86-『今まで』と『これから』


 そのまま片腕で老爺を抱え、少年の衣類に犬のようにかみつき、大木の裏へと連れて姿を隠した。

 荒くなった息を落ち着かせ、気配に集中し、だらんと大木にもたれかかった。


「ゼェ……っ……くそ」


 周囲の警戒を怠っていた訳ではない。

 近くの不死者は戦闘不能状態に追いやっていた。

 周辺にはこのような攻撃できる存在は確認できなかった、だったら……。


「…………アイツ、か」


 もし、その予想が当たっているならば状況が大きく変わる。

 こんな場所でこんなに時間を費やしている場合ではない。


「ハッ……ハッ……」


 チラと見た自身の腕の中、老爺が体温を奪っていくのを感じた。

 その顔には先程までの怒りなどは消え去り、恐怖が何重にも上塗りされている。


「爺さん」


「っっ!!」


 拒絶。敵意。その中には微量の殺意もあったのだろう。

 思い出したかのように体を押し退けた老爺は、孫を片手に抱き寄せたまま、手負いの獣の如く鋭い眼光で睨みつけた。


「……嫌われてんな、やっぱり」


 老爺に聞こえない程の声量で呟く。

 だが、この二人だけは移動させなければならない――そう決心し、無事な右腕をパッと広げた。


「じーさんのいう通りだ。そうだよ。俺が悪い!」


「……!!」


「これから先、人が魔族に殺されるのも――魔物に人が食われるのも、ぜーんぶ俺が悪い! あんたら国民の未来を奪ったのは俺だ! 俺なんだ。俺が、全部無駄にした」


「ふっ、ふざけるな……ぁ! お前が謝っても、誰も帰ってこないんだ」 


「あぁ、だから、これは気休めの言葉だ。それに俺が悪いのは、言われなくても分かってんだよ」


 笑うと、老爺は唾を飲み込んだ。


 そうだ――「誰のせいだ」という話は、散々聞き飽きた。


 魔王の元から逃げて洞窟内に命からがら駆け込んだ時、王都に帰還した時、そして今日に至るまで。


「……だから、俺の『今まで』を否定すんのは自由にしてくれていい」

 

 平和を欲する権利は彼らにある。

 平和を作れなかった責任はオレにある。

 老爺の射抜くような視線に、しかと目を合わせて、力強く言葉を発した。


「――だけど、俺の『これから』は邪魔をせんでくれ」


 その言葉を聞き、老爺は口を閉ざす。


「俺は、アンタらが安心して住めるような世界にしたいんだ。だからお願いだ。俺の前で……これ以上、血を流さないでくれ」


「…………」


 抵抗が無くなったと判断し、バラッと巻物を広げ、強制的に二人を転移させようとする。


 老爺は孫をギュと抱き寄せ、皺だらけの顔に更に皺を寄せた。

 光に包まれていく彼の顔に浮かんでいたのは、怒りか、哀しみか、憐みか。

 少なくとも、簡単に説明できるものではないと感じた。


「……はぁ」


 気分の切り替えもままならないまま、上着の下で千切れていたハズの左腕をスッと出して、短剣を引き抜く。

 村人全員の避難が済んだことを今一度確認すると、衝撃の直前に微かに聞こえたに意識を戻した。


「死んだ奴で、声で攻撃してくるのは………アイツだよな」


 大木から体をゆっくりと出し、体を疲労で揺らしながら、声の聞こえた方向に進む。

 やがて、視界が開けて真っ白な光景が広がると、その先を見やった。


 村の方角にいた不死者の軍勢に風穴が空いており、その真ん中にかぶりを被った揺らめく影と――館で戦った唱喝の詩人ムシクスがいた。


「…………やっぱり」


 あれはとうの昔に殺した。

 死霊術士によって甦った姿で、死体だ。


「となると、横に突っ立ってるのは術士だな」


 そう思って目を凝らしてみてみると、唱喝の詩人ムシクスの姿は真っ黒で、目や爪、ドレスの末端だけが赤々しく燃えるように揺らめいていた。

 まるで、影のように見えた。


「あぁ……あー、これは。ちぃと……怠そうな」


 死体ではなく、影。

 そう思えるほどの姿に、オレは眉を顰めた。

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