【KAC20234】私の物語、ページをめくっても良いですか?

尾岡れき@猫部

私の物語、ページをめくっても良いですか?


 たんたん、たん。


 小気味良い、私の足音が響く。塾からの帰り道。この時間が、一番解放される気がする。ステップ。そしてステップ。step by step.


 でも、どこに?

 志望校に合格をして、それからどうしたいのか。やっぱり、思い浮かばない。

 街灯がスポットライトのようで。そこでターンしてスライド。でも、スポットライトを浴びるような、主人公じゃないのは、私自身が知っている。でも、クラスのアイドルちゃんなら――。


 彼女と彼なら、間違いなく主人公だって思ってしまう。転校した彼女を、色目とか下心なく案内した下河君。周りの男子は、彼を地味だって言うけれど。そんなの見苦しい嫉妬でしかない。


 彼女と彼は間違いなく主人公で。浅ましい嫉妬を抱く男子も、傍観するししかない私も。紛れもなく、モブだった。


 だから。

 川に架かる橋。その欄干らんかんに飛び乗る。


 陸上部を引退したけれど、ハードル競技で培った跳躍力は衰えていない。こうやって、川を見下ろして。時々通る車のライトを浴びれば。なんだか、主人公になれそうな、そんな気がする。


(……ってバカだよね)

 自重気味に笑って、欄干から降りようとしたその瞬間だった。


「な、何やってるのさ! 早まるなっ!」

「へ――?」


 足首を掴まれるなんて、予想もしていなかった。半分、恐慌状態になりながら振り返れば――自分より年下だろうか。サラサラした髪が妙に目につく男の子が、心配そうに私を見やる。


 でも、それより何より……私、スカートだから。下から見上げられたら見えちゃうから! そう慌ててスカートを抑えようとした瞬間だった。


 足が欄干から、滑り落ちる。


「え?」

「え?」

「「え?」」


 言葉を紡ぐ余裕もなく。

 水飛沫。

 気泡。


 私は、川の底に沈んで――。

 口を閉じて、でも。


 濡れた服で、思うように身動きができない。

 そうこうしているうちに、息を止めることも耐えられなくなって。


 口を開けてしまう。


 気泡が上がって。

 水が、咽頭へ流れ込んで――私の意識は、そこで途切れてしまったのだった。





■■■





「お、おい! 大丈夫か? おい!」


 うっすらと、瞼を開ける。あの子が、私を心配そうに見つめる。きょ、距離が近――そう思った、刹那、激しくムセこんで、水を吐き出した。


「と、とりあえず、良かったなのかな……」


 ほっと肩を撫で下ろす。朦朧とした意識のなかで、思う。あぁ、この子。ずっと心配してくれていたのか。


「かなり、水を飲み込んでいたから。その、本当に大丈夫? 一応、念のために、病院に行った方が……」


 水を飲み込んだって、あぁ、そうか。私、川に落ちて溺れたのか。見れば、彼の髪も濡れて。シャツは透けて、妙な色香を感じる。


「病院、行ほどじゃ――」

「行くほどだよ。人工呼吸したんだから! 君はもうちょっと。危機感を持ってよ!」

「じんこうこきゅう……」


 上手く脳内で言葉が変換されない。JINNKOUKOKYUUジンコウコキュー。保健体育の時間で、そう言えば人形を相手にやったっけ。マウストューマウス。え……それって、え? え? それって……。


「き、キスじゃんっっっ?!」

「き、キスじゃない! キスじゃないから! あれが、キスとか無いから! ノーカウントだ! 僕が犯罪者になっちゃうだろ!」


「……犯罪者って、大げさな。それは、ファーストキスを奪われたのは不本意だけど――」

「奪ってない! 救命救急! それから、僕が年上なんだから、もう少し敬って!」

「またまた」


 どう見ても、彼の方が年下である。そう思えば、少しは諦めもつく。と、彼も疲労困憊なのか、頭を抱え混んでいた。


「とりあえず、君は家に帰りなって。ずぶ濡れのままじゃ、風邪をひくし――」

「イヤだ」

「へ?」


 彼は目を丸くする。いや、私も驚いている。自分で言うのも(思うのも)変な話だが、みんなに合わせるのが得意だ。順応できる人間だって思う。こんな言い方をしたら、彼がどんな感情を抱くか、想像できるはずなのに。私は、悪態にも近い言葉を吐いていた。


