わせようと、娘たちを人買いの元へ送り込んだんだな」


「そんなことしてないよ! だいたい、あたしは目隠しされて人買いの顔なんか見てないし」

「顔なんぞ知らなくても、己が囚われていた場所と幽世を繋げば済むだけのこと。お前にとっては造作もないことだろう!」

「そんなこと、思い付きもしなかったんだよぉ」


 痛みと恐怖で泣き続ける鬼女を容赦なく攻め上げる狐太郎に、一聖が割って入った。


「小梅さん、船に乗せられる前に居た場所のこと、何でもいいので思い出してみてください」


 縋るように目を向けた鬼女がしゃくりあげながら言う。


「……長屋へ押し入ってきた男たちに直ぐ目隠しされて、ひっく。細長い階段を登らされて屋根裏みたいなところへ押し込まれて、ひっく。多分……蔵。あたしたちは荷物と同じだから、ひっく」

「そこに居た人たちと一緒に、船に乗せられたということですね」

「うん」

「あなたがそこに居たのは何日くらいかわかりますか?」

「よくわかんない、ひっく。ああ、十日もここに居るって文句言ってた女がいた。ひもじかったし、暑くて寒くて最悪だったよ」


 その時、鬼女の表情が一変した。それまでの弱々しい女の顔から、理不尽に耐え兼ねてこの世を恨んだ般若の面へ。


「あたしじゃない! あたしはちゃんと帰した! あたしのせいじゃ無い!」

「なにをぬけぬけと。そもそもお前が神隠しなんかするから」

「どうせ駆け落ちしたんだろう! 好いた男とさ! 縁結び様々だね」


 その言葉に、今度は狐太郎の顔が強張った。


 豊島稲荷は縁結び神社。

 翡翠と琥珀は真っ直ぐな心で、一生懸命縁を繋ぎ続けている。

 その縁が、娘たちの身を危うくしたとすれば……


「くそっ!」


 喉元に抑え込まれた咆哮が、静かに辺りの空気を震わせた。


「消えた娘は全部で四人です。中には駆け落ちした娘もいるかもしれませんが、四人全員が駆け落ちと言い切るには無理がありますね」


 狐太郎の気持ちを慮るように一聖が否を唱える。


「いずれにしろ、人買いの事実を明らかにしなければいけません。今も囚われている女性達がいるはずですから急ぎましょう。小網町の白壁倉庫が怪しいですが……数が多すぎますね。警視庁へ依頼するにはもう少し絞らないと」


 式神偵察の数を増やすよう要三郎に目配せした。

 その時、清瀬が唐突に叫んだ。


「せいじさんだ!」


 みんなの注目に先を続ける。


「今回行方不明になっているのは裕福な娘たちってことは、服も好きなだけ買えるはず。翁州屋の『せいじ』って奴と接点があるんじゃないか!」

「要三郎、翁州屋は最近急速に売上を伸ばしていると言っていましたね」

「ええ。ただ、周りからはやっかみ半分に良からぬ噂もたてられていますね。

元々の地本問屋は仕事が減っているのに、なぜ呉服屋の商売を始められたのかと不思議に思っている者も」

「きな臭い裏稼業の可能性もありますね。早速調べてみましょう」

「じゃあ、これから」 


 走り出そうとする清瀬を、一聖が慌てて押し留めた。


「清瀬、そのまま乗り込むのは得策ではありません。人の世は人の法に則った行動をしなければ。下手に動けば証拠を消されて終わってしまいますからね」


 一聖殿の言葉は正しい。でも……一刻を争う。


 ギリリと歯を食いしばった。


「狐太郎、大丈夫だ。娘たちは絶対に救い出すからな」


 翡翠と琥珀に悲しい思いはさせない!


 言外に溢れ出た思いに、狐太郎の表情が和らいだ。すうっと少年姿に変わると鬼女から離れた。


「緋呂巳、行くぞ」

「え、私? 何処へ?」

「お前ならどこでも忍び込めるだろう」

「もう、人使いが荒いんだから。貸しだからね。か、し!」


 歩き去る背ヘ一聖が尋ねる。


「小梅さんのことは?」

「別に。多分これ以上何も知らないだろう。それに、俺が手を下さずとも……」

「誰も食い殺していない鬼女はその資格を失う。長くは生きられないのよ」


 狐太郎の言葉を引き取り、緋呂巳が容赦なく宣告する。その瞬間、鬼女の体から白い煙が吹き出した。


「あ、あああーーー」

 

 言葉にならない声をあげる小梅の瞳が絶望に染まる。

 素早く笛を構えた一聖が、穏やかな音を響かせた。


「小梅殿、大丈夫だ。今度はきっと……」


 みるみる消えていく小梅に、一聖が急いで「浄!」と唱える。

 煙が僅かに光を帯びてやがて粒となり、さらさらと立ち昇っていった。


「間に合ったのかな?」

「ええ、大丈夫ですよ」


 怨霊と化した魂は、そのままでは奈落に囚われて二度と生まれ変わる事は無い。でも、浄化されれば自由になれる。


 小梅殿。次こそは……

 一つでも笑顔が多い人生になるといいな。


 空を見上げた清瀬の肩にそっと手が添えられた。

 一聖の温もりに、ふわっと目頭が熱くなった。


 

 





 




 









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