第5話
消滅していく、
ふと彼女が身に着けていたものを拾い上げる。ボロボロになった上着に違いなかったが、まだ彼女の温もりが残っていた。だから、まだそこに彼女がいるような気がして、私は思わず語り掛けてしまった。
「まるで冒険者だね」
そして、一度言葉を投げかければ、思いが溢れてきてしまった。
「――いつだってそうだ。力を持たないものほど無謀で、無茶で、無理で、無駄なことをしようとする。現実を冷静に受け入れられない愚か者ほど、到底届くはずのない希望を抱く。そして後悔する。ここまで壊滅的な破滅を招く前に、
夢を見ていたんだろうなと思う。真実なんて存在しない。信じたものが真実になるからだ。それは、〈ヴィアヴァスタ〉が提供してくれた回答かもしれないし、反体制派が掲げる思想かもしれない。
いずれにせよ、友人が社会を敵だと思った時、彼女にとって社会は敵になった。友人を敵だと思った時、友人は敵になった。そして、私は自分が何者なのかを失った時、何者にでもなることが出来た。
*****
人は何かしらの物語のなかに生きている。
高卒は不利だから大学に進学すべきという物語。
大学に行かずとも社会的に成功するという物語。
政治的エリートは腐敗しているという物語。
選挙では誰を選んでも同じだという物語。
男女共同参画社会を形成すべきという物語。
同性婚は許容されるべきという物語。
同性婚はおかしいという物語。
自由や平等は素晴らしいという物語。
自由は制限されるべきという物語。
国家は絶対的で永久不滅だという物語。
民族なるものが存在するという物語。
地球は青く、そして丸いという物語。
科学的根拠を政策に反映すべきという物語。
科学者どもは嘘つきだという物語。
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むかし「思想は人間を酩酊させる」と言った人がいたけれど、言い得て妙だと思う。
人が何かを信じる。すると、いつだって
かつて人は神を信じた。すると神は存在した。地を平らだと信じた。すると地は平らになった。やがて、神はいないと思い、代わりに科学という物語を信じるようになった。すると、神は死んで、大地は丸くなった。人々は自由と平等を夢見た。自由と平等の物語は、王を殺し、貴族を殺した。資本主義を信じれば富が生まれ、社会主義を信じれば革命を起こすことができた。国家というフィクションを信じたから、国民が生まれた。民族という夢物語を信じたから、人々は血で血を洗い始めた。
誰かが敵を鬼畜と呼んだ。すると敵国人は鬼になった。誰かが隣人をゴキブリと呼んだ。すると昨日まで優しかった隣人はゴキブリになった。
鬼に虫に、それから蛇に蠍……全部、全部、全部、穢らわしいものだ!! 殺してしまえ。そうして、人を殺すことに
人間は神にも悪魔にもなれた。
たとえ夢であろうと、偽りであろうと、信じたものが現実になる。妄想のなかだろうが、仮想現実だろうが、ホログラムだろうが、信じさえすればそれが現実だ。信じなければ、サンタクロースもお化けもいない。怪物も、悪魔も、神様も、そして自分自身でさえも、その存在を信じるからこそ眼前に顕現する。存在を感じることができる。
そういえばかつて、自分が蝶なのか人間なのかわからなくなった人がいたらしい。どちらが本当なのか? どちらも本当なのか? いいや、信じた方が本当なのだ。思想の数だけ、人の数だけ、正義の数だけ、物語の数だけ、世界と真実は存在する。
私は何者なのか?
それは信じる物語が決める。
どんな夢を見ているかで決まる。
結局、何が言いたいのか。
人間は何かしらの夢のなかにいるのだから、目覚めたところで、そこもまた夢のなかだということだ。どうしようもなく物語のなかにいるのだ。
ああ。そうだ。
神を信じてるんだ。
神は生きている。
だって、人間は誰だって宗教を持っている。キリスト教、イスラム教、仏教、科学技術教に、トランスヒューマニズム教に、軍国主義教に、自国中心主義教に、福祉国家教に、無政府主義教に、男女平等教に……ああ、挙げればキリがない。
人間は、どこまでいっても物語のなかにいる。
だから、物語を失っては人間は生きていけない。物語に「生きる意味」を見出しているのだから。国家を信じるのなら、その構成主体としての個人に喜びを感じ、平等を信じるのなら、不正に怒りを感じる。高収入、結婚、出世、……社会的に価値が高いものを目指し、そこに自らのステータスを見出す。だが、それは
だから、みんな夢を見ている。
だから、みんな物語のなかにいる。
そして、みんな物語を描いていく。
一匹の蝶が人間になった物語を。
その人生がホログラムだとも知らずに。
「あなたが思い描いた
そうして私は、
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