「……最悪。こんな気分のまま、家に帰りたくない――」


 いや、何を言っているんだって話だ。そもそも、欄干の上に立っていた私が悪い。そして、キラキラした青春も、物語の主人公に対する想いも。全部、私の僻みでしかない。


 単純に、目標がない。一応は決めた志望校に目標を定めて、学校と塾と家で勉強を繰り返すだけ。私は、そういう子だ。彼からしてみれば、夢もなく自殺しようとした中学生――そう、思われても仕方がないって思う。


「……仕方ないなぁ」


 彼は、小さく肩をすくめて、それから足音がした。

 私は振り返らない。


 自分はバカだって、思う。

 まともに、ありがとうも言えていない。

 そんな自分自身に、自己嫌悪してしまう。


(みんなに合わせるのが得意?)

 とんでもない。


 結局は、誰かと歩調を合わせないと何もできない。何かをしたいけれど、その何かが見つからず空っぽ。月明かりが、ぼやけて見える。幾重にも、光が乱反射して。本当に私は何やっているんだろう――。

 自分がようやく、泣いていると気付いた。


(バカみたい……)


 そう涙を拭おうとした瞬間だった。


 カチャン、カチャン。

 そんな金属音が響いたかと思ったら――ふぁさと衣擦れの音がして。頭にバスタオルだがかけられる。


「へ? え?」


 視界を遮ったバスタオルを慌てて取り除いて。柔軟剤とはちがう、甘い匂いに。動悸が早くなる。視界の先には、あの彼がバーベキューコンロを抱えて、少し困ったような笑顔を浮かべて、立っていた。









「あ、あの……。なんで?」


 私は目をパチクリさせる。目の前で、炭火が熾され。あれよあれよという間に、コンロで肉が焼かれていく。困惑する私を放置して、彼はどんどん肉を焼いていく。


 パチンパチンと、火の粉が舞う。


 ゆらゆらと揺れる火影を見ながら。体が暖まるのを感じる。見れば、さり気なく彼は着替え済みだった。


「ん?」


 彼は首を傾げた。それから、「あぁ」と頷く。


「もとから、一人でバーベキューをしようと思っていたんだ。気にしないで」

「……一人、で?」


 私は目を大きく見開く。


「一人の方が気楽だし。それ以外に、理由はないけど?」

「一人、で?」

「そう、一人で」


 屈託のない笑顔を浮かべて、そう言ってのける。


「さ、寂しくないの?」

「どうして、寂しいって思うのさ?」


 逆に、聞かれて、私は困惑してしまう。


「え? だ、だって。みんなで一緒に騒いだ方が、絶対に楽しいじゃん!」


 そう必死に言いながら、そうなのか? と私は心の中で、首を傾げてしまう。楽しいのか――楽しかったんだろうか。自分でも、よく分からなくなってしまう。


「相手に無理矢理、合わせるのってしんどいよ。無理矢理、笑顔を浮かべるとか、そういうの僕はもういいかな」

「そんな、人生を達観したオジさんみたいな言い方――」


「いや、君から見たら、僕はおじさんなんだけどね?」

「ドコが!?」


 私が疑問を呈するのを尻目に、彼は私の紙皿にどんどん、肉を置いていく。


「ほら、早く食べないと、冷めちゃうよ」

「……この時間に食べたら、太って……」

「君ぐらいの年の子は、もう少し健康的に栄養を摂取すべきだと思うけどね」


「そんなことしたら、ブクブク太って――」

「そういう心配は、あと5年早いかなぁ」


 また達観した素振りで言う。妙にオジさん臭い後輩だった。

 ただ躊躇っていると、肉の焼ける香ばしい匂い。美味しそうに食べる彼。火の粉の舞う音。それから、川のせせらぎ。全てが、異世界のように思える。


 と気の抜けた瞬間――お腹が、ぐーっと鳴って、私は顔どころか、全身が火照る。

 でも、彼は気づきもしないのか、美味しそうに肉を頬張り、舌鼓を打つ。

 残しても、もったいない。


(今日だけ、今日だけ――)

