第8話 初夜

 己の全てを掛けて身につけた心刀雪花流の奥義。

 この力を使って、影の者と対峙する一聖を全力で支える―――その覚悟は固めた。


 だが……これとそれは別だ!


 淡い桃色の寝間着に着替えさせられた清瀬。千登勢に導かれて案内された先には二つの寝具が並ぶ部屋。


 う……


 頭ではわかっている。夫婦とは、あんなことやそんなことをする間柄になること。


 だが、今まで男として過ごしてきた清瀬にとって、こんな世界は一生縁が無いと思っていた。何の知識も覚悟も無い。誰かに聞きたくても、周りに居たのは父親の龍成と道場の弟子たち。

 つまり、みんな男。


 誰に聞けって言うんだ。誰にも聞けるわけがない!


 緊張で青白い顔の清瀬を待っていたのは、布団の横で礼儀正しく正座している一聖。


「それでは、ごゆるりとおやすみくださいませ」


 千登勢が心の底から嬉しそうな笑みを浮かべて去っていった。


 そんなに期待されても……ゴクリ。

 一体この先どうしろと?


 とりあえず、一聖の目の前に座って頭を下げるも最初からやらかした。慣れない言葉に舌を噛む。


「あの、だ、イタっ」


 それを聞いた途端クツクツといつものように笑い始める一聖。面白がっているのが丸わかりだ。

 

 また馬鹿にして。

 よし、こうなったら、私だってやればできるというところを見せつけてやる!


 ぐっと丹田に力を入れて緊張を払い除けた。


「コホン。旦那様、不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします」


 ふふん。どうだ! 

 果たし合いの前口上と思えばこれしきのこと……


「おお、旦那様と。いい響きですね。もう一度言ってみてもらえませんか」


 にやにやとこちらを見ながら、余裕を見せる一聖。


 もう……一度だと。そうきたか。ふっ、望むところだ。


「旦那様。さぞ御疲れになったことでしょう。今宵はこれにておやすみくださいませ。私が横で風を送っていますゆえ」


 そう言って、寝間着の袖をゆらゆらと左右に動かし始める。

 一瞬あっけにとられたような顔になった一聖。またクツクツと笑い始めた。


「我が奥さんは何をそんなに恐れているのかな?」

「べ、別に恐れてなど」

「暗黒の妖怪にも恐れを見せない剣士が、夜の作法で狼狽えるとは」

「な! 別に狼狽えてなど」

「そうですか。では」


 その言葉と共に、布団の上へと引き倒された清瀬。間髪入れず抱きしめられ、そのまま布団の中へと引きずり込まれてしまう。

 突然のことに頭が真っ白になってしまった。細身の男と少々侮っていた一聖。だが思いのほか力が強く身動きがとれない。


 あ……一体どうすれば……


 一聖の白い寝間着の襟元が乱れて、清瀬の頬が直接胸板に当たっていた。彼が息をするたびに大きく動き、肌の温もりが伝わってくる。それに気づいた途端、全てが吹っ飛んだ。

 心臓バクバク、顔面発熱、恥ずかしさにいたたまれなくなって、せめて気配を消そうと息を止めた。


「お、おい! 大丈夫か!」


 慌てたような一聖が身を離して隙間を作る。


「ちゃんと息をしろ!」


 ぷはぁ―――


 真っ赤な顔のまま開けた口に、新鮮な空気が入ってきた。貪るように吸い込む。


 何をやっているのだろう、私は……


 情けなくなってしゅんとする清瀬。


「まったく、貴方という人は」


 そう言って安堵の溜息をついた一聖。今度は慈しむような笑みを浮かべながら、落ち着かせるように背をトントンと叩き始めた。その規則的な振動が思いがけず心地良い。しばらく、二人でそのままの姿勢で過ごす。


 清瀬がなんとか落ち着きを取り戻した頃、見計らったように一聖が口を開いた。


「これから大切な事をお話します。このままの姿勢で良いので、私の言葉にだけ耳を傾けてください」


 真剣な声に一気に冷静さを取り戻した清瀬。おずおずと顔を上げて一聖を見た。

 いつになく固い表情をしている。


「此の世には、私達の目に映っている表の世界と、見えない裏の世界が存在しています。同じ今、この時を共有していながら、全然違って見える世界。あやかしや妖怪、霊などは、その裏の世界の生き物たちです。普段はそれぞれ不可侵の領域で、別々の世界で生きているのです」


