第7話

 私と湖濱こはま柚稀ゆずきの決定的な違いは何だったのだろうか。生まれ持った遺伝子? 生まれ育った環境? 何が原因だったかは、もはや知ることができない。けれど、きっと初めから違ったのだ。それが白昼の下にさらされた事件は、湖濱こはま柚稀ゆずきの祖父の死によってもたらされた。


 湖濱こはま柚稀ゆずきは冒険好きの女の子だった。そんな彼女を一番かわいがっていたのが彼女の祖父だった。冒険と称しては、いろんな場所に連れていってくれたと、小さな冒険譚をたくさん話してくれた。



「キェハハハ。殺しちゃったねぇ。蝶花ちょーか柚稀ゆずきを殺しちゃったねぇ? キシシシ……」

「……」

「まるで、みたいだねぇ……キシシシシ」

「――ッ」



 八雲やくも羽月はづきは、ジャングルジムのてっぺんに腰をかけて、足をブラブラさせていた。こう見ると愉快な少女にも見えるが、しかし〈悪魔使い〉であることを示すが如く、フードの奥で猛禽類を思わせる双眸を揺らめかせている。



「……知ったような口を」

「死んじゃった。おじいちゃん、死んじゃった。執刀医が人間だったせいで。ケェハハハハッ!!」



 湖濱こはま柚稀ゆずきの祖父の命を奪ったのは人間だった。致命的な医療ミス。誤診。もし執刀医が機械であったなら、失われることはなかった命だった。


 その話を聞いた時、私は自分の事のように悲しむことになった。あれだけ湖濱こはま柚稀ゆずきが慕っていた存在が殺されたのだ。人間の手によって。同時に、やはり人間が手を加えていいことなどないと確信した。


 だが、当の湖濱こはま柚稀ゆずきはケロリとしていた。人間を嫌うことはしなかった。大切な人の死に対して、「まぁ、人間は誰だって間違えるからね」と笑って見せるのだった。気丈に振る舞っていたのは確かだろう。けれど、私はその心の在り様が理解できなかった。



「どう? 蝶花ちょーか? いまの気持ちは? あの時のお医者さんと一緒だねぇ」

「……そうだね。だから、世界に人間なんていらないんだよ」

「――違うよ」



 その時、知っている声が頭上から注がれた気がした。声を放ったのはもちろん八雲やくも羽月はづき。だが、その声は先ほどまでの奇怪な声などではなく、快活な女の子の声だった。そしてその声は、二度と聞けるはずのない一番大切な女の子の声だった。


 同時に、八雲やくも羽月はづきがレジスタンスを率いる動機も理解してしまう。単に技術発展を受け入れられない連中を集めて、低俗なラッダイト運動がしたいのではない。人間至上主義ヒューマニズムを信じ、〈ヴィアヴァスタ〉がく統治を、人間主導に取り戻そうとしているわけでもない。〈ヴィアヴァスタ〉が吐き出す正解だらけの世のなかで、不正解を許せる人間になりたいだけなのだ。


 小学校のころに、テストに書いてしまう珍回答。それを機械的に×にせずに、コメントを書いてあげられる人になりたいのだ。カラオケで、音程が違うからとかリズムが違うからとかですぐに減点してしまうマシーンなんかじゃない。不正解のなかに無限の可能性を見出しているのだ。


 かつて私と湖濱こはま柚稀ゆずきが湖に行った時、私はその水面に見とれていた。けれども彼女が見ていたのは水面の向こう側だった。この巨大な水の世界の向こう側には何があるのだろうと。彼女が愛していたのは広がる可能性そのもの。正解が1つに定められた瞬間、たちまち可能性は収束してしまう。それは、人間が持つ可能性だけじゃない。正解だらけの閉塞した世界を打破するための可能性を〈ヴィアヴァスタ〉にも見出したのであって、敢えて敵として立ちはだかったのだ。


 そして、それは私に対してもそうだ。



 ――目を醒ましてよ!! 蝶花ちょうか!!



 最期に彼女はそう言った。命乞いじゃない。プログラム通りに粛清しようとする私に対して、可能性を見せて欲しくて言った言葉だったのだ。人生はホログラムなんだから、好きなように書き換えられるはずだと。そしてもし、生きる意味が欲しければ私が生きる意味になってあげるからと。湖濱こはま柚稀ゆずきは初めから、私が情報管理局のエージェントだと見抜いていた。私が彼女に接近したのではない。彼女が私を引き寄せたんだ。そうして、空虚な私を満たしてくれた。ホログラムみたいな私を、この世界に存在するものとして繋ぎ止めてくれたのは彼女だった。


 彼女だったのに!!



