第6話

「なーに、見てんのっ?」



 そんな幻聴が聞こえた。ニュースに目を通していると、一人の少女が私の目に飛び込んでくるような気がした。次の日の図書室は、酷く閑散としていて、何か作業をするにしても静かすぎてやる気が起らない。空っぽになってしまった空間。それが、私にお似合いだと思えば、皮肉のようで少しは面白かったが、しかし笑うことは出来なかった。


 人生とホログラムは似ている。存在すると思うから存在する。本来は空っぽで、意味を与えているのは私たちの認識だからだ。


 思えば、湖濱こはま柚稀ゆずきと私は初めから違う世界に生きていたのかもしれない。いつか一緒に見に行った湖。あの日の湖は、本当に奇麗だった。「また来たいね」。そんなことを語り合った。けれど、お互いに違うものを見ていた。湖は一つではなく、二つ存在した。私の頭のなかの湖と、湖濱こはま柚稀ゆずきの頭のなかの湖だ。そして、私にとっての湖と、湖濱こはま柚稀ゆずきにとっての湖は違うものだった。


 〈ヴィアヴァスタ〉の場合もそうだ。私にとってのそれと、湖濱こはま柚稀ゆずきにとってのそれはまるで違った。私は〈ヴィアヴァスタ〉の統治を受け入れた。けれど、湖濱こはま柚稀ゆずきは敵対することを選んだ。統治の主導権を人間に取り戻せと。けれど、人間が現実世界に関わることで、いい結果を残せたことなんてない。いつだって壁を作るばかりだ。


 いまだって、ほら……



「永遠に超えられない壁が……出来ちゃったじゃん。柚稀ゆずき……」



 当然、静まり返った図書室から返答はない。けれど、きっと彼女なら「蝶花ちょうかだって、〈ヴィアヴァスタ〉教に入ってるくせに」と言ってくれる気がして、苦笑が漏れる。その通りだ。これまで私は、私の信じる物語によって、己が罪を正義に変えて来た。それが、どうしようもなく空っぽだった私にあった唯一の物語。生きるための物語だったからだ。


 だから、〈ヴィアヴァスタ〉は私にとって神様でなければならない。統計データ処理マシーンごときであってはいけない。落川おちかわ夢彩ゆあという名の狂信者に成りきることで、空っぽな私を埋めて来た。……そのはずなのに。


 どうしてこんなにも、湖濱こはま柚稀ゆずきのことが忘られないのだろう?



「〈ヴィアヴァスタ〉……。私の生きる意味って?」



 ふと問いかけてみる。当然、回答には期待していない。私の過去の実績と統計処理されたデータから導かれた解が言い渡されるだけだ。人生相談にも乗ってくれる神様を装ってはいるが、所詮は過去の傾向をまとめたレポート。〈ヴィアヴァスタ〉に未来は存在していない。



泡結あわゆい蝶花ちょうかさまは、極めて優れた情報管理局の局員です。秩序を守るための社会への貢献は、非常に大きなものです。もし自信を失われているのだとしたら、それは杞憂です。あなたは社会から求められる存在であり、今後も情報管理局の局員として活躍されることが期待されています』

「……」

『それとも、次なる任務情報の提供がお望みでしょうか? 情報管理局執行部隊に所属する泡結あわゆい蝶花ちょうかさまには、次の人物の排除が推奨されます――八雲やくも羽月はづき



 人生相談のはずなのに、仕事を押し付けて来るとは、やはりポンコツだ。きっと、〈明星の悪魔使い〉として恐れられている八雲やくも羽月はづきの方が、数段いいアドバイスをくれるに違いない。



「そう言うってことは、場所分かったんだ」

『ベーカリー「ルセロ・デル・アルバ」付近で、怪しげな人物が確認されました。分析の結果、高確率で八雲やくも羽月はづきであると推定されます』



 目撃地点の名前に、「そう」と私は静かに瞳を閉じた。まったく、〈明星の悪魔使い〉も酷いことをするものだ。ベーカリー「ルセロ・デル・アルバ」と名付けられたパン屋。そこは、今度一緒に行こうと湖濱こはま柚稀ゆずきと約束した場所。約束が守れなかったことに対する当てつけのつもりなのだろうか。それとも、約束を守れなかった罰を下す執行者のつもりだろうか。




 *****




 その夜、私はベーカリー「ルセロ・デル・アルバ」がある付近を巡回していた。さすがに、夜も更けてくると女子高生の姿のままというわけにもいかないため、ホログラムで仮装を施して当局の制服に身を包む。


 やがて、ベーカリーに掲げられていた『De gustibus non est disputandum』と書かれたネオンライトの看板から明かりが落ちる。まったく、『味の問題は議論されてはならないDe gustibus non est disputandum』とはふざけた店だと思う。けれど、湖濱こはま柚稀ゆずきがおいしいと言っていたのだから、きっとおいしいのだろう。