 真剣に聞き入る清瀬の目を真っ直ぐに見つめ返しながら続けた。


「その領域が互いに侵されないように見守っているのが、私達、陰陽師の本来の役目です。でも、まあ、どんな世界にも好奇心旺盛で、知らない世界を覗いて見たくなる輩がいるものです。時々、見学に来るモノもいるんです」


 そう言って、ふわりと笑った。


「相手の事を知りたいという気持ちは無用な不安や争いを起こさないために大切なことだと思います。だから私は、そんな輩とは仲良くして情報交換しています。でも」


 瞳に陰が落ちる。


「相手の領域を犯そうとしてくるモノ、相手を傷つけようとしてくるモノもいます。そんな時は躊躇なく戦います。先日の顔合わせの時、私はあなたに言いましたね。心配せずに私に全てを預けてくださいと、決して悪いようにはしないと。ですが、その約束は守れそうもないと気づきました。私の傍に居れば、否応なく危険に晒されてしまう。そして、私はあなたを守ってあげられるとは限らない」


 苦し気な表情になった一聖が、起き上がって膝を正した。清瀬も共に起き上がり布団の上で向き合う。


「申し訳ない。あなたを危険に巻き込んでしまった。でも……それでも、貴方に私の隣に居て欲しいと思ってしまったんだ。私を助けて欲しいと。共に戦って欲しいと」


 漆黒の双眸に見つめられて、清瀬の中で想いが弾けた。


 この人の役に立ちたい!


「何を謝ることがある? 旦那様は私の剣さばきに惚れ込んで結婚を申し込んだのだろう? それは私の望みでもある。もっともっと強くなって悪い奴らをこの心刀でぶった切ってやるから、大舟に乗った気持ちでいればいいさ」


 そう言って胸をどんと叩いた。


「ぶっ」


 しんみりとした空気が一変する。先ほどまで深刻な眼差しで語っていた一聖が笑い出した。


「失礼。ぶははは」

「な、何を笑っている。相変わらず失礼なヤツだな」

「すまない。ありがとう。嬉しかったよ」


 大声で笑いながら、目尻を一拭きした一聖が続けた。


「清瀬ならそう言ってくれると思っていたんだ。これから、よろしく頼む」

「おう、まかせとけ!」


 その言葉に、更に笑い出す一聖。


「全く、何がそんなにおかしいんだよ」

「アッと言う間に化けの皮が剥がれたと思って」

「え……あ!」


 しまった! 女性らしい言葉づかいが……くそっ。上手くやれると思っていたのに。


 がっくりと肩を落とした清瀬は再び布団の中に引きずり込まれた。


「あ、こら、やめろ」

「なんで止めないといけないのかな? 私たちはもう夫婦なのだから当たり前ですよね」

「う……」


 折角落ち着いた気持ちが再び乱降下を始める。なんとか抜け出そうと藻掻くもやはりびくともしない。

 

 この私が負けるだと? あり得ない……


「清瀬は温かいな……」


 その時、ぽつりと一聖がつぶやいた。


「安心する温もりだな」

「……」


 動きを止めて上目遣いに見やれば、穏やかな顔で目を瞑っている。


 そんなことを言われたら……殴るわけにもいかないじゃないか。


 大人しくなった清瀬に安堵したように、その手をちょっと緩めると静かな寝息をたて始めた。


 えっ! 寝ちゃったのか?


 再び固まる体を持て余す。


 なんだよ。自分だけ気持ち良さそうに!

 でも……


 子どものように安心した寝顔を見せられて、清瀬の心にぽっと灯る温かな光。


 もう……やっぱり憎めない奴だな。こんな寝顔を見せられたら拒めないだろ。


 そっと寄り添えば一聖の温もりが伝わってきた。


 あったかい―――


 いつの間にか、眠りの世界へと誘われていた。


 

 

 

 

 

 



 


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