「――なんで……ッ」

『対象を捕捉しました。泡結あわゆい蝶花ちょうかさま。速やかに八雲やくも羽月はづきを排除し――」

「――ッるさい!!」



 乱入して来た〈ヴィアヴァスタ〉の音声を、私は放り投げる。もし、手に持っていたのが端末か何かだったなら、地面にたたきつけてやったところだった。その様子を、八雲やくも羽月はづきはただ静かに見守っている。先ほどまでの奇怪さが嘘であるかのように、私のことをじっと見ている。


 その様子が、図書室でずっと私のことを見ていてくれたかつての旧友と重なる。悔やんでも悔やみきれない愚行。湖濱こはま柚稀ゆずきならこの不正解を許してくれるのだろうか。ああ。きっとそうなのだろう。そのことが、いっそう私の胸を締め付けた。これだから人間は嫌いなのだ。正解だらけの世界なら、素直に私は罰されていたのだろう。欲しいのは、頭に浮かんで来るあるはずのない湖濱こはま柚稀ゆずきの笑顔ではなく、犯してしまった罪に対する罰だ。


 気がつけば私は膝をついて、ジャングルジムの上の主に向かって仰いでいた。



「ねぇ……八雲やくも羽月はづき

「?」

「どうして、私……生きてるのかな?」



 馬鹿げた質問を投げかけていた。そう気がついて、いっそ笑ってくれと思った。けれど、私のなかの気持ちは変わらない。私なんか、生まれて来なければ良かった。私が生まれてくる必要、そんなものは――









「そりゃあ、この糞ナンセンスな脚本を、100点満点にするために生まれてきたに決まってんじゃん。――ねっ、蝶花ちょうか♪」









 朝がやって来る。まるで凪いだ世界に、琥珀色をした一陣の風が駆け抜けていくように。割れた月は地に落ちた。溶け落ちた黒。色彩が蘇る東雲しののめ。そうして紫紺に滲み出した空に、煌めくのは明星。闇は光によって剥がされ、金色の閃光が地平線に解き放たれる。



「大丈夫。蝶花ちょうかのミスは、私が特大の花丸にしてあげるから!!」



 頭上から湖濱こはま柚稀ゆずきの声がした。


 そうして上方から降りて来た少女。着地とともに、フードが剥がれてその内側が露になる。なんてことはない。濡羽色のセミロングの髪を風に揺らす、可愛らしい女の子だ。琥珀の瞳はまさに明星。黒ローブを身に纏い、屈託のない笑みを浮かべる彼女の名は――



 ―― KOHAMA湖濱 YUZUKI柚稀 ――

 ―― YAKUMO八雲 HAZUKI羽月 ――



 いま私の前には少女がいる。

 〈明星の悪魔使い〉と呼ばれる女の子。



「……なに。さっきのキモい笑い方」

「だって、情報管理局員に目を付けられちゃったんだよ? こんくらいのカモフラージュはしないとね。キヒッ……」



 わざとらしく笑ってみせる八雲羽月湖濱柚稀。涙のせいで地平から放たれる光が乱反射する。そのせいで、よけい笑顔が煌めいて……眩しすぎるよ、あんた。



「嘘じゃ……ないんだよね?」

「真実は存在しない。信じたものが真実になるんでしょ? ね、蝶花ちょうか

「……意地悪」

「うそうそっ!! 睨まないでよ!! ――まぁ正直、空間転移で逃げれるかはギリギリだったけどね」

「……ごめん。ほんとに……ごめん」

「だーかーら、泣くなってばかちん――」



 私は衝動のままに彼女の胸に飛び込んだ。その温もりは確かに、私の大事な人のもの。もう二度と手放しちゃいけない。そう思って抱きしめては、そのまま押し倒した。他に何もいらないと思った。全部投げ捨ててしまおう。そうして、私のあげられるものは全部彼女にあげよう。空っぽの私がどれだけのものをあげられるかは分からないけれど、とにかく全部を捧げようと思った。



『対象を捕捉しました。泡結あわゆい蝶花ちょうかさま。速やかに八雲やくも羽月はづきを排除し――』

「何言ってるの。この子は、湖濱こはま柚稀ゆずきだよ。分からないの?」

『――。大変失礼しました。確かに、ID認証AU632411、湖濱こはま柚稀ゆずきで間違いありません。……? ……? 湖濱こはま柚稀ゆずきの死亡は確認されておりましたので、誤認したようです。今後は生体認証の精度を上げるよう努めて参ります』



 ――レジスタンスのボスを庇うなんて、重罪人だね。私と〈ヴィアヴァスタ〉のやり取りを見ていた目の前の少女はそう笑う。何を言っているのだろう。二人が良い感じになっているところを邪魔する奴の方が悪いじゃないか。その程度で罪を負わそうとする世界など知ったことではないし、二人の邪魔をするんだったら、それが社会を敵に回す理由になりえた。



「重いよ、蝶花ちょうか

「重い子は嫌い?」

「潰されない程度なら」

「制限重量くらいは心得てるよ――もちろん、注いでくれた分だけ重くなっちゃうかもしれないけど」



 小さなころから疑問があった。どうして、聖書で描かれる天使は神様に忠実なはずなのに、ルシファー側に寝返る者がいたんだろうと。その意味がようやく分かった。正解だらけの世界が、面白くなかったからだ。白と黒で作られる世界が、0と1で作られる世界が退屈だったからだ。可能性に満ちた世界を望んだからだ。


 いま私の目の前には一匹の悪魔がいる。



 悪魔の名前は八雲やくも羽月はづき

 明星の瞳を持つ、私の大好きなホログラムだ。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ホログラムな人生 げこげこ天秤 @libra496

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