柚稀ゆずき……どうしていてくれないの?」



 彼女の顔がいつまでも消えてくれない。だから、最低な言葉を口にしていた。殺したのは自分だ。そのことは一番私が分かっていた。だから、どうして彼女が反体制思想なんかに犯されてしまったのかを考える。


 私は湖濱こはま柚稀ゆずきのことを幼いころから見て来た。特異被術者モディファイドとして生み出された私は、生れた瞬間から進むべき道は定められていて、けれども周囲と溶け込めるように一般人に成りすまして生きて来た。小学生のころから、隣に座る子はいつか執行対象になるんじゃないかと警戒しながら過ごしてきた。ある意味では、全員が敵に見えていた。


 なかでも湖濱こはま柚稀ゆずきは昔から危なっかしい子だった。時間にはルーズだし、校則も何回破ったか分からない。〈ヴィアヴァスタ〉の出す答えにいちいち疑問を感じていたし、反体制派の思想に繋がりうるような都市伝説を、面白おかしくクラスじゅうにバラ撒こうとしたこともあった。このままでは、クラスのみんなが執行対象予備軍に認定されるかもしれない。そんな恐怖から、湖濱こはま柚稀ゆずきを要注意人物として認定したのが、関係を築くきっかけだった。


 そうして徐々に打ち解けていった二人。クラスのなかで馴染めるように、明るいキャラを演じていた私の仮面を剥がしてくれたのも彼女だった。






「何かお探しかなぁ? お嬢さん……キヒッ」

「――ッ!?」





 不意に、私は背後から話しかけられた。不気味で奇怪な声。気配はまったくなかった。だからこそ私は、得体の知れない邪悪なものに心臓を撫でられるような感覚に陥った。


 思わずナイフを取り出して後ろを振り返る。


 そこで私の目に飛び込んできたのは、黒ローブを雨合羽あまがっぱのように着た小柄な少女。フードを被り、闇から歯だけを覗かせている。


 怖い……とは思わなかった。

 ただひたすらに気味の悪い存在。


 そして、直感的に目の前の奇怪な存在が何なのかを私は理解した。なぜかは分からない。理由があるのだとすれば、ベーカリー『ルセロ・デル・アルバ』付近で目撃されたという不審者情報。



「あんたが……〈明星の悪魔使い〉?」

「せいか~い……キヒッ……キヒヒヒ……」



 なんだコイツは? こんなのが、レジスタンスを率いているという八雲やくも羽月はづき? まるでイカれた道化師ピエロ。あるいは雑魚妖怪の類だとしか思えなかった。強大な力を持つ〈悪魔〉に人格が乗っ取られているといわんばかりに情緒は不安定で、小刻みに身体を動かしては、薄気味悪い笑みを浮かべている。



「それでぇ? 何やってるのー? 暇なら、遊ぼ? ……キシッ」

「……キモ」

「キェハハハハッ!! そっか、そっか!! そうだよね!! 蝶花ちょーかには、もう遊び相手いないもんねぇ!! キェハハハハハハ!! 自分で、殺しちゃったもんねぇ!!」

「――ッ!!」



 挑発。

 そんなことは分かっていた。


 けれども、私は刃を振るわずにはいられなかった。湖濱こはま柚稀ゆずきのことを言っているのか? だとしたら、どうして知っている? 訊くべきことはあったが、会話が通じる相手とも思えない。だから切裂いた。



「キシッ……ケヒャヒャヒャヒャ!! 効きませーん!! キャハハハハ!!」



 私の攻撃は、ただ空を切るばかりだった。そこで、〈明星の悪魔使い〉の能力が空間を司るものだったことを思い出す。攻撃は当たっているはずなのに、斬った場所に手ごたえは全くない。空間を自在に操り、攻撃をヒラリヒラリとかわしてしまう。


 それから数度、道化師ピエロが躍るかのようにして攻撃を避けると、スっと踵を返して、てってってーと一目散に駆けだした。



「ま、待てッ!!」

「キヒッ……」



 チラリと私の方を振り向く八雲やくも羽月はづき。それは、私がちゃんとついて来ているかの確認だった。私は完全に遊ばれていた。それでも、追わないわけにはいかない。暗い裏路地に逃げ込む黒ローブを、息が切れるのも忘れて追いかける。


 響くのは私と奴の足音だけ。


 タッタッタッターと走っては、チラッと向いて私を確認し「キヒッ」。また、タッタッタッターと走って、止まって「キヒッ」。タッタッタッター、「キヒ」……。



 ただ、どこまでも高まる心音。

 そして、闇を抜けた。






「ハァ……ハァ……ここ、は……?」



 そこは穏やかな橙の灯りに包まれていた。寝静まった暗い夜の街。時代錯誤のナトリウムランプが静寂を照らしている。


 おかしな場所に誘導されたものだと思った。この場所には、小さい頃から何度も来たことがある。


 そこは、湖濱こはま柚稀ゆずきと何度も遊んだ公園だった。









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