10-旅のお供




 溜まった湯舟に少女を放り投げ、その脱衣所の所でゆっくりと腰を下ろした。手拭きや洗髪剤や石鹸も水桶に入れて投げているから、適当に綺麗にしてくれるだろう。


 うはー! と気持ちよさそうに湯舟に使っている少女の声が反響をするのを聞き、息をついた。


「お前、家は」


「ないヨ?」


「今までどうしてきた」


「教会に言って泊めてもらってタ」


 だけど――と言って、バシャバシャとなっていた水音が止んだ。


「エレの家が分かってからは、近くで寝てタ!」


「近く……って、お前」


 出てきそうな言葉を喉の奥に引っ込めた。


「……そういうことか」


 この家は街中にはなく、山の中に構えている。


 買うのだから、大きく、住み心地のいい場所が良い。その思いで建てたのが、街はずれのこの家だ。


 街の中央にある教会との距離は歩いて十キロ以上はある。オレは山中を自由に走り回れるから「冒険に行く前の準備運動だ」と難なく数分で到達はできるが……。


 少女がその距離を――神官衣という動きにくい衣類に身を包んで移動するには、到底一時間では足りない。


 上り坂などを考慮すれば、四、五時間はかかるとみていい。


 それに、こんな早朝だ。


 この家に来るためには夜中に教会を出なければならない。夜中の山登りはそりゃあ恐ろしい。迷子にもなるし、気温は低いし、道を誤れば後日に死体になってさようならだ。


 だから、彼女は頭や肩に枯れ葉を乗せていたのだ。


 寒空の下、防寒具もなく、身を縮めて寝ていたら、衣類のそこかしこに地面に落ちている枯れ葉が付いてくるに決まっている。


 一応は払ってはみたのだろうが、そのし忘れが乗っていたらしい。


 尾行した時、オレの家まで時間がかかると理解をしたから。


「馬鹿だな、お前。外で寝てたんだろ」


「うン」


「凍え死ぬぞ」


「エレと早く会いたいから、寒くても平気ダ」


「そういうことを言いたいこと訳じゃあ」


「そーゆー訳なノ! 何年間も頑張ったんだから、一秒も我慢したくないんダ」


 再びバシャバシャと遊ぶような音が聞こえて、衣嚢に入れていた懐中時計に目をやる。


「……」


 街中では、そろそろ新聞紙が配られている頃だろう。


 今日の紙面に載っているとの確証はないが、あの偏屈な王様にしてはかなり猶予をくれた方だ。今日か明日かにはオレの行いが様々な尾ひれがついて化け物のような魚になって泳いで回っているだろう。


 早く出るのに越したことはない。

 

「――なぁ」


「――ネ」


 二人の声が重なり「あ」と間が抜けた声が二人からこぼれる。


 アレッタが譲るように黙り込んだが、「いいから話してみろ」と言ってアレッタに発言権を譲る。


「あの荷物、どうするノ?」


 ちゃぷっ、と手で掬った水が湯舟の元へ返る音が響く。

 

「……どうするんだろうなぁ。俺も、分からん」


「エ?」


「あー、いや」


 なに子ども相手に、しんみりとしてるんだか。


「まっ。とりあえずはこの街からは出ていくつもりだ。東に行くと俺の生まれ故郷がある。そこなら居心地も悪くはないと思ってる。この体の治療方法も調べないとな」


「ふーン」


 全く興味のない話への相槌のようだった。


「でも、エレがどこに行こうが、ワタシには関係ナイ!」


「おいおい、聞いてきたのはそっちだぞ?」


「だって、ワタシはエレの仲間だからナ!」


「仲間って、オレがいつ──」


 バシャリと水音が聞こえた。

 

 磨硝子に見えるのは、ぼやけた細くすらりと伸びた肢体。


 ――湯舟から上がる。


 そう思って、脱衣所から出ようとしたオレよりも早くアレッタは磨硝子を開けて、濡れたままオレの体に抱き着いてきた。


「おいっ、ばか! 濡れるだろ!?」


「どこの街に行くノ? 遠い所だったら嬉しいかもしれナイ! その時間ずっとエレとお話できるかラ! ウヒヒ」


 あくまでも付いてくるつもりのアレッタに、引きはがそうとしていた手を止めた。


「…………なぁ、一ついいか」


「ナニ?」


「なんで俺にここまでする? 最初あった時に言ったろ。お前のことは覚えていないって」


「思い出すから、いいもン」


 ぎゅっと抱き着かれ、今朝干していたばかりの衣類が濡れる。


 じんわりとした温もりが、衣類の下の包帯にまで届き、湿らせた。


 思い出さなかったら、どうするんだ。


 アレッタが何年もの間で何をしていたかは分からないが、それまでの期間でオレは毎日毎日を精神をすり減らして勇者一党の先鋒であったのだ。


 助けてきた人も

 訪れた街も

 両手では何度往復しても数え切れない。


 そんな中で『おそらく何らかの形で触れ合った神官を一人思い出せ』と言われても難しい。


「……」


 やっぱり、ダメだ。

 この少女を連れて行くと、辛い思いをさせる。


「アレッタ。聞け、いいか?」


 抱き着いているまま、こくと頷いたのを感じて話し始めた。


「俺は人より頑丈だから傷が治りにくい。アレッタの力でも治せない」


「それ、何回も聞いタ」


「大事なことだから、何回も言うんだ」


「でも、ワタシ、治せル」


「治せなかったろ?」


「治せるようになル」


「……まぁ、そうなったと仮定して、俺はここ数日で一気に国民から嫌われ者になる。その仲間になったら、お前が大変な思いをする」


「大変な思いなら、もうたくさんしてきタ」


「だから……そういう、なぁ……」


 どうしたものか、と言葉を探そうとしたところ、抱き着く力が強まったのを感じた。


 白い肌を震わせていた。

 寒さで震えている――訳ではないようだ。

 

「ワタシを置いて、どこかにいかないデ。……どこかに行くなら、つれていっテ」


 ぽたぽたと蜜柑色の瞳から流れてきたのは涙。オレが自分を仲間に入れずにどこかに行ってしまうと感じ取ったのだろう。


「一人にしないデ……役に立つかラ」


 顔を埋めるように裸体の少女にそう言われて、困ったように天井を見上げた。


 こんな出来損ないに、なに泣いてるんだか。


 自分の顔も名前も覚えていない相手に、ここまでする理由はなんだ。



「…………」



 おそらく……まだ聞けていない……特別な事情があるんだろう。


 母親がどうとか、父親がどうとか。

 オレを探している間に、何かがあって、何かを感じて。

 自分をここまで追いかけてくれる理由となる何かが。


 ――合理的じゃない、この思考は。


 ――そんなの分かってる。


 でも、これを突っぱねるのは、もはや人じゃない。

 アレッタの髪を梳くようにして、頬に触れた。


「幸せにはならんぞ」


「……イイ」


「その場だけの返事なら、あとで後悔する」


「今が幸せだから、それでいいもン」


 白髪の髪は濡れ、水滴を滴らせる。その中で、金盞花色の頭髪が水滴によって宝石のような輝きを放っていた。


 綺麗だ、と感じた。


 妖精が森の奥にひっそりと隠してしまいそうなほど綺麗で、美しく、儚げな。


 そして──その下。首筋や肩、細い腕にはいくつもの傷が見えた。


 手首には文字が刻まれているが、それも上から傷で潰されている。


 だが、それらは裂傷や打撲ではない。小さな火傷のような痕だ。


「この傷――」


 その言葉にアレッタはハッとして小さな体を飛び退かせ、首筋を手で覆うようにして隠した。


「アハハ……これ、昔の傷だかラ。今は傷治せるヨ? 安心しテ!」


 同じというか、同種のような気がして、気が付くとオレはその小さな体をぐいと持ち上げていた。


「ウァ」


 強く持ち上げたことで、ふに、とした柔らかい感触が指を包む。寒い外気にあてられているというのに少女の体は温かく、熱を持っている。


「エレ……? どうしたノ……?」

 

 こてん、と首を傾げた少女の髪からは水滴がぽたぽたと落ちてきた。湯船から上がったばかりなのだから当然だ。


 早く服を着させないと、風邪を引いてしまうかもしれない。


 ――と考えていたが、すっかりと内側に凹んでいる腹部にもいくつか火傷痕が見えた。桜色の乳房の下、脇下、脹脛。

 

「……この傷は……なんだ?」


「なんでもないヨ? 今は痛くないシ」


「嘘をつくな」


「嘘はつかないヨォ……本当だっテ」


 親からの虐待が真っ先に頭に浮かんだ。それから助けを求めるように、オレの元まで駆け付けたのだと。


 神官に虐待をする、親だと?

 アレッタもアレッタだ。神官ならば、治せるはずだろう。


(…………おれ、どうにかしてる)


 エレは濡れたままの少女をゆっくりと降ろして、タオルを頭に被せて、頭の水滴を丁寧に拭いた。


「神官衣はとりあえず洗濯する」


「オ?」


「それまでは俺の服を貸す。大きいが、着替え持ってないだろ」


「エレ?」


 体を拭き終わったアレッタに、服を投げて脱衣所を後にしようとして立ち止まった。


「…………」


 天秤が揺れる。


 この子を連れて行ったら、不幸になる。

 が、このままここに置いていても、不幸になる。


 どちらにせよ不幸になるのだったら――


 一度瞑目し、開く。


 腰を下ろし、アレッタの赤らんだ綺麗な蜜柑色の瞳を見つめた。



「っ~……はぁー……。アレッタ。俺と一緒に来るか?」



 再度の問いかけ。ぶかぶかの服を着たアレッタは「まってました!」と言わんばかりの表情を浮かべた。


「うん! 一緒に行ク!」


 力強い返事にオレも頷こうとしたが、まだ完全に水滴を拭けていないことに気が付いて、髪に手拭きをわしゃわしゃと走らせた。


「どこに行ク? なにスル?──ウアァウァ──なに──ウァ──ナニスル!?」


 手拭きにもみくちゃにされながら、アレッタは、ぷは、と顔を出して問いかけてきた。手を止めずに答える。


「言ったろ俺の生まれ故郷に行く。何をするかは……」


「エレ、英雄になるって言ってタ!!」


 ──ありがとう。わたしの英雄。


「……っ?」


 どこかで聞いた言葉がちらついた。どこで、誰に言われたのかも分からない言葉だ。記憶も段々とおぼろげなのが増えているな……。


「まぁ、昔はな。でも、今は──」


「じゃあ、今は大英雄ダ!!」


「……ダイエイユウ?」


 大英雄ってなんだ。

 そんな奴いるのか? あ、英雄の上の存在ってこと……か?


「……あー、まぁ、そもそも英雄だって一人でなるのは難しいんだ。有名な三英雄でも、三人でやっと英雄になったんだぞ」


「三人なら英雄?」


「そういう訳じゃあない。一人じゃあ難しいって話だ」


「仲間ならここにイル!! ワタシが仲間になったから、エレめちゃめちゃ強くなル! ただでさえ強いエレがもっと強くなル!!」


 薄い胸を張った少女の言葉に面食らって、大仰に笑った。


「そりゃあ心強い。オレにはもったいない神官様だ」


「もったいなくない! 適任! ピッタリ! お似合イ!」


「そうかなぁ?」


「ウン!」


 自分のせいで、この子が不幸になるかもしれない。

 置いておいても不幸になるかもしれない。


「……そうだといいな」


 どのみち不幸になるのなら、まだ自分の手が行き届く場所での不幸がいい。そして、自分がいるせいで彼女が辛い目に合うようだったら、その時に別れればいいじゃないか。


「まぁ、これからよろしく頼むよ」


「よろしくお願いシマス!」


 こうして、オレの旅路にお供が一人増えた。

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