第6話 祝言
縁談話はこれ以上ないくらい順調に進み、あれよあれよという間に婚礼の儀当日。
白無垢に身を包んだ清瀬は、そのあまりの窮屈さに気絶しそうになっていた。
くっ! まるで簀巻きにされたような気分だ。これじゃまともに歩くどころか、息も吸えない。
その時、障子の向こうから龍成が声をかけてきた。
「清瀬。準備は整ったか?」
「はい」
「……開けても……良いか? 少し話をしたいのだが」
「私も……父上に申し上げたいことがございますので」
すっと音もなく開かれた障子から、気配少なく歩み寄る龍成。紋付袴姿でも、道場での稽古と変わらない滑らかな足さばきだった。
清瀬の目の前に座るとじいっと見つめてくる。いぶし銀の瞳に今日はいつもの鋭さがなく、湿り気を帯びているように見えた。
「母さんにそっくりだな」
珍しく感傷的な言葉。微かに滲む後悔の念、懺悔の念を感じ取って、清瀬は複雑な気持ちになる。
「母さんは綺麗だったから全然似て無いよ。でも……そう言ってもらえて嬉しいです」
そう答えつつも、清瀬は母の顔をあまり覚えていなかった。幼い頃に亡くなった。事故に巻き込まれた。そう聞いていたし、そう思っていた。母と一緒にその場に居た微かな記憶はあるのだが、それ以上を思い出そうとすると靄がかかったようにあやふやになる。
ただ、抱きしめてくれた母の温もりだけは、肌が覚えている―――
そうだ……あの後からだ。父が私を男として育て始めたのは。
思い出したぞ!
男手一つで育てるのは、さぞ大変だっただろうと今なら思える。無骨な父の唯一の愛情表現が、自分の持ちうる奥義を教えることだったのかもしれない。
だがそれは、清瀬にとっては重すぎる愛情だった。厳しい稽古は辛くて悲しくて。それでも弱音を吐くことを禁じられた。どんな時も毅然と、目の前の敵がどんなに大きくても対峙できる胆力を身に着けるために、血を吐くような鍛練を課された。
それなのに、今度は女として生きろと言う。
勝手過ぎると腹がたった。父を憎いと何度も思った。
でも、今は……
心刀使いの第一人者として堂々たる威厳を放ちながらも、寄る年波は隠しきれない。今回の婚姻もまた、父の愛情の表れなのだろうと思った。
「父上。今まで育っててくださりありがとうございました」
心の底からの御礼。三つ指ついて深く頭を下げた。
「清瀬。今までよく辛抱してくれた。お前は立派な心刀使いだ。だが、これからはその刃を潜めよ。ただ唯一、そなたの身を守るためだけに使え。よいな」
刃を潜める……女として生きていけという念押しか……
また心に反発が過ったが、そんな気持ちを抱えたまま別れたくないと思った。歯を食いしばって笑顔に替える。
「はい!」
そんな清瀬を見つめ返す龍成の顔が、初めてクシャリと歪んだ。
「清瀬。お前は私の自慢の娘だ。それは免許皆伝だからではないぞ。強くて優しくて清らかな心を持っているからだ。己の素晴らしさを、決して忘れるなよ」
「父上……」
恥ずかしそうに逸らされた目。
龍成の父親らしい顔を初めて見ることができたので、もう、充分だと清瀬は思った。
華川家で行われた祝言は、想像していたのとは違い少ない出席者のみの厳かな式だった。仲人を勤めたのは大警視ご夫妻。現政権中枢を支えるお偉方も何人かは来ているようだが、華川家側の親族も少なく、清瀬側は父親の龍成のみ。
我が家に合わせてくれたのかな?
格式ある華族の婚礼と言ったら、もっと派手なのかと思っていたが。
潜めるようにほっと溜息をつけば、横の一聖がふっと笑った。
「今日は見違えるようですね。世の人々に自慢したい気分ですよ。我が花嫁はこんなに美しい
本音なのか嫌味なのか、いまいちわからない表情に、カチンときた清瀬。
いつもの強気な視線で睨み返す。
また、クツクツと笑う一聖。
「そう、その目ですよ。それでこそ清瀬さんだ」
やっぱり腹がたつな。この変態男。しかも、さらりと名前で呼んできやがった。
これからは夫婦として過ごすことになる。でも、なんとかして一泡ふかせてやらねば。
そう思ったら、先ほどまでの緊張が吹っ飛んだ。
あれ? なんか気が楽になったぞ。
これが彼の狙い……なんてことは無いよな。
そっと横顔を盗み見る。
きめ細やかな白い肌。筋の通った鼻と柔らかく結ばれた唇。この口から影の者たちを調伏する言の葉が発せられるのだと思えば、少し不思議な気持ちになる。普段はふざけたことばかり言っている男だが、実は強力な霊力の持ち主なのだ。
いつもは無造作に結んだだけの長髪を、今日は高い位置で結い上げている。黒紋付の羽織袴がりりしく、流れるような所作は優雅。不覚にも見とれてしまった。目ざとく気づいて嬉しそうに笑い返してきた一聖。
う……悔しい。
三々九度を交わした後は、滋味豊かな膳が用意されており穏やかな談笑の時間となった。無骨な父親が心配でちらりと視線を向けてみれば、皆に話しかけれらてまんざらでもない様子。ほっとした途端、ぐうっとお腹が鳴った。
ま、まずい! こんな
だが、花嫁がパクパクと食べるわけにはいかない。黙って俯けば頬が妙に熱いことに気づいた。
すきっぱらに流し込んだ酒のせいだな。
「もう少しだけ辛抱してください」
お客からの酌が一段落したところで、横からひそひそと一聖が囁いた。
「べ、別にこれしきのこと。何の問題もありません」
なるべく無表情を装って答えたつもりだったが、かちりと嵌り合った眼差しに囚われてしまった。酒のせいか恥じらいのせいか。熱で潤む目元。
「いいですね。そんな色っぽい目で見られたら私の我慢が限界を越えそうです」
「な!」
くそっ! その余裕顔、むかつく!
だが次の瞬間、一聖が真顔になった。
「後で御父上に二人でご挨拶しましょう」
全く、ふざけたり真面目になったり、忙しい奴だな。
でも……憎めない奴だ。
何故かとても清々しい気分になれたのだった。
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