 そう念仏のように、呟いて。それから、箸を動かす。


「……お、美味しい……」


 私は目をパチクリさせる。こんなに美味しいお肉は食べたことがない、って思う。


「外で、食べるお肉はまた格別だよね?」


 そうニコニコ笑って言う。


「あ、あの……」


 言葉にならない。


「ん?」

「私、ジャマなんじゃ……無理矢理、合わせなくて……」

「あぁ、さっきの言葉を気にしていたのか。別に良いよ。いつもは一人で楽しむけど、たまに誰かと一緒に食べるのも良いね。あ、肉だけじゃなくて、野菜も食べなよ?」


 やっぱりニコニコ笑いながら、トングでピーマンやタマネギを取ってくれる。いや、それは嬉しいんだけれど。そうじゃない、そうじゃなくて――。


「あ、あの!」

「ん?」

「その……ご、ごめんなさい。あ、の、ありがとう……」


 最後、声が消え入りそうになる自分が情けない。今さらになって思う。彼は心配してくれた。巻き込んだのは私だ。一歩間違えば、彼を危険に晒すところだったのだ。

 それなのに、私は肝心の一言がはっきりと言えない。ボソボソとした声が届くはずもなくて――。


「どういたしまして」


 そう彼は微笑む。

 炎が小さく、弾けて。


 風がそよぐ。

 見上げれば、夜闇の向こう。静かに雲が流れるのが見えて。

 

 ――クシュン。

 小さくクシャミをしたのは、彼だった。

 二人、顔を見合わせて笑う。


 まるで異世界に飛び込んだみたい。

 きっと、私は呆けた顔をしている。彼と次に会うことがあるんだろうか。この特別な時間が、もっと続け、って思ってしまう。お肉を頬張りながら。炭火が灯す、彼の横顔を見やりながら。


 恋とは違う。多分。きっと。

 いつもの、日常とも違う。それは間違いない。

 名前も知らない、不思議な後輩。

 それから、私。


 今日だけは、言い切っても良いんじゃないだろうか。

 私、今だけは物語の主人公になれた気がしたんだ。



 ――クシュン。

 今度は、私がクシャミをして。

 彼と視線が交わって。やっぱり二人、顔を見合わせて、笑いが溢れたんだ。







■■■

 

 



 もう、会うことはないと、そう思っていた時に。


「あ、あの時の――」


 彼も私に気付いたのか、大きく目を見開いているのが見えた。


「え? なに、なに? 瑞穂は長田ともう顔見知りなの?」

「先生……?」


 いや、顔しか知らないけど。向こうは私の唇の感触は知っているかもしれないけど、だって私はあの時――そうまで、思考を巡らして、恥ずかしすぎて耳朶まで熱くなる。


(あれは、人工呼吸、人工呼吸――!)

 そう念仏のように、言い聞かせる。

 彼の方に視線を見やる。高校の入学式。教師側の席で、彼は姿勢正しく座っていた。


(……きょ、教師? 大人? 年下じゃなかたったの!?)


 思考がぐるんぐるん回る。そりゃ大人びた言い方をするワケだ。だって、大人だもん。そりゃ、心配するワケだ。だって、大人だもん。私、大人になんて態度を――。


「長田先生、格好良いよね。ほら、元【ベビーフェースガール】らしいよ?」


 知っている。女の子より女の子らしい、男性アイドルユニット。彼ならそこに所属していたと言われても、全くもって納得である。女子高生より、可愛らしい高校教員というパワーワード。はなはだ遺憾ではあるけれど。


 と、彼が私の方に視線を送って。


 それから、ひらひら手を振って、笑顔を浮かべる。

 校長先生の祝辞中だが、女子生徒の歓声があがる。当の校長は、まるで自分に対して黄色い声が上がったと勘違いしたのか、ノリノリで話を延長させていく。


 校長先生が何を話したのか、全く憶えていないけれど。たった一言、その言葉だけが、私の鼓膜を振るわす。

 少しクサいけど。うん……でもそのフレーズ、悪くない。




 ――君達、それぞれの物語はこれから始まるのです。




(長田先生、か)

 呟く。

 彼に視線を送りながら、心のなかで囁いてしまう。

 



 ねぇ、先生?

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