第15話 河童の酒盛り

 水音を横に歩みを進めれば、橋の袂にぽわっと淡い光が見えた。

 近づいてみれば浪人風の男が数人。だらしなく気崩した上着、長さの合っていない袴に、月代を残したザンバラ髪、なんともチグハグな風体にも関わらず、酒を飲んで陽気に騒ぎ立てている。


「ああ、今日もやっていますね」

「知り合いか? あんなに騒いでいたら警察官に怒られるだろうに」

「それは無いですよ。視えていませんから」

「……ということは、彼らも妖?」

「河童ですよ」

「河童!」


 よくよく目を凝らして見れば、月代と思っていたところは平べったい皿のようだし、酒瓶を持つ手には水カキがついている。


「おお! 初めて視たぞ。でも、不思議だ。今まで夜の町を歩いていたって、こんなに色んな影のモノたちを視ることはなかったのに」

「それはもちろん、私と夫婦めおとになったからです」


 嬉しそうに『夫婦』という言葉を強調する一聖。


「清瀬の霊力が高まっているからですよ」

「そういうものなのか」

「ええ。そういうものなんです」


 そんな二人に気づいた河童たちが声を掛けてきた。


「あ、華川の旦那。良い晩です」

「良い晩ですね。私たちもお邪魔していいですか?」


 答えも聞かずにさっさと輪の真ん中へ座り込む一聖。


 おいおい! ずうずうし過ぎるだろう!


「大歓迎でさ!」

「ありがとう。ほら、清瀬も早くここへ座りなさい」


 清瀬の心配は杞憂に終わり、河童たちも嬉しそうに席を譲ってくれた。

 

「そう言えば、華川の旦那。結婚されたってききやしたぜ。おめでとうさんです」

「「「「おめでとうさんです」」」」


 一番年かさに見える河童がそう言って酒瓶を掲げた。仲間も続けて祝いの言葉を述べて盃を掲げる。

 まるでその言葉を待っていたかのように、一聖が満足そうに頷いた。


「うん、そうなんだよ。みんな、ありがとう。紹介しよう。私の伴侶となった清瀬だ。これからよろしく頼むよ」

「清瀬です。よろしくお願いいたします」


 促されて頭を下げた清瀬を、目を丸くして見つめる黄色い瞳が十ほど。


「華川の旦那。つかぬことを伺いやすが……男と結婚なすったんで?」

「いいや。清瀬は正真正銘女性だよ」

「これは……失礼しやした。あっしらの思い込みのようで。こちらの世では、羽織袴姿は男の恰好だとばかり思っておりやした。そんなわけで、あっしらも川で拾ったこんな格好をして、こちらの世を楽しんでいたわけでして。清瀬の奥様。どうぞ、愚かなあっしらを許してくだせえ」


 丁寧に頭を下げられて、清瀬のほうが慌てた。


「いや、いや、謝る必要などありません。みなさんが思っているとおり、羽織袴はこちらの世の男の恰好です。でも、私はこの格好に慣れているものだから……それに、夜はことさらこの格好の方が都合が良くて……」

「これはね、清瀬の仕事着なんだよ。夜の警邏にはこちらの方が動きやすいからね」


 一聖がそう言って助け船を出してくる。


「おお、そうでやんしたか! 流石、華川の旦那の奥様。その気概、アッパレでやんす!」


 河童のみんなにきらきらした目で見つめられて、清瀬はちょっと尻がむずがゆくなった。一方の一聖はなぜか自慢げだ。


「そうだろう。アッパレな嫁なんだ。これから一緒に来ることが多くなると思うからね。清瀬のこともよろしく頼むよ」

「あいわかりやした! あっしの名は河童の泡影ほうえい。この辺りの若いやつらを束ねていやす。以後お見知りおきください」

「こちらこそ若輩者ですが、ご指南のほどよろしくお願いいたします」


 泡影と名乗ったかしららしき河童に、清瀬も礼を尽くして挨拶した。


 続けて「よろしくおねげえします」とぺこりぺこりと頭を下げてくる若い河童たち。その一人一人にも応えて頭を下げた。


 案外、素直で優しい連中なんだな、河童ってやつは。


 ひとしきり挨拶を交わしたところで、一聖が何気ない調子で尋ねる。


「ところで、最近はどうだい? なんか変わったことはあるかい?」

「旦那ぁ、そんなに心配しなくたって大丈夫ですって。もう悪戯で誰かを川へ引きずり込むなんてことはやってねえですよ。寧ろ助けて回っているくらいで」

「泡影、分っていますよ、みなさんの活躍は。ありがとうございます」


 一聖が丁寧に頭を下げたので、清瀬も急いで頭を下げた。

 気をよくした泡影が、周りのみんなに色々聞き出し始める。


 もともと江戸の町は水の都。川や水路が網の目のように張り巡らされていて、人や物が行き来し発展を遂げてきた。それを今に引き継ぐ東京もしかり。

 つまり、その水路を人知れず縦横無尽に動き回れる河童は、この地の敏腕情報屋でもあったのだ。


 みな口々に話し出す。魚の取れ具合と水温の変化。護岸工事の様子や、川べりの店の栄枯盛衰。落とし物の話から橋の上の痴話げんかまで。


 その時、若い河童の一人がぽつりとつぶやいた。


「そういやぁ……」


 いいさして慌てて口ごもる。泡影に「言ってみろ」と促されて、もごもごと話し出した。 


一月ひとつきほど前のことでさぁ。どうしても助けられなかった女がいやした」

「お前……そういう人の生き死に関することは直ぐに教えろっていつも言っているだろう」


 予想どおりに怒られて、肩を落とす若モノ。


「だって、すんげえおっかなくて……」

「おっかねぇって、何が? 俺様がか?」

「違いますよ。たくさんの手が怖くて怖くて……」

「手? いいから全部話してみろ」

 

 身を乗り出した泡影に、観念したように先を続けた。


「ここから五つほど海寄りの河岸かしでのことでさぁ。あの辺りは異国とのやりとりが盛んなようで、たいそう賑わっておりやす。で、最近は夜でも時々舟が出ていやして」

「夜、ですか」

「へい」


 途中で一聖も会話に割り込む。


「小さいけれど屋根がついた舟だったんですけどね。そこから女が一人ころげ落ちたんでさぁ。で、おいらは颯爽と助けに行ったんですけど……」


 そこでぶるりと体を震わせた。


「水底から無数の手が見えたんでさぁ。白くて細くて。その手が、あっという間に女を引きずり込んでいって。そりゃあ、もう恐ろしい勢いで。近づいたらおいらも引きずり込まれちまうと思って、慌てて離れたんでさぁ」


 自らの体をぎゅっと抱きしめたが、それでも震えが止まらない様子。


「怖ろしい思いをしたんですね。話してくれてありがとうございます」


 一聖の労いの言葉にほっと安堵の表情を浮かべた若モノが、窺うように泡影を見やる。何かを考えているような泡影。ふと顔をあげると真剣な顔で言った。


「お前が無事で良かった。確かに、尋常な場所ではねぇようだな。調べてみたほうが良さそうだ」

「へえ。でも……」


 心配そうな彼を励ますように、泡影がにかっと笑う。


「なぁに、昼間なら邪気も弱まるだろうし、華川の旦那に手伝ってもらえばちょちょいのちょいさ。お前らがこれからも安心して通れるようにしておかねぇとな」


 そう言いつつも、一聖へ厳しい表情を向け囁く。


「だいぶ恨みつらみが溜まっているようですぜ。旦那。気を付けたほうが良さそうだ」

「そうですね。明日調べてみましょう」


 落ち合う時間と場所を決めてその場を後にした。


 


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