幕間のお話
閑話:村に現れた救世主
山林に挟まれる村の側に流れる川。そこで、ぽちゃ、と魚が跳ねた。
一時は『血川』と呼ばれるほどに、生き物が生息できなくなっていたその川は今では煌びやかな明かりを宿し、透き通った色となった。
その村の近くには、かつて、遺跡があった。
遺跡には二つ頭の巨人が、二頭いたとされている。
勇者一党が討伐してくれた。だが、逃げ出していた一頭の巨人によって村人の半数が殺された。
慰霊碑が数年前に建てられた。
その慰霊碑に骨に皮が張り付いたような見た目の女性が今日も花を添えにきていた。
手編みのバスケットは底がいびつに凹んでおり、手提げの箇所の一部は赤黒く変色をしている。
「…………あぁ、私をおいて……どうして、行ってしまったんだい?」
女性は渇ききった唇で震えるように呟く。
返事は返ってこない。思い人は帰ってこない。
「勇者が魔王をころせば、アンタの死も報われるって……信じてたんだ。信じてたのに……それだけが、生きる糧だったってのに」
頬に涙が垂れる。震える手で白い花を添えた。
バスケットの中には新聞が一紙。そこには『勇者一党が魔王を倒せなかった本当の理由は──』と書かれて見切れている。
そちらに視線を向け、なぜだか、女性は笑みがこみ上げてきた。
「……」
一種の防衛反応。壊れてしまいそうな心が必死に取り繕うとしているのを感じる。それすらも、惨めに感じた。
「……少し前に、勇者様が帰ってきたんだ。魔王を……殺さずに」
湧き上がる感情。ギリッと唇を噛みしめて堪える。
「失敗した理由は、この前ここに来た付き人が原因だってさ。……本当に、許せない。あたしは、許せないよ……!」
花を添えて祈っていた黒髪の男。
どれだけ罵れど、何一つ言い返して来ずに立ち去った男。
思い出すと怒りが止めどなく溢れ出てくる。
「すぐに殺してくれるさ。……あんな奴、死ねばいいんだ」
「キレイで、大きな石だね!」
女性の背中に声がかかった。
じゃり、と小石が擦れる音が聞こえたかと思うと、竹林の葉が擦れる音が激しく鳴り始めた。
「どうして、そこに花を添えてるの?」
「……大勢が眠ってるのさ。ここに」
「なんで泣いてるの?」
「……あたしの勝手だろう? 放っておいてくれよ」
女性はバスケットを持って立ち上がり、振り返った。そこには昼間だと言うのに顔が見えない小柄な人影がたっていた。
「……辛いことがあったんだね。ワタシで良ければ、話をしてくれないかな! きっと、力になれる!」
「……あんた」
怒りや苛立ちが、その真っ直ぐな声色にスゥと消えていった。
「……死んだのさ。たくさん……隣の家の小さな子も、向かいの家のおしどり夫婦も。村長も……私の旦那も」
「そうなんだ。それは――」
風が吹き、添えた白花が飛んで行った。林が騒ぎ立てるように煩く鳴いた。今日はよく風が吹く。林の様子を見るように視線を向けた女性だが、
「……どうしました?」
人影に首を傾げられ意識を戻す。
女性はバスケットの奥に入れていた円形の装飾品を取り出した。
「……コレ、旦那からの贈りものさ」
「わあ、綺麗。指輪ですか?」
「首飾りさ……結婚祝いのね。ないお金を……必死に貯めて、顔も良くない私のために」
貰った日から首から下げなくなったその首飾り。不細工な私には似合わない。それでも、肌身離さずもっているのは死んだ旦那と彼女を繋ぐ唯一の物だ。
「素敵ですね!」
「馬鹿な人だったよ。でも居なくなって、初めて気づくコトもある。……一緒にいたい」
弱々しく呟く。その呟きを待ってたかのように純粋無垢な声が上書きをした。
「その声が聞けてよかった!」
「……は?」
人影は語る。
「私はあなたのような置いていかれた方を助けて回っている者です! 残される辛さ、本当にお辛いことです。ですが、もう安心してください! 一緒にいたいというその思い、叶えましょう!」
自信が零れるほど胸を張った人影は、小さな歩幅で慰霊碑に歩みよって行くと地面に手を当て、呟き出した。
「同じその装飾品を……ということは――」
「あなた、なにをして……」
今日一番の突風が吹き荒れ、添えられていた白花の幾つかが飛ばされていく。
「うっ!?」
女性も目をつむり、風が止んで、ゆっくりと目を開くと……少し目線の高い人影が立っていた。
そして、その人影の首から下げられている装飾品。
「……あ、アンタ」
影のような体になって、肌色なんてどこにも無い。それでも、分かる。彼女には分かるのだ。
目の前の影は、亡くなった旦那だと。
「……お前、オレ……」
涙が込み上げてきた。
今までとは違う。
暖かく、堪えようとしなくてもいい。
居心地のいい涙だった。
「う、うあ……!」
駆け寄って、抱き合った。
冷ややかな体。まるで冬のようなその体。
だが、旦那がそこにいるという事実が、現実が、熱さとなって体を伝う。
「あんた……私、私は……寂しかった。寂しかったよぉ……!!」
「お、あ……何が起き、て。オレは……」
「そうさ。不幸な彼女を幸せにしてあげるために、君を呼んだんだ。ダメだったかな?」
男の影は振り返り、言葉を失う。代わりに声を出したのは彼女だった。
「なんてお礼を言って良いか、分からないよ!! ありがとう! ありがとうございます……! 救われたよ。何もせずに帰ってきた勇者のアイツよりも……ほんとうに」
「勇者? 勇者がどうしたの?」
「帰ってきたんだ。魔王を倒さずに……」
「今はどこに?」
「そんなの知らないよ! 仲間を募集……っていう話は聞いたけど、どこにいるかまでは……」
「そっか、そっか……! 仲間募集ね」
影は上機嫌に笑った。それを一瞬は不思議そうにしたが、抱き合っている旦那に目を向ける。未だ、放心したような顔をしているが、そんなのどうでもいい。
「そういえば、この慰霊碑。たくさんいるね」
「……? あぁ、村の人の半分は死んじまったからね。魔族が殺しちまったのさ」
「そうか。半分も……それはそれは――」
今度は風の音は遮ってはくれなかった。
「素晴らしいことだ」
聞き間違いではない。
今、目の前の小さな影は、素晴らしい、と。
──なにか、おかしい、気がする。
「と、とりあえず。どれだけ感謝をしても足りないよ! アンタ、じゃあ帰ろう! アンタ……?」
男は彼女に抱擁したまま、動かない。
「なにしてるんだい? もう、いいよ? アンタ……アンタ――」
何が、かは分からない。
この異様な空気。チグハグで、歪で、縦が横な感じ。
「感謝をするのはコチラですよ」
女性の訴えが届いたのか、男は手を離し、手から落ちたバスケットの中から首飾りを拾い上げた。
「それ……」
女性は手を伸ばし、自分の手に疑問をいだいた。
(あれ、わたし、いま)
本能的に”盗られた”と感じた。なぜかは、分からない。
男は喋らないまま、その首飾りに目を落とす。
「そ、それはアンタがくれたのさ……覚えてるだろう?」
立ち上がり、男性の腕を引っ張る。
林がまたザワザワと噂をするように揺らめき、騒ぐ。
「さ、帰ろう? 娘も大きくなったんだ。もう、立派にね。あぁ、好きな料理も。だから、はやく、帰って――」
「お嬢さん」
「あ、アンタには感謝してるよ? そうさ。そうだとも。感謝だ。感謝! だから、そうさ。なんで……そんな」
「違うよ。違う。言ったでしょ? 私は感謝をしてるんだって」
感謝?
やっぱり、なにか、おかしい。
おかしい。なんだか、このままではまずい。
「感謝されることなんて何もしてない!」女性は焦り、男性の腕をグイと引っ張る。動かない「アンタ、はやく、帰ろう!」
「……? あ、あぁ! 話が噛み合わないと思ってたらそういう事か。違うんだよ。救済ってのは、そっちじゃなく……」
動かなかった男の腕がようやく動いた。
「こっちさ」
そして、女性の胸を貫いた。
「――っあ」
崩れる。
落ちる。
振り向く。男性の表情は変わらない。
「なん、で――……こんな」
頽れる女性。
首飾りを女性の首にかけ――思いっきり引っ張った。
「っぶ――ゥ〜ッ!!??」
肩を上から抑え、真上に引っ張りあげる。
空気が、意識が、上へ――上へ。
ぷちぷちと脳が音を立てる。足をばたつかせ、もがいても、敵わない。
「なんでって、一緒にいたいって言ったじゃないか」
グルンっと上をむく瞳の下に、小さな影が降りてきた。
「寂しかったよね。これで、一緒だよ。取り残されて、辛かったよね?」
座り、貫かれた胸の中に手を入れ込む。
ぐり。
ぐり、ぐり。
声が出てこない。
女性の動きが緩くなってきた。
「あぁ、なんで泣くんだい? 死ねば、一緒にいられるよ? 一生という短い一時ではなく、死しても一緒になれるんだ。愛する旦那に殺してもらえるなんて、幸せじゃあないか」
意識が、暗くなる。
闇へ。闇へ……そして、闇の向こうには真っ白な――……。
「幸福だろう? すぐにわかるよ。生、という不安定な所にいままでいたんだなぁってさ!」
女性は動かなくなった。
その体を旦那だったものを取り込むようにし始め、
「ん〜、やっぱり耐久力がないのは駄目かぁ」
声に反応し、影の形をしていた男は嫁だったものを取り込んだ状態で消え、そこから動死体が二体現れた。
きれいな首飾りをした二体は、ゆら、とあるき出す。
「うんうん。そうだね。帰ろう。二人の村に」
底抜けに明るい声でうなずき、骸骨に先導されるようにあるき出した。
「だって、半分がまだ残ってるんだろう?」
数日後、閂村が壊滅したという報せが
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