第7話 鬼の目にも涙
辺りが暗くなった頃、宴は幕を閉じた。一人一人に御礼を述べて送り出してから、帰り支度を始めていた龍成を無理やり座敷へと引き戻す。
訝し気な龍成の前に座ると、一聖が指先を綺麗にそろえて深々と頭を下げた。
「雪村龍成様。これより、
「丁寧なご挨拶、いたみいる」
「それから……清瀬さんに心刀雪花流の奥義を伝授してくださり、誠にありがとうございました。目に入れても痛くないほどかわいがられている娘を厳しく鍛えられた御義父上のご心情は、私のような若輩者では想像もできません。ですが、そのご慧眼に深く感謝申し上げます」
驚いたように目を見開いた龍成。
「婿殿……」
喉を詰まらせ、目元に手をやる。
「どうか、清瀬のこと、よろしくお願いいたします」
そう言うと額を畳にすりつけた。
横で一部始終を見ていた清瀬。一聖の言葉に戸惑う。
この男、何を言い出すかと思えば……
だがその言の葉が、清瀬のわだかまりを彼方へと押し流していくのを感じた。
何のために耐えているのか、問いかけることすらできずにただただ歯を食いしばって耐えた日々。女の
それにも拘らず、ある日突然女として生きろと言われ、今までの生き方を全否定された気がして傷ついた心。
これまで流した汗も、涙も、七転八倒した痛みも。
全てを、彼は丸ごと受け止めて、認めてくれているんだ―――
清瀬の心に淡雪のように溶けだす安堵と喜び。
一聖殿、ありがとう……
そして、鬼の目に浮かぶ涙に父の苦悩を知る。
私を張り飛ばしながら、父も心の中では泣いていたのかもしれない……
そのおかげで、他人とは違う時を過ごさざるおえなかったが、他人とは違う力も手に入れることができたのだ。
憂いの晴れた心に新たな風が吹き込んでくる。清瀬の目に光が宿った。
そうか……だから私だったんだ。
『あなたしかいないと思ったんです。私の花嫁は』
先日の一聖の言葉が、ストンと心に響いた。
華族の屋敷には、下働きの者が多いと思っていた清瀬だったが、一聖が言っていたように華川家はその特殊な能力ゆえに誰でも奉公できるような場所では無かった。影の者達に耐性のある者でなければ、アッと言う間に心身を壊して辞めてしまうからだ。
結局、同じ屋敷内に暮らしているのは、幼い頃から一聖の世話をしてきた乳母の女性と、執事として内外のことを取り仕切っている一聖の従兄だけ。他に交代で屋敷を警備している男衆が数人いるようだった。
「
白髪をきりりと結い上げた上品な面立ち。清瀬の支度を手伝いながら、千登勢は嬉しそうに話す。
「一聖坊ちゃまの幸せそうなお顔を見ることができて、本当に嬉しゅうございました。それもそのはずでございますね。こんなに可愛らしい奥様を迎えられたのですから」
「か、可愛い……」
一瞬思考停止に陥ったが、必死で立て直して笑みを張り付ける。
「あ、ありがとうございます。あの、千登勢さん、奥様なんて言われるとむずがゆくなるので、清瀬と呼んでいただけませんか?」
なるべく優し気な声音で願い出るも、
「とんでもございません。坊ちゃんの奥様ですから。奥様とお呼びしなくては」
と、きらきらした曇りの無い瞳で見つめられてしまい、それ以上言えなかった。
なんて、優しい眼差し。
一聖殿のことを心から慈しんで育ててきたのだろう。そして、嫁となった私の事も大切に思ってくれている。
母が生きていたらこんな感じかもしれないな。
鎧でガチガチだった清瀬の心に、少しずつ温もりが侵入してくる。今までは修行の邪魔としか思えなかったそれを、今は静かに受け止められるような気がした。
「坊ちゃまから、胃に優しいものをと言われていくつか作ってきました。お口に合うといいのですが」
そう言って差し出されたのは卵粥。
「お心遣い、感謝します」
結局、祝言の間、注がれた酒以外口にしていない。それを知る一聖の心配りに、またほうっと心が温かくなる。
変態だけど、中身はいい奴だったな。
そんな男を、これから伴侶として支えていく人生は、悪く無いなと思えた。
卵粥は、ほんのり甘くてしょっぱくて、身も心も癒される。
「美味しい……」
「それはようございました」
嬉しそうに笑った千登勢に、ふと疑問を投げかけた。
「あの、千登勢さんも何か霊力のようなものをお持ちなんですか?」
「いいえ。私は何の力も持っておりません」
「そうなんですか……怖くは無いんですか? その、あやかしとか」
その言葉にふっと眼差しを曇らせた千登勢が、居住まいを正して清瀬に頭を下げた。
「華川家は、代々あやかしと対峙してきた家柄で、坊ちゃまもそのお力をお持ちです。そのせいで、幼い頃から色々とお辛い思いをされてきました。それを、この千登勢はずっと見て参りました。でも、本当はとてもお優しい方なのです。そして、お寂しい方です。奥様。私が申し上げるのは差し出がましいことと重々承知しております。だから、お怒りを覚悟で申し上げます。どうぞ、一聖坊ちゃんのこと、よろしくお願いいたします」
清瀬は思わず千登勢の手を取った。
「千登勢さん、その気持ち、しかと受け取りました。安心してください。あなたを失望させないとお約束します」
あれ? 普通の女性はこんな言い方しないのかな?
勢い込んで言った言葉に嘘はないが、ちょっと気障な言葉だったなと焦る。そんな清瀬の思いに頓着なく、感激したように目を潤ませた千登勢。
「ああ、やっぱり、坊ちゃんの選ばれた方に間違いはありませんでしたね。奥様。ありがとうございます」
泣き笑いの千登勢を抱え込み、その背を撫でた。小さい背が嗚咽に揺れている。
こんなに思われて、一聖殿も良かったな。
しばらくして落ち着くと、千登勢は膳の続きを勧めてきた。
「はまぐりのお汁もどうぞ。今日はとびきりめでたい日ですからね」
千登勢の料理はどれも美味しくて、枯れ果てた体が潤っていく。
「千登勢さん、よろしければ、私に料理を教えていただけないでしょうか? 今までも一通りのことはやってきましたが、何分母が早くに亡くなって教えてもらえる人がいませんでした。我流の料理では一聖様のお口に合わないのではないかと思いまして」
「まあ……奥様が自らお料理をなんて。一聖お坊ちゃまは幸せ者ですね。普段のお食事は私がご用意しますので、どうぞお気遣い無くお過ごしくださいませ。でも、もし、奥様がお料理をしたいと思われた時は、いつでも声を掛けてくださいましね」
快く引き受けてくれてほっとする。そんな千登勢に、再度確かめてみた。
「千登勢さんはこの家であやかしに遭遇した時、どのように対処されているのですか?」
きょとんとした顔になる千登勢。
「私の身を心配してくださっているのですね。奥様はほんにお優しい」
嬉しそうに微笑むと、ちょっと恥ずかしそうに言った。
「私の場合はまるっきり反対なんです。何にも見えない。何も聞こえない。だから怖くないんです。きっとあやかしの皆さんも、驚かしても反応しないような人間は面白くないんだと思いますよ。私には何にも仕掛けてきませんから。だから大丈夫です」
最強だ! 千登勢さん、実は最強だった!
清瀬の手元から箸が転げ落ちた。
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