第4話 顔合わせ
この時代、家長の言うことは絶対であった。
清瀬は嫌々ながらも、おとなしく顔合わせの席へと向かうしかない。
この日のために用意された振袖は、鮮やかな蝶や花が描かれた豪華な物だった。
下町道場の娘ごときが、なぜこんな豪華な着物を着ているかと言えば、婚約相手がたいそう身分の高い人だったからだ。
由緒正しき公家の血筋。華族として新しい御代を支えている
端から見れば大出世である。市井の貧乏道場の娘と華族の令息。こんな身分違いな結婚がよく許されたものだと驚く。
だが、当主自らの指名であったと言うのだから更に摩訶不思議なことだと思った。
華川家は二年前に前当主が亡くなり、年若き令息がその後を継いでいる。
つまり、当主である一聖自身が清瀬を指名したのだ。
なぜ、私だったのだろうか?
窮屈な着物姿と緊張で、朝から白湯しか飲めなかった。こんなことは初めてである。いつもの大股歩きは出来ないので、ちまちまと歩くのは気が遠くなりそうだ。
そして、言葉遣いにも気をつけなければいけない。男言葉では無く、柔らかく丁寧な女性らしい言葉遣いで。
ただでさえ慣れないことばかりなのに、華族様との顔合わせ。
気が重い。
いや……違う。ここで失態を晒せば、この縁談は無かったことになるはず。
清瀬は心の中でほくそ笑む。
だが次の瞬間、冷や水を浴びたような気分になった。
だめだ。ここで破談になったら、大警視の菱沼様の顔に泥を塗ることになる。
我が道場と警察との繋がりも破談になってしまうかもしれない。
まずい。それは非常にまずい。今日は絶対にがんばらなくては。
「はぁ」
そう小さくため息をつくと、精神統一をして心を落ち着けようと努めた。
紹介者の菱沼は多忙のため来ないとわかっていても緊張は変わらない。いつも泰然自若、動じない巌のような父親さえも硬い表情をしている。
案内された料亭の広間は沈黙に支配されていた。
「お待たせしました」
滑らかに開かれた襖の向こうから現れたのは、黒い洋装に身を包んだ背の高い細表の男。
柔らかな笑みを浮かべながら挨拶をする男性を上目づかいに見上げた清瀬だったが、余りの緊張で挨拶の言葉が出てこない。横の父親が先に挨拶をしてから、咳払いで催促してきた。
「あ」
裏返った声に、緊張が増す。
「あ、あの、清瀬と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「清瀬さんですね。お会いできて光栄です。華川一聖です。こちらこそよろしくお願いします」
流れるように頭を下げた伯爵は、顔をあげて一瞬吹き出しそうになって慌てて口元を引き締めた。対する清瀬を見やれば、畳みに額を擦り付ける勢いで御辞儀をし続けている。
「顔を上げてください。あなたの美しいお顔を見せてくださいませんか」
「あ、そ、そんな」
思わぬ言葉に腰を抜かしそうに驚いた清瀬は挙動不審となり、アッと言う間に化けの皮が剥がれ落ちた。
う、美しいだと!
「そんなに怯えないでください」
怯えているんじゃない!
その、歯の浮いたような言葉に驚いただけだ。華族の男って奴は、こんな思ってもいないことを白々と
憮然としながら顔を上げてみれば、この世の者とも思えないほど妖艶な美しさを湛えた美貌が直ぐ目の前に。
ん? あれ?
緊張しまくっていた分、ぷつりと切れるのは早かった。清瀬の顔が疑問で歪む。
この顔、どこかで見たことがあるような気がする。えっと、どこでだっけ?
記憶を遡り始めて直ぐに回答に辿り着く。清瀬の瞳が驚きに見開かれる。それを満足そうに見つめる華川伯爵の顔には、いたずらっこのような無邪気な笑み。
「あ、あの、あの時の……」
「こら、清瀬。伯爵様を指差すとはなんと無礼なことを」
父親の龍成が慌てたように清瀬の手を抑える。
「いえ、大丈夫ですよ。お気遣い無く」
そう言いながら清瀬に向かって片目を瞑った仕草が、とても自然で
嘘! 嘘だろ! あの男! なんでこんなところに。
いや違う。なんで彼との縁談なんだ?
知っていてこの縁談を勧めたのか? それとも偶然?
混乱する頭で考えても、何も思い浮かばない。
それを面白そうに眺めながら一聖は言葉を継いだ。
「この度は私の要望を聞き届けてくださりありがとうございました。そして、雪村龍成様にお会いできたこと、大変嬉しく思っております」
途中から表情を引き締めた華川伯爵は、龍成に向かって礼を尽くして感謝を述べた。
「菱沼大警視より、雪村様の剣技の素晴らしさを聞いてから、一度お会いしてみたいと渇望しておりました。どうか私にもご教授いただけないでしょうか」
その言葉に、静かに一聖を見つめる龍成。
「お若いのに、鍛えられているご様子。こちらこそ、お手合わせいただけたら光栄の極みです」
鍛えている?
このひょろ男が?
清瀬は父親の言葉を不思議に思った。だが、一切世辞を言わぬ父が心にもないことを言っているとは思えない。
まあ、この男はあやかしを祓う者だからな。精神的に鍛練しているのは確かだろうし。
きっと父上はそのことをおっしゃったに違いない。
自分の顔合わせの席と言うことも忘れて、自分だったら目の前の男をどう倒すかに思いを馳せ始めた。
いつの間にか並べられた色とりどりの食事に、腹がぐぅと鳴る。
相変わらず帯は苦しかったが、気持ちが吹っ切れたお陰で食欲は戻った。
朝から食べられなかった分を取り返すかのように、パクパクと遠慮なく箸を勧めたのだった